【韓国論考】なぜ韓国アイドルはファンに「愛しています」と言うのか?「サランヘヨ」の語源から考えてみる。
私は高校時代にKARAというK-popアイドルにハマり、ファンクラブに加入するほどの熱狂的なファンであった。当時は第2次韓流ブーム(2010年〜2012年ごろ)が到来し、KARA・少女時代・BIGBANG・2PMなどの韓国のアイドルグループが次々と日本メディアに本格進出した時期であった。彼らは毎朝のエンタメニュースでひっきりなしに紹介され、日本語での受け答えも十分にこなしていた。
しかしテレビで彼らを見るたびに違和感を覚えていた。それは日本のファンに向けての「愛しています」というフレーズだ。K-popアイドルの「愛しています」は出演最後、別れの挨拶の時に発せられる。なぜ、違和感に感じたのかというと、「愛する」という言葉はよく男女間の愛情表現で使われるものだと考えていたからだ。(男女という概念外で「愛」という言葉を使う場面はせいぜい「家族愛」や「自然愛」、「音楽愛」ぐらいであろう。)そんな私にとって、大好きなアイドルから「愛しています」と言われたことは、嬉しい反面、違和感を感じざるを得なかったのである。
韓国アイドルはなぜファンに「愛しています」と言うのか?
結論を先に言ってしまうと、韓国語の「サランヘヨ」を日本語で「愛しています」と訳して発言してしまうからだ。韓国語をある程度勉強してみると、韓国の音楽番組やコンサートでアイドルたちが何を言っているのかわかるようになる。ホームグランドである韓国で彼らは、テレビの前にいるファンやコンサートに来てくれたファンに「サランヘヨ」と告白するのだ。そう、「サランヘヨ」はファンに感情を表現する話法なのである。そして彼らが現地で「サランヘヨ」と言っているように、日本でも「サランヘヨ」と言いたいのだが、これを「愛しています」と訳して告白してしまうのだ。
ではなぜ、「サランヘヨ」を「愛しています」と訳してしまうのだろうか?それは「サランヘヨ」の意味を表現した日本語が「愛しています」しかないからである。もちろんこの「サランヘヨ」を「愛しています」と訳しても不自然ではない。韓国でも大好きな恋人には「サランヘヨ」と言って愛の告白をする。ただ私が違和感を感じたようにアイドルが発する「サランヘヨ」には日本語の「愛している」の意味に当てはめることのできない、もっと広い意味があるのだ。
「サランヘヨ」の深い意味
「サランヘヨ(사랑해요)」は動詞で、基本形は「サランハダ(사랑하다)」である。この「サランハダ(사랑하다)」を分解すると名詞「サラン」と「〜する」を意味する「하다」に分けることができる。
「サランヘヨ」の意味を知るためには「サラン」の語源に注目する必要がある。「サラン」の語源について諸説あるが、「思量(사량)」という単語から由来したという説がある。この「思量」とは色々と思いをめぐらし考えるといった精神的な行為を意味する。つまり「サラン」とは思いや考えをめぐらすことを語感として生まれた言葉であった。ある対象物に対して思い・考えることは、表現を言い換えると大切に思うということになる。
実際に韓国の国語辞典で「サラン」を引いてみると
ある事物や対象を大切にする心
男女間の恋い慕う心
相手を理解し助けようとする心
と解説されている。
要するに韓国語の「サラン」は男女の愛を超えた、人やものを大切に思うという心の現れであった。
ここで韓流アイドルの「愛しています」発言を考えてみる。彼らは当然のことながら、男女の愛を告白しているのではない。応援してくれるファンを大切に思っているからこそ「サランヘヨ」と言っているのだ。
普段から韓国人は「サランヘヨ」を日常的によく使う。夫婦、恋人、家族に限らず、学校の先生や友達、先輩後輩、ありとあらゆる人間関係で「サランヘヨ」は使われるのである。なぜならば「サランヘヨ」はどんな人間関係であっても、その人を「大切に思っている」という感情表現であるからだ。
日本は感情を直接的に表現しない文化があるため「愛している」と言う時はごく稀である。そのため日本語の「愛している」の感覚で「サランヘヨ」を聞いてしまうと、どこか軽い感じを受けざるを得ない。しかし、「サランヘヨ」は決して軽い言葉ではない。「サランヘヨ」は韓国人の日常語であり、人と人との関係を大切にしている韓国人の国民性を表している。
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