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ウラの世界#2 日本人奴隷を生んだ南蛮貿易

キリスト教の布教と同時に活発になったのが、南蛮貿易である。
天文12年(1543)にポルトガル商人から種子島へ火縄銃がもたらされて以降日本はポルトガルやスペインとの貿易を活発化させた。

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ポルトガルから日本へは火縄銃をはじめ生糸など多くの物資がもたらされた。
ちなみに種子島に伝来した鉄砲。
日本は2丁、ポルトガルから購入したが、そのお値段何と1億円。
あまりにもボッタクリ価格。ポルトガル人からしたらウハウハでございます。

さてさて・・・少し話がそれたが、
実はこの時に、日本人が奴隷としてヨーロッパへ次々と渡り始めていたのです。
そのワケを解説したいと思います。

ポルトガルから鉄砲を2丁購入し、その1丁を解体。どのように製造されているのか調べ上げ大量生産に成功した日本。しかし、鉄砲だけあっても仕方ない。
重要なのは”火薬”である。火薬がないと鉄砲は機能を果たさない。
実はその火薬を日本はヨーロッパから購入していた。

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この火薬を日本人女性とブツブツ交換していたのだ。
火薬1樽で日本人女性50人が交換条件だったそう。何とも驚きの話。
理解し難い価値観だ。。。

女性たちを船底に詰め込んでヨーロッパまで運んでいたそうだ。

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こちらは「奴隷売買」の様子を描いたもの。
台に乗って裸にされオークション形式で売買されていた。
日本の女性は非常によく働き肌もキレイと言うことで、
他の国の女性よりも高く売れていたそうだ。

この事実が発覚したのが「遣欧使節団」がヨーロッパへ行った時。
日本人女性が奴隷売買にかけられている実態を知ることになる。
「コレは大変だ!」「ありえないだろ!」「とんでもない!」という情報を
日本に持ってかえることになる。
それを聞いた時の将軍・秀吉はカンカン!!

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天正15(1587)年、日本人女性を守るという狙いで「バテレン追放令」を出し、
キリスト教宣教師に国外退去を命じるとともに、
ポルトガル人に日本人を奴隷として売買することを禁じた。
その後、鎖国の時代に続くのである。

ちなみに・・・
一説には50万人以上の日本人女性が奴隷としてヨーロッパへ売られていたそう。
もし秀吉がバテレン追放令を出していなかったと考えると恐ろしい・・・

気になった本があったので共有しておく。
「大航海時代の日本人奴隷」

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