温度感
湯船に浸かってる時「生温い」って
言葉についてふと考えてた。
物理的だといいのに心理的だと
途端にダメみたいな感じなの何でだろうって
人間関係で「生温い」はダメなの?
寧ろ心地良いのでは?
仕事に対する温度
家族・恋人・友人に対する温度
それぞれの適温で生きていける
世の中だったら最高だな🙄
でも、賢いお偉いさん達がそれでは
経済がなんちゃら〜ってなるんやろね。笑
まぁ自分は基本的に「生温い」人間だと思ってる。
部分的に冷たかったり、熱かったりする。
たぶん皆んなそう。
だから、職場で全然働かない人で
イライラしたら「あ、この人は仕事に対して冷たいんだ。でも私は熱い。だから職場が適温なのか。」って思う。
困るのは恋愛に対する温度感。
ここに対しては歳を重ねるにつれて
人によって温度差が激しい。
何なら職場と違って同じ温度じゃないと
いろいろ面倒くさい…笑
だけど同じ温度感の人って最初から
見つけるの難しいから調節するけど
基本足し湯な気がする。
恋愛で冷め湯は言葉の通り。笑
熱過ぎるとのぼせて長くない
冷た過ぎるとこれも長くない
やっぱり「生温い」が心地良いんよね。
「そんな生温いとダメだ!
高める為に常にポジティブ!向上心!!」って
ハングリー精神剥き出しの熱い人が
言うけど、お肉と同じで熱過ぎたり
長時間だと周りや思考回路が
カチコチになりそう。
しなやかで柔軟でいたいのならば
「生温い」でも大丈夫。
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