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愛する愛される

愛したいか、愛されたいか、みたいな話になったとき、混乱して涙が出た。

愛するって何?愛されるって何?いずれにせよ、どちらの行為も、一瞬それらしいことを経験したら、すぐになかったことになって、「ほら見ろ、愛なんてものはやはりわたしには関係のないものなんだ」と目が醒めて、終わるとしか思えない。虚しい気持ちだけが取り残されて、白い空間にポツンと立たされ、終わる。みじめさだけが、のちのち残されて、さらに冷めた人間になる。苦笑いを浮かべながら、そうだよね、わたしには関係ないよねと、へらりと言い放つじぶんが容易に想像できる。喪失感を体験するくらいなら、愛はなくてもいい。

混乱して涙が出たときのわたしの頭のなかは、こんな感じだった。愛って心が担当することなのに、頭で考えがちである。今ふりかえると、話題が出てから涙が出るまでの数秒の思考回路は、こんな感じだったんじゃないかなと思う。

恋愛の関係で愛する愛されるがじぶんの身に成り立つことがまったく想像つかない。成り立つさまを仮で想像してみたら、逃げ出したくなった。心が小さいから、それをカバーできないのだと思う。

ただ、情はあるんだよな。執着も。愛はないけど情があり、執着するのがわたしという人間なきがする。

ていうか「愛」を語ろうとするじぶんが気持ちわるくなった。なんだこれ?

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