【note版書籍】速旅多旅
Amazonで出版中の「速旅多旅」のnote版。
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note版は特別に1章、2章の途中まで公開。
ぜひ購入を。
## **速旅多旅** ##
## 自分を解放するための旅行術 ##
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## まえがき ##
昨今は旅行者が爆発的に増えています。
日本では、1964年と比べて実に70倍に増加しています。
それはすなわち、それだけ旅行しやすい時代になった、ということです。
なので昔に比べて旅行というものが、かなり身近な存在になりました。
しかし、同時に多くの人が本当の「旅行」の意味を理解し、楽しめているのか、ということに疑問を抱きます。
ガイドブックに載っている観光地に行って、終わり
ネットやテレビで紹介されていたお店を回って、終わり
日本人の友達と買い物してご飯を食べて、終わり
というワンパターンな旅行が大部分ではないでしょうか。
また、そのようなワンパターン旅行とは違うバックパッカーの旅人も、「旅行」を真に楽しめていない、と思うことがしばしあります。
私は諸事情で多くの旅人を家に迎えています。
その中には海外からのバックパッカーの旅人もいます。
彼らに「何が日本でしたいの?」と聞くと
「特にない。そういうのは現地に行ってから決めるんだ。」
と言います。
彼らからすれば、事前に旅行する場所のことを調べたり、計画を立てるのは、あまり格好よくないようです。
実は私もバックパッカーとして各地を旅行をしたことがあるので、その気持ちはわかります。
しかし、何も情報を持たずに旅行することほどもったいのないことはありません。
その理由は本章の中で述べていますが、簡単にいうと、「事前の情報を持っていないと、何も情報を得れないから」です。
それを示すように、結局彼らの多くが、私が教えた観光地に行くか、近所をぶらついてそれで終わりです。
その過程でたまたま日本人と喋れただけで「これが旅行の体験だよ!」とか言ってるわけです。
その程度の体験がしたいのなら、わざわざ時間とお金を使って、遠いところまで旅行する必要ありません。
本やネットでも同じような情報を得られます。
私は旅行が大好きです。
日本国内の旅行も好きですし、海外も好きです。
去年だけでもフィンランド、オーストラリア、香港、中国、インド、フィンランド、イギリス、メキシコ、キューバ、アメリカ…など数え切れないほどいろんなところに行っています。
また様々なスタイルで旅してきました。
観光地を回って高級レストランやホテルに泊まる旅行から、地元民しかいないダウンタウンに行き、レストランで残飯をもらって野宿するヒッピーのような旅行まで様々です。
そのようなあらゆる旅を味わい尽くした私だからこそ、みなさんが気づいていない旅行の本当の楽しみ方を示せると考えたのが本著です。
その本当の旅行の楽しみ方を表したのが「速旅多旅」という言葉です。
なんて読むの?
どういう意味?
そんな単語あるの?
と驚かれる方もいると思います。
「ソクタビタタビ」と読みます。
もちろん私の造語です。
そのエッセンスを一言で表すとすると
「旅行とは情報収集である」ということです。
そしてなんのための情報収集かというと「望み通りの人生を生きるため」です。
なぜ旅行が情報収集なのか?
なぜ旅行が望み通りの人生を生きることにつながるのか?
は本文を読んでいただければ理解していただけると思います。
なぜ「速旅多旅」を思いついたかというと、自身の読書体験から来ています。
私は本がとても好きです。
現在多い時は月4000冊ぐらい読書します。
その読書のスタイルは「速読多読」です。
これの意味も本文で解説していますが、簡単にいうと「たくさんの種類の本を、コストを下げて読む」ということです。
なぜこのような読書をしているか、というと「望み通りの人生を生きるため」です。
そして読書と旅を同じと考えているからこそ、
「読書に使っている『速』『多』のメソッドは、旅行でも使えるはず」と思い立ったのが、「速旅多旅」が生まれたきっかけです。
私からすれば、読書も旅も同じ活動です。
その真髄は「抽象度を上げる」こと。
つまり「自由になる」ことにあります。
自分の知らないことを知る。
自分の今までの世界がひっくり返るような体験をする。
その感覚がたまらなく好きで、読書も旅ものめり込んでいるのです。
旅好きの方、人生に閉塞感を感じている方、人生を望み通りに生きたい方にこの本を贈ります。
数多くの旅や本たちが私にそうしてくれたように、あなたの世界を新しいものにすることに、この本が手助けになるはずです。
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## 第1章 なぜ人は旅行するのか? ##
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## ここでは手に入らない情報を手に入れる ##
そもそも「旅行」とは何なのでしょうか?
なぜ多くの人は旅行に行きたがるのかを考えたことがあるでしょうか?
全然知らない景色や文化に触れてみたいから
ずっと日本にいるのはつまらないから
暇つぶしになるから
様々な理由があると思います。
人間が旅行に行く理由を一言で表すと「ここでは手に入らない情報を手に入れるため」です。
例えば、ハワイには多くの日本人が旅行に出かけます。
それはハワイの気候であったり、ビーチであったり、ショッピングセンターであったりが日本では手に入らないからです。
だからわざわざ飛行機に乗ってハワイに出かけるわけです。
つまり自分が持っていない情報を求める気持ちが旅行に人間を向かわせるわけです。
なので「旅行とは情報収集である」というようにも言えます。
そこで疑問に思われるのが「なんのための情報収集なのか?」ということです。
何か目的があって、そのために情報を集めるのが「情報収集」な訳です。
例えば「別の場所に引っ越す」という目的があるから、マンションの値段やそこの土地についての情報収集をします。
では旅行の究極の目的とは何なのでしょうか?
私はそれを「望み通りの人生を生きるため」と考えます。
別な言い方をすると「自由になるため」です。
「自由」という言葉には2つ意味があります。
それは「選択肢からの自由」と「選択の自由」です。
選択肢からの自由というのは、簡単にいうと選択肢を広げるということです。
例えば「大学を出て就職しないといけない」と思い込んでいる人は、その選択肢しかない状況にいます。
それはつまり、選択肢が狭いという意味で自由ではないわけです。
しかし大学を出た後に「起業」や「仕事をしない」という選択肢を用意できると、その分自由になります。
それが「選択肢からの自由」。
しかし自由はそれだけではありません。
その後に「選択の自由」があります。
上述のように「選択肢からの自由」で様々な選択肢を用意した後、どれかを選択するとします。
その時どのような基準で目の前の選択肢を判断するのかも、自分で決められる、ということです。
基準というのは価値観と言い換えてもいいでしょう。
その価値観自体も、自分の好きにしていいですよというのが「選択の自由」です。
その2つをまとめて「自由」と呼んでいるわけです。
そして「自由」を獲得するには必要なものが2つあります。
それは
・多彩な情報
・抽象度の高い視点
です。
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## 自由には情報が必要 ##
なぜ「多彩な情報」と「抽象度の高い視点」が必要なのでしょうか。
まず「多彩な情報」についてお話ししましょう。
例えば大学進学をすることを考えます。
この時「うちはお金がないから」だとか「あなたは成績が良くないから」という理由で「近所の〇〇大学しか行くことができない」と言われたとします。
この時あなたは「様々な大学の中から自分の望み通りのものを選べない」という意味で自由ではないわけです。
ではどうすれば自由になれるのか?
それは多くの情報を獲得したらいいのです。
まず単純に「〇〇大学以外の大学の情報」を手に入れた場合を考えます。
親や先生は県内や近場の大学を調べていただけで、遠くの大学や国外の大学を調べていないかもしれません。
なので自ら他の大学の情報を手に入れてみる。
調べてみると「△△大学ならお金がなくても、成績が良くなくてもいける」だとか「アメリカの■■大学なら奨学金が出るし、留学生なら成績が悪くても入れる」だとかいうことがあるでしょう。
その時点であなたは
「近所の〇〇大学しか行くことができない」という状態から
↓
「〇〇大学にも△△大学にも■■大学にもいける」
という選択肢のある状態になりました。
そしてより広がった選択肢の中から選べるわけです。
つまり最初の状態よりも「自分の望み通りの大学に行く」という意味では、より自由になっているでしょう。
また別の情報を入手した場合も同じです。
例えばお金を手にいれる情報。
「うちはお金がない」から「近所の〇〇大学しか行くことができない」という場合、お金がないから選択肢が限られているわけです。
つまり、お金があれば他の選択肢も選ぶことができます。
なので「お金を手に入れる」情報を集めます。
他人から投資してもらう、借りる、自分で稼ぐ…など様々な方法があります。
その中から実現可能なものが見つかれば、「お金を手に入れる」ことができます。
すると「授業料が高い★★大学に行ける」という具合に選択肢が広がり、より自由になれます。
またなぜ「多彩な」という言葉をつけているかというと、より多くの種類の情報を集めた方が自由度が高いからです。
上記の例なら、ほかの大学の情報だけを入手しても、金銭面の問題は解決されません。
しかし、同時に金銭に関する情報を集めることで、より選択肢が広がります。
つまり、同一の情報をたくさん集めるよりは、より多くの種類の情報を集める方が、自由になれる。
なので「多彩な」情報、という言い方をしています。
こうしてみてきたように、
自分が持っている情報が少ない = 選択肢が少ない状態 = 自由でない
というわけです。
つまり、逆を言うと
自分が持っている情報が多い = 選択肢が多い状態 = 自由である
と言うわけです。
つまり「多彩な情報」を得るほど、選択肢が広がり、「自由」になるわけです。
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## 「選択肢からの自由」 ##
しかしそれだけでは「自由」とは言えません。
なぜなら「そもそもその選択自体が自分にとって良いのか?」ということが選べていないからです。
つまり「選択肢からの自由」というものがないからです。
上記の例なら「大学に行く」のが大前提としてあるわけです。
「大学に行く」中でどの選択肢がいいのか、と「選択の自由」を獲得するのが前述の話でした。
しかし、そもそも人生を考えた時に「大学に行く」という選択自体が果たして良いのでしょうか?
もしかしたらその前提自体が、他の選択肢の方がいいのではないでしょうか?
つまり前述のように、「大学に行く」ことに関する「多彩な知識」を持っていても、そもそもの選択が自分にとって良くないのなら意味がないです。
なので、そもそもの選択自体を選ぶことができる。
そもそもの選択以外にも様々な選択肢を持つことができるというのが、「選択肢からの自由」なわけです。
ではどうすれば「選択肢からの自由」を獲得できるのか?
それに必要なのが「抽象度の高い視点」です。
こうかくと何か難しいもののように思えますが、実はとても簡単です。
まず「抽象度」という言葉について説明しましょう。
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## 「抽象度」 ##
「抽象度」とは、どれぐらい抽象的か・具体的かの度合いのことです。
度合いを示した言葉としては、「温度」とか「高度」とかと同じ種類のものです。
「温度」はどれくらい温かいか冷たいかの度合い、「高度」はどれくらい低いか高いかの度合いですよね。
「抽象度が高い」とは「より抽象的である」ということ。
言い換えると「より概念的である」「より1つ上のカテゴリーである」というように言えるでしょう。
例えば、今日の日付が「2019年2月9日」だとします。
「2019年2月9日」というのは具体的な情報ですよね。
つまり抽象度が低い情報です。
この情報の抽象度を上げるとどうなるでしょうか?
例えば「2019年の2月」と言えます。
これは具体的な日付の情報から、より概念的な「◯年◯月」という情報になりました。
ここでポイントは「抽象度の高い視点からみると、より多くの情報が見える」ということです。
「2019年2月9日」の出来事を考えます。
これは言い換えると「2019年2月9日」という視点で見たときの、起こったことになるわけです。
すると、朝ごはんはトーストを食べた、netflixで映画をみた、とかいろんな情報があるわけです。
その視点を一つ高い抽象度にします。
つまり「2019年の2月」に起こった出来事、になるわけです。
すると先ほどより「多くの情報」が見えるのがお分かりでしょうか。
朝ごはんがトーストの時もあったし、お茶漬けの時もあったし、ヨーグルトだけのこともあった…
Netflixで映画を見た日もあれば、友達と映画館に見に行った日もあるし、何も見なかった日もある…
当然「2019年2月9日」の視点から見た1日だけの情報よりも、「2019年の2月」の視点から見た1ヶ月間の情報の方が多い。
つまり「抽象度の高い視点からみると、より多くの情報が見える」ということです。
そしてそれをさらに高い抽象度の視点にすると、より多くの情報が手に入ります。
「2019年の出来事」にすると、さらに多くの情報が。
「2010年代の出来事」にすると、10年分の情報が。
「22世紀の出来事」にすると、100年分の情報が入っているわけです。
これが「抽象度」という言葉の意味です。
そして「抽象度の高い視点」とは、今の自分よりもさらに高い抽象度で物事を見るということです。
ではそれがなぜ「自由」に繋がるのでしょうか?
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## 抽象度と自由の関係 ##
それは「抽象度の高い視点」からは、より多くの情報を得ることができるというのがポイントです。
そして前述のように、多くの情報を持っていると、選択肢が広がり、より自由になれます。
すなわち
自分が持っている情報が多い = 選択肢が多い状態 = 自由である
つまり「より自由になる」ということ。
前記の例の「大学に行く」という選択を「抽象度の高い視点」から見てみましょう。
そのためには「要はどういうことか?」と考えるのが有効です。
例えば「大学に行く」ことを「要はどういうことか?」と考えるわけです。
すると「良い職につくための方法」というふうに考えられます。
ということは「良い職につくための方法」という抽象度で見たときに、その選択肢の一つとして「大学に行く」ということがあるわけです。
そう考えると他の選択肢が必然的に目に入ってきます。
大学に行くより、専門学校に行った方が就職が有利かもしれない…
大学に行くより、高卒で就職した方が早く給料もらえて良いかもしれない…
といった具合に多くの選択肢が入ってくるわけです。
すると、そもそもの「大学に行く」ということも含めて、「より自由に」選ぶことができるわけです。
さらに抽象度を高めることもできます。
そもそも「就職とは何か?」と概念的に考えると、「会社に入る方法」です。
では「なぜ会社に入るのか?」と考えると、「社会に対して価値を提供するため」と考えられます。
どこかの会社に入ってお客さんの役に立つものを提供する、それが「社会に対して価値を提供する」ということ。
つまり「就職とは何か?」というのをどんどん抽象度高めて見ていくと「社会に対して価値を提供する方法」になるわけです。
その視点から見つめれば、就職以外にも様々な選択肢が目に入ってきます。
例えば「起業」。
自分で商品を作ってお客さんに売っても、「社会に対して価値を提供する」という意味では同じわけです。
もしくは就職も起業もしないで出家してお坊さんになり、世の中の人を救いに導くという選択肢もあるわけです。
それも十分「社会に対して価値を提供する」ことを果たしています。
そのほかにもボランティア、ホームレス、学生を続ける、ニート、様々な選択肢があります。
「社会に対して価値を提供する」という抽象度の高い視点から見れば全て同じです。
ということは様々な選択肢があるということです。
別に就職してもいいし、出家してもいいし、学校を辞めてニートになってもいい。
あなたがその中から選んでいいということです。
そのように抽象度を高めた視点から見ると、「就職」という選択肢しかなかった視点の時からは、格段に「自由」になっているわけです。
このように「抽象度の高い視点」から思考することが、自由に人生を生きるためには不可欠なのです。
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## 「意識が認識を作る」 ##
ここで抽象度の高い視点を持つと、なぜ多くの情報が手に入るかについて、少し突っ込んで解説しましょう。
それは「意識が認識を作る」という脳の性質が深く関係しています。
「意識」とは、どのようなことを考えたり目標として持っているかの状態のことです。
「認識」とは、例えば「見えた」「聞こえた」のように、何かしらの情報を頭の中でキャッチできることです。
そして「意識」というものが、何かの情報を「認識」することと深く関係があるわけです。
それはどういうことかというと、人間は「意識しているものだけ、認識できる」ということ。
例えば、私の知り合いは塗装系の企業に勤めています。
なので一緒に店にいくといつも「ここの内壁は塗りだな」とか「ここは土壁だな」とか分析しています。
しかしその知り合いと一緒に行くまで、私はそのようなお店のことを気にしたことはありませんでした。
言われて初めて「あ、そうなんだ」と気づくわけです。
これが「意識が認識を作る」ということです。
お店の中には初めから「土壁」だとか「塗装の内壁」だとかいう情報があります。
しかし意識がないと、目の前の内装の情報を脳みそがカットしてしまうのです。
逆に、私は経営者なので、お店にいくといつもそのお店の売り上げを計算しています。
単価、客席、営業時間、回転数、従業員の数などをパッと見て、どれぐらいの売り上げがあるかを自動的に計算してしまうのです。
これも「意識が認識を作る」でしょう。
同じものを見ていても、
「塗装」の意識 → 「塗装」の情報
そしてその時に売り上げの情報はカットされてしまいます。
「経営者」の意識 → 「売り上げ」の情報
そしてその時に内壁の情報はカットされてしまいます。
つまり、意識が違うと、目の前に情報があっても認識できないのです。
では様々な情報を認識するための意識とは何か?
それが「抽象度の高い視点(意識)」です。
抽象度の高い視点だとより多くの情報が認識できます。
先ほどの例で考えて見ましょう。
同じ店を見ていても、
「塗装」の意識 → 「塗装」の情報
「経営者」の意識 → 「売り上げ」の情報
となってしまうわけです。
同じものを見ていても、お互いに見えるものが違うという事態になります。
これを抽象度の高い「クリエイター」という視点で見てみます。
なぜなら、経営者は「事業を作って上手く回す人」、塗装業員は「より良い内装を作るのが目的の人」です。
両方とも「何かを作る人(クリエイター)」という抽象度で考えれば同じものです。
お店を「クリエイター」という視点で見ると
「ここの照明や内壁がいいな」という「インテリアの情報」が入ってきます。
「ここのお店はコストパフォーマンスがいいな」という「売り上げの情報」が入ってきます。
つまり、以前の視点と比べて、より多くの情報が認識できます。
さらに
「この商品はどうやって作っているんだろう」という「商品開発の情報」や、
「ここの店舗は場所がいいな」という「建築の情報」など、
低い抽象度の視点では得られない様々な情報が認識できます。
このようにして抽象度を上げていくと、素人でもプロフェッショナル並みの情報を得ることができます。
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## 素人がプロを納得させる ##
例えば、以前神戸で人気の料理屋さんに行ったことがあります。
そこは店主さんが一人で回している店で、決して大きくはないのですが、雰囲気がよく美味しいことで有名です。
その店の様子を見ていて私は、「飲食業界も音楽業界も一緒だな」と考えました。
なぜなら、そこのお店は料理や店内の「演出」に重きを置いていたからです。
私はラップを10年以上やっているので、音楽業界に関して一般の方以上のことを知っています。
音楽も同じで、演奏の実力だけではなく、「演出」が大切なのです。
それはなぜかというと、お客さんはプロではないから。
つまりとても高い演奏の実力を見せても、知識がないためにそれがわからないのです。
なので、人気を獲得したり、音楽でお金を稼ぐには、どうしても一般のお客さんがわかる「演出」が必要になります。
だからPVをとったり、映画やドラマとタイアップをしたりするのです。
その意味に置いては料理も同じだと考えたわけです。
飲食に関してズブの素人の私は、はっきり言って細かい味のことがわかりません。
料理のプロが見たら唸るような技術や味付けがされている料理を出されても、知識がないために「なんとなく美味しい」で終わりです。
そんな私でもとてもいい気分になれるような「演出」がそこの料理店にはたくさんありました。
つまり音楽と同じく、一般のお客さん向けに「演出」をきちんとしていたのです。
実際に、店のご主人とそのような話をすると大きく納得してもらえました。
ここでのポイントは、飲食に関してズブの素人の私が、なぜ有名店を切り盛りするプロが納得できるような話ができたのか?
それは「高い抽象度の視点」を持っていたからです。
抽象度の低い視点から見れば、「音楽業界」と「飲食業界」は全く別物です。
その視点からだと、「料理が美味しい」「雰囲気がいい」という情報しか入ってこないわけです。
しかし抽象度を上げると「音楽業界」と「飲食業界」も同じ「サービス業」だと考えることができます。
つまり「サービス業」という視点から見れば「音楽」も「飲食」も同じものなわけです。
そしてそのような視点があるからこそ、素人にも関わらず、プロが納得するような情報を入手できるわけです。
要は、「抽象度が高い視点」を持つほど、圧倒的に手に入る「情報量」が多くなります。
なので、「抽象度の高い視点」を持つことが「自由に」人生を生きることにつながります。
しかし、それだけではありません。
実は「抽象度の高い視点」を作るためには、「多彩な情報」が必要とも言えます。
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## 「抽象度の高い視点」を作るには「多彩な情報」が必要 ##
え?
抽象度の高い視点 → 多彩な情報 じゃないの?
と思われる方もいるでしょう。
それに間違いはありません。
しかし、同時に
多彩な情報 → 抽象度の高い視点
でもあるわけです。
これは人間の脳のある習性が関係しています。
それは「自分の中にある情報をまとめて、より高い視点の抽象度を生み出す」というものです。
例えば子供は猫を実物や写真などで数回見ただけで、「猫」という抽象度の高い概念を理解します。
次に初めて見る種類の猫を見ても、「これはたぶん猫だな」と判断できるわけです。
つまり人間は具体的な(抽象度の低い)情報をまとめ上げて、より高い抽象度の情報を作り出す、ということです。
それを意識的に行うことを「瞑想」と言います。
(「瞑想」についての詳しい説明は後述します。)
なので基本的に様々な情報を入れていけば、あとは勝手に「抽象度の高い視点」が生み出されます。
ここでポイントがあります。
それにはより多彩な情報の方がいいのです。
理由を説明しましょう。
例えば「犬」と「猫」という情報なら、簡単にそれらをまとめた抽象度の高い情報を作ることができますよね。
「動物」とか「ふわふわしたもの」とか「ペット」とか、様々な抽象度の高い情報が考えられます。
それは「犬」と「猫」いう情報が、そもそも似ているものだからです。
両方とも動物で、ふわふわしていて、ペットで、という具合に、共通点がたくさんあります。
なのでそれらをまとめた情報を作り出すのは簡単なわけです。
では「犬」と「お茶」ならどうでしょう。
それらを含む1つのカテゴリー、抽象的な概念をパッと思いつくでしょうか?
すぐには思いつかないですよね。
なぜかというと「犬」と「お茶」という情報はかけ離れているからです。
共通点が少ないと言ってもいいでしょう。
そのような情報を統合するためには、かなり抽象度を上げないといけません。
例えば「人間の役に立つもの」だとか「心を和ませる存在」という抽象度の高い概念になります。
そして前述のように抽象度が高いほど、その視点から得られる情報は多くなります。
例えば「ペット」という抽象度の視点ならば、「犬」、「猫」、「鳥」というように、人間が飼うことができる動物の情報しか入ってきません。
しかし「心を和ませる存在」という抽象度の視点で考えてみてください。
すると「動物」の他にも、「植物」、「家具」、「音楽」、「映画」…など無数にあります。
「ペット」という抽象度の視点から見た時と比べて、圧倒的に情報量が違うのです。
それは「心を和ませる存在」という情報の方が、より高い抽象度を持っているから。
なので、よりかけ離れた「多彩な情報」を収集します。
すると、それらを統合して、より「抽象度の高い視点」が手に入れられるようになります。
アップルの故スティーブ・ジョブス氏がスタンフォード大学で行なった有名な講演があります。
その中でジョブズ氏は「connect the dots」という言葉を残しています。
これは、大学を中退したジョブス氏が、興味本位でカリグラフィ(文字のデザインについての学問)の授業を受けます。
その時の経験が、後々全く別の分野であるパソコンと融合して、画期的な「mac」という製品が生まれた、という逸話です。
なので全然関係のないように思える知識が、後々繋がって素晴らしいアイディアになることがある、ということです。
このジョブズ氏の話も、私の話と全く同じです。
要は、かけ離れた「多彩な情報」を頭に入れておくと、「より抽象度の高い視点」が得られる、ということを言っているのです。
そして抽象度の高い視点を持っていると、圧倒的に自由なアプローチから商品の開発ができます。
なのでビジネスにおいてはジョブズ氏のように世界を変革するようなアイディアを生み出せるのです。
つまり
抽象度の高い視点 ⇄ 多彩な情報
といった具合に、この2つというのは、互いに関係しあっている、ということ。
・多彩な情報
・抽象度の高い視点
というのが「自由」な人生を生きる上でのキーワードなわけです。
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## 北朝鮮と偏差値教育 ##
つまり「抽象度の高い視点」を保った上で「情報収集」するということが、望み通りの人生を生きることの必須条件です。
その時のポイントは「情報収集」です。
前述のようにどんな情報を持っているかによって、自分の人生における意識の抽象度が決まります。
なので「情報収集」によって人生が決まるとも言えるわけです。
「情報収集」というと何かお堅いイメージがしますが、そんなことありません。
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