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熱海殺人事件〜台詞と声の出力について

昭和時代の演劇は圧倒的に声=台詞を届けることをしてきた。

つかこうへいさんしかり野田秀樹さんしかり、言葉遊びなのか戯言なのか、ものすごいテンポで畳みかけられるうちに、それらの言葉に真実が隠されていたことに気づかされていく。

「捨て」る言葉がないので、全ての言葉に役者は真実の心を込めて出力し続けなければならない。

リアルな掛け合いではないという点で、当時の演劇は観る人を選んでいたのかもしれない。テレビドラマとは全く違うかけあい。
でも数多くのスタンダードが生まれ、アイドルも若手俳優•女優も、こぞって蒲田、熱海、幕末に挑んだ。

出力の大きさがあってこそ、演者として日常に内包され、隠されている思いを代弁できるようになる。
出力の小ささがリアルな芝居というわけではなく、大きなものを内包して、見せる見せないをコントロールするのが役者だろ?と、そういう覚悟を試される作品。

熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン

さて、観る機会が少なくなったつか作品を、昨日は久しぶりに浴びて来ました。
旧知の鈴木智晴さんが出演していたからです。彼の声優デビューからの付き合いですから、もう20年たちますね。いま売れっ子の脚本家であり、ナレーターであり、役者でもあり、講師でもある彼。その多忙なスケジュールをぬって、あえて一人の役者として「熱海に出る」からには観なければ。
「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」
https://saltyrock.chu.jp/next/

出力とは、けっして声のデカさのことではない。

デカいだけだとうるさい。肝心のセリフを聴いてもらえない。きちんと掛け合ってこそパズルが仕上がっていく。台詞のかけあいで網の目を描く舞台役者たちの、集中力が一瞬たりとも途切れないからこそ、観ているものに与えるカタルシス。
眼前で堪能させてもらえました。
心地よい疲れ。楽しかったです。

鈴木ちゃんを慕って若い役者さんたちも観に来ていたようなので、演者としての情熱のバトンが繋がっていくことを祈ります。
シェイクスピアから続く「演劇」の根幹。台詞と声!

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