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一霊四魂と古神道の日拝

日本のいにしえの智慧を、伝統をただ探っているだけでは意味がない
そこに今の、2024年の時代の転換期を解決するための問題意識を持ちながら、活動し、発信している人の考えを探るべき
そのような時代認識を持つ一人として、古神道で活躍し始めている表博耀おもてひろあきさんという方がいます


表博耀さんの日拝鎮魂法

日拝鎮魂法にっぱいちんごんほうとは、朝の太陽の光を浴びて、神様の御神氣をいただく行です

表さんは次のように言います

古典神道では、その御神氣をいただいて荒魂を整え、和魂を活性化し、奇魂と幸魂の働きを強めるための行があるのですが、その一つが 日拝鎮魂法です

古典神道と山蔭神道 日本超古層【裏】の仕組み

ここで 御神氣 というのは、表さんは 大自然のエネルギー と表現していました

さてここで気になるのが
荒魂、和魂、奇魂、幸魂 という用語です
じつはこれは、一霊四魂いちれいしこん という霊魂観がもとにあります

本田親徳ほんだちかあつの一霊四魂

一霊四魂(いちれいしこん)とは、人の霊魂は天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つのから成り立つ、という、幕末の神道家の本田親徳によって成立した本田霊学の特殊な霊魂観である

Wikipedia
一霊四魂

一霊四魂説のもっとも一般的な解釈は、神や人には荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま、さちみたま)・奇魂(くしみたま)の四つの魂があり、それら四魂を直霊(なおひ)という一つの霊がコントロールしているというものである和魂は調和、荒魂は活動、奇魂は霊感、幸魂は幸福を担うとされる

Wikipedia

これらの説でもう少し、各個別に探っていくと

荒魂(あらみたま)

」は荒魂の機能であり、前に進む力である。勇猛に前に進むだけではなく、耐え忍びコツコツとやっていく力でもある。行動力があり、外向的な人は荒魂が強い

和魂(にぎみたま)

2つ目の魂の機能は和魂であり、親しみ交わるという力である。その機能は、1字で表現すれば「」である。平和や調和を望み親和力の強い人は和魂が強い

幸魂(さきみたま)

3つ目の魂は幸魂であり、その機能は人を愛し育てる力である。これは、「」という1字で表される。思いやりや感情を大切にし、相互理解を計ろうとする人は幸魂が強い人である

奇魂(くしみたま)

4つ目は奇魂であり、この機能は観察力、分析力、理解力などから構成される知性である。これは、「」という1字で表せる。真理を求めて探究する人は、奇魂が強い。

直霊(なおひ)

これら4つの働きを、直霊がフィードバックし、良心のような働きをする。例えば、智の働きが行き過ぎると「あまり分析や評価ばかりしていると、人に嫌われるよ」という具合に反省を促す。つまり、この直霊は、「省みる」という機能を持っている。


以上の内容が本田親徳の一霊四魂です

しかし一霊四魂説は、本田親徳とその後継者たちの神学的な解釈から生み出されたとみることもできるそうです

本居宣長は、魂には大きく荒魂と和魂の2種があり、和魂にはさらに幸魂と奇魂の働きがあるとしており、四魂としてまとめてみるようなことはしていない そうです


相曽誠治の日拝鎮魂法

昭和の神道家に相曽誠治さんという方が、日拝鎮魂法について語っていらっしゃいます

その相曽さんの考えでは、
荒魂と和魂は大地(地球神)からお預かりした肉体に宿る魂だそうです
対して奇魂と幸魂はお日様(太陽神)分魂わけみたまとのこと

魂魄の特徴

そして特に相曽さんの考えで注目すべきなのは

奇魂と幸魂は太陽光線の中に含まれています
鎮魂とは本来、荒魂と和魂の悪い側面を抑制し
奇魂と幸魂の働きを活発にさせることです
太陽拝(日拝)をたゆまないで継続していますと
徐々に鎮魂の境地に到達できます

ふしぎなはなし

どうでしょう
この考えは文頭にあげた表博耀さんの

古典神道ではその御神氣をいただいて荒魂を整え、和魂を活性化し、奇魂と幸魂の働きを強めるための行があるのですが、その一つが 日拝鎮魂法です

日拝にたいする考え方と似ている感じがします

密教曼荼羅との関連


相曽さんの達見
奇魂と幸魂は太陽光線の中に含まれています

私はこの文章を読んだとき、ピンときました

これって、金剛界曼荼羅の世界じゃないの!

金剛五智如来

以前の記事で書いていますが
金剛界とは、金剛石(ダイヤモンド)のように何があっても壊れない智慧の世界をいいます
その中で大日如来(だいにちにょらい)は金剛界の中央に位置し、偉大な智慧を人々に伝える役割を持っています

大日如来は太陽神なので、その光をイメージしながら光明真言を唱え、三密瑜伽の瞑想をするならば、妙観察智や平等性智、大円鏡智などの智慧が身についてくると解釈できるわけです

大日如来=太陽神を拝すれば
奇魂が活性して、金剛界の智慧をさずけられる

古神道では太陽拝(日拝)の行
密教では大日如来の三密瑜伽の瞑想
到達する世界は一緒 ということでしょうか!

それでは胎蔵界曼荼羅と幸魂はどうでしょうか?
ピッタリと一致するとは思えませんが
大日如来の慈悲のもとで、発心→修行→菩提→涅槃 と成長していく人間を見守っているという感じは、人を愛し育てる幸魂を連想させますね

直霊

本田神道では、直霊を良心のようなもので、省みる機能でバランスをとる働きがあるとしていました

では表さんはどう考えるのでしょうか?

人間の本質・本体はこの天祖(祖神)の思い・祈りが込められたエネルギー体(霊魂)であって、それゆえ神の分霊わけみたまといいます
ですから、どんな人の中にも神性(光)が宿っていて、その直霊を開花させることが神の子である人間としての役割であり、輪廻転生の目的でもあります

初代スサノオ p143
初代スサノオ

まずここでいう天祖とは

  • アメノミナカヌシ:宇宙の星々を統率する神

  • タカミムスビ:精神を司る神

  • カミムスビ:物質を司る神

の三神をさしています
そして直霊とは生まれながらに、人間に元から備わっている本体意識・エネルギー体のことを言ってます

古典神道では、次のように考えているそうです

水:肉体=物質
火:霊(魂の火・直霊)=目に見えないエネルギー
肉体(水)の中の霊性・直霊(火)を開花させることで、
火(カ)と水(ミ)が極まって神人合一に至ることができる

初代スサノオ p180

そして日拝を続けることで、ヒ(霊・火・日)のエネルギーが体内を満たして光と一体化してきます
また第3の眼が活性化するので、物事の奥まで見通せるようになります

初代スサノオ p233

ということで日拝をしていくと
閉じられていた人間の本体意識である直霊が、日(火)のエネルギーに感応して花開き、本来の能力が活性化してくるということです

なんとこの様子は
以前記事にも書きました
大日如来(太陽神)の光を浴びて、
すべての人にあるマニ宝珠が
蓮の花の如く開花していく
光明真言の世界と一致しているのです

光明真言で心の花を開く

古神道では直霊と呼び
密教ではマニ(宝珠)というのです

神道でも密教でも言ってる中身は
同じなんだなと感じました


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