下手で上手なしやわせ、しわあわせ
みなさんは自分のことを"上手な人間"だと思っていますか?
あと、上手なことは幸せだと思いますか?
または、下手なことは不幸せだと思いますか?
質問ばかりですみません。
ちなみに私は自分のことを、下手な人間だと思っています。
今日は、自分のことを"下手な人間"だと感じ、
そのことにモヤモヤを感じる人へ向けて記事を書きます。
"下手"でも、幸せを感じられるので。
…。
"下手"ってなんなんでしょう。
Hmmm 一番上の「したて」の、2、1の順で近いような気がします。私の場合。
自分なりに噛み砕くと
2.→ 全体(平均)的な能力が高くない
1.→ 全体(平均)的な能力が100人中下位レベルだろう
のように感じます。
(平均=自分の中のいくつかの能力のレーダーチャートと定義して)
しかしながら、下手(ヘタ)というのは
下(シタ)ではなく"上(ウエ)ではない"
というような気持ちでいます。それは嘘をついていないし、平和だと。
それでもって、「下手」は一纏めにはできないですよね。
とても複雑なグラデーション、多様なベクトルで構成されてあると思います。
その中には”好きで下手”とか"嫌いで下手"、"下手で上手"とかあると思うんですよね。
自分の能力をかんがみて、かえりみて、
それとの付き合い方とか、距離感とかに対して。
(自分でもちょっとこんがらがってきました。)
分かりやすくしたいと思います。
"下手で下手"な場合を考えてみます。
…なんだか辛辣です。では、
"下手で上手"はその逆と考えましょう。
自分をかえりみて、
自分の中のどこかを下手だと感じたとします。
現実、それは割と本当のことで(じゃないこともありますが)
事実として捉えてもよいと考えています。
でもその上で、上手な付き合い方ができるのではないでしょうか?
具体例をあげます。
たとえば私は人との会話がヘタです。
でも、好きなんです。
でも、ヘタなんです。
なので、過去の私は何か策を練りたいと思いました。
会話が好き → 交流、意思疎通、ふれあい、が好き
といった具合で、"好き"という気持ちを分解してみました。
すると「交流」「意思疎通」「ふれあい」は
会話以外の手段でクリアできると感じます。
例えば写真。
私は写真が好きです。
下手ではないと信じています。
写真を撮ると、
写真は私の代わりに、
人と「交流」「意思疎通」「ふれあい」
をしてくれます。
たとえば下記。
交流 → 目に入る。あるいは認知される。
意思疎通 → どこか「いい」「よくない」と感じてもらえる。
「ふれあい」→ それが自分との共通点となれば、心はふれあえる。
だから私は下手でも不幸せではありません。
他にも
「下手だけど、のびしろがあるってこと!
まだ上手くなれるかも!たのしい!」
とか思ったりするとちょっぴりいい感じです。
上手くなると、なかなか下手にはなれませんから。
下手な時間は貴重で、愛らしいのかもしれません。
他にも
「…どうしても下手だなぁ」
ということもありますが、
1つ考えてみます。
あなたは「下手な人」を軽蔑しますか?
多分そうじゃないですよね。
する人は一度帰ってもらいたいと思います。
だから鏡を見て、
目の前に下手な人がいてもあなたは優しくできるはずです。
まだまだ色んな角度の視点で、うまい付き合い方があるので
また記事にしたいと思います。
下手というのは相対的なものもあったりしますが、
立派な方と比べるほど辛辣になってくるし、
その行為に意味はあんまりないと思うので、
一旦置いときましょう。
大切なのは
自分自身を個別に、絶対的にみたときに、
"下手だと思った部分"と
"上手な距離感や角度"で
向き合うこと
だと思っています。
きっと下手で下手で下手で…も上手に付き合うことができます。
と我が子にも伝えていこうと思っています。
上手なことも、とてもとても素晴らしいです。
「上手い!」と思ったら、チップで応援できるらしいですよ。