【感想文】流行感冒/志賀直哉
『子別れの枕に関するご提案』
各個人が持つ、ある対象へ向かう共通の愛情は信頼関係を築く礎となる。
それを本書は暗に示しているのではないか。
要するに、主人と「石」の確執を、両者が共に抱く左枝子への愛情が仲を取り持つ物語だと私は思う。というのも、
『這えば立て、立てば歩めの親心』という故事もあるように、子どもを可愛いがる親の情愛というものはいつの世もこの精神が根付いているからであり、そうした親御さんの育て方、しつけ方ひとつで良くもなれば悪くもなり、うまく育てて末は博士か大臣かなんて本当にそうなったとしたら、親は左団扇といったところなのだが、下手に育ててあたしみたいになった日にゃあ、そりゃあ面倒なことになりましょうな。まあそういったわけで世の中に、何が宝といったって子宝に勝るものはござぁせん。で、まあ、この噺の子宝てえのが左枝子なわけですが、この主人、左枝子が気にかかるあまり、女中「石」との意地の張り合いがはじまって、どうもこの石ってえのが <<芝居には参りません>> なんて我を張り通してまあ固いのなんのって、まさに「石」というだけに決して名前負けはしておりませんので。しかしまあ考えてみますと、この女中なんてえのは昔はなにしろ、あの、女中奉公なんて言いましてね。字を見ますと公(きみ)に奉(たてまつる)と書く、まあ主人のためには骨身を惜しまず働かなくちゃいけない。で、自分から進んでその、苦労をするという。でまあ奉公の時分になるってえと、ほんとにその当人としては、それはきびしい、苦しいもんだそうで。なにしろ九つか十ぐらいで奉公に出されまして、それで、ええ、十年という年季奉公がすんで、それから礼奉公をしてようやく半人前という形でまだまだ続いていくそうですが、まあこりゃたいへんなもんですなあ。ただ、この噺の石ってのはそんな奉公人とは違って強情な異端児で、これに加えて主人もまた強情な男ですから、そんな意地っ張り同士、折り合いがつくわけもないってんで、カッとなった主人は『あんな奴ァお払い箱だ!二度とうちの敷居はまたがせねえ!』なんてな具合なんですが、なぜかこういう男には優しいおかみさんというものがついていて『ねぇアンタおよしよ、今ここで暇をやると世間体ってなもんがあるんだから、よおく考えてごらんよ』なんてたしなめられて『しょうがねぇなあどうも、今回ばかりは多めにみてやらァ』なんて拳を下ろすわけですがやはり居心地は悪い。で、しばらくすると、今度は流行感冒、今でいうインフルエンザですなぁ、これに愛娘の左枝子がかかるわけですが、ここであの石が大活躍して一家、そして左枝子の窮地を救うってんですから大した奉公です。で、これを機に主人は石を見直すことになるわけでして、まあ思い返してみましたら左枝子は <<いいや、いいや>> なんて石によく懐いており、左枝子に対する情愛の深さは自分だけじゃなく石も同じだってえことに主人もようやっと気づいたんでしょう。『普段はあんな野郎だが気心のあるやつじゃねぇか。まあ今回は痛み分けにしといてやらぁな』なんて考えをすっかり変えてしまいます。なんてなわけでこの噺は、主人と妻でなく、主人と女中の間で「子は鎹(かすがい)」って形で丸くおさまるんですが、これからあたしがお話する「子別れ」という噺もじつはそんな長屋のお噂を描いたもんでして...『ご隠居ォ、こんちは!こんちはー!』『なんだい熊さんじゃないか。朝から騒々しい野郎だねぇ』
といったことを考えながら、私は新作落語「時ナポリタン」の稽古に取り掛かった。
以上
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