光明真言に五智如来も隠れてる
前回の記事では
光明真言に
胎蔵界曼荼羅の胎蔵界五仏が
秘蔵されてたことを書きました
今回は、ネットの動画や記事にもある
光明真言に
金剛界曼荼羅の五智如来が
隠れていることを書いてみたいと思います
弘法大師空海さんも、言ってます
真言の解釈には
何とおりもの意味が隠されています
今回もその一つの解釈と
理解してもらえればと思います
金剛界曼荼羅
【真言八祖】
密教を伝えてきた偉大な祖師を真言八祖と呼びます
2種類あります
その中には光明真言を音訳した不空や、空海さんもいます
上の伝持の真言八祖を見ると
善無畏 → 一行 と伝えられた大日経系と
金剛智 → 不空 と伝えられた金剛頂経系が
恵果によって統合され
空海さんに伝えられたという歴史が見て取れます
この大日経系の教えを、視覚化したのが胎蔵界曼荼羅
金剛頂経系の教えを、視覚化したのが金剛界曼荼羅です
【金剛界曼荼羅】
以下の図が、金剛界曼荼羅の全体像です
その真ん中にある、黄色い枠で囲った場所を 成身会 と言います
成身会を拡大したのが、以下の図になります
さらに青枠で囲った中心部分が以下の図です
ここに 五智如来 が配置されています
光明真言と五智如来
さて、それではこれから
光明真言に隠れている
五智如来をひとつひとつ探っていきます
光明真言の全体は以下の文でした
一語一語の意味については
過去の記事にありますので
そちらを参照
①大日如来
まず金剛界とは、金剛石(ダイヤモンド)のように何があっても壊れない智慧の世界をいいます
その中で大日如来(だいにちにょらい)は金剛界の中央に位置し、偉大な智慧を人々に伝える役割を持っています
以下の不空成就如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来の各智慧は、すべて大日如来から発せられていると考えられています
では光明真言では、どの言葉に当たるかというと、ベイロシャノウ になります
ベイロシャノウ とは 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ) をさします
毘盧遮那仏は、世界を照らす太陽のような性質があります
密教以外の宗派では 毘盧遮那仏 と呼び
密教では 大日如来 と呼んでいるそうです
②不空成就如来
不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)と言います
不空成就とは、必ず成し遂げるという意味があり
人々に目標を達成させるための力を授(さず)けると云われる
では光明真言では、どの言葉が該当するかというと、アボキャ になります
光明真言を音訳した中国の僧、不空という方ではありません
不空成就如来の智慧は 成所作智(じょうしょさち)と言われます
全てのモノを完成させる智慧という意味です
う~ん、よくわかりませんね
以下は私の推測なので、解釈の一つとお考え下さい
アボキャは、次の単語 ベイロシャノウ(大日如来=太陽神)を形容する言葉と考えられます
太陽というのは地球の植物を育て成長させ、また海に熱を注いで、水の循環を生み出しています
さらに人の心を明るくし、ビタミンDを生成し、免疫力を高めています
つまり地球上のあらゆるモノ・すべてのコトに威力をふるい、生成しているわけで、それを直観した過去の偉人が 成所作智 と表現したのではないでしょうか
③阿閦如来
阿閦如来(あしゅくにょらい)と言います
阿閦とは、揺るぎないものという意味があり、物事に動じず迷いに打ち勝つ強い心を授(さず)けるとされる
それでは光明真言のどの単語になるかというと
マカボダラ になります
以前の記事でも説明しましたが
マカボダラとは 大いなる印(大印)という意味で
手に印、口に真言、心に仏を抱き一体となる
この3つが1つになった状態をさす
つまり身口意がそろった三密瑜伽のことを言います
阿閦如来の智慧は 大円鏡智(だいえんきょうち)と言われます
すべてのモノを鏡のようにありのままに映す智慧です
う~ん、どういうことでしょうか?
以下も推測した内容なので、ひとつの解釈とお考え下さい
三密瑜伽は座って、印を組み、光明真言を唱(とな)え、太陽をイメージする瞑想です
大円とは太陽であり、それを鏡に映すように、自分の身体に入れるイメージをする瞑想です
そのコトを、大円鏡智 と表現しているのではないでしょうか
この三密瑜伽(瞑想)を繰り返していくと、太陽の光つまり生命エネルギーが心と体に取り込まれ、結果として物事に動じず、迷いに打ち勝つ強い心と体が育ってくる、つまり阿閦如来の働きが出るということです
④宝生如来
宝生如来(ほうしょうにょらい)と言います
宝生とは、宝を生み出すモノという意味があり、人々の願いにそって、あらゆる宝物を授けると云われています
物質的な宝物(財宝)だけでなく、精神的な宝物(心の幸せ)も含まれます
それでは光明真言では、どの単語が該当するのでしょうか?
それは マニ となります
マニは、意のままに願いをかなえる如意宝珠のことでした
宝生如来 と 如意宝珠
宝という字が共通にあるので、わかりやすいですね
宝生如来の智慧は、平等性智(びょうどうしょうち)と言われます
すべてのモノが平等であるということを知る智慧です
以下も推測した内容で、解釈の一つとお考え下さい
マニ(宝珠)というのは、すべての人の中に入っています
真我とか魂とか潜在意識とか良心とか
表現はいろいろあるでしょうが、入っています
ただ洗脳や教育などで曇らされているでしょうが
まちがいなくすべての人に平等に入っています
このことを 平等性智 と表現したのだと思います
⑤阿弥陀如来
阿弥陀如来(あみだにょらい)と言います
永遠の命を持ち、まばゆい光で人々を照らします
そして人々を極楽浄土に導きます
極楽浄土とは苦しみがなく、黄金に彩られた美しい世界と表現されます
それでは光明真言ではどの単語になるでしょうか?
それは ハンドマ と言われてます
ハンドマ とは開いた蓮の花という意味でしたね
修行を続けて、つぼみ状のマニを、みごと花開かせて悟った存在が如来となり、光をまわりに与えるようになったのが阿弥陀如来というわけです
金剛界の阿弥陀如来の智慧は 妙観察智 と言われてます
すべてのモノを正しくとらえるという智慧です
蓮の花が、どうして妙観察智なんでしょうか?
以下は個人的な解釈となります
いにしえの祖師は、蓮の花をしっかり観察して感得したのではないか
蓮の根は池底の地中から、しっかり養分を吸収
やがて水を取り込みながら、水中を伸びていく
水面に出たら、風に会い、大気を取り込んでいく
大空を仰ぎながら、まっすぐに太陽の光を浴びようと大きく花開かせる
ここには仏教の五大のうち 地・水・風・空といった四要素があふれていると観察し感得した
また泥水の中から、清らかな花を咲かせる姿に
苦しみの中から、修行して悟りを開くといったコトを
観察し感得した
これが 妙観察智 なのではと思います
まとめ
光明真言には金剛界曼荼羅の五智如来が内蔵されていました
五智如来それぞれのマントラ(真言)を別個に唱えるよりは
光明真言を唱えたほうが
一度で五人分を唱えることになるので
効果は高い といえますね