常連の彼女
伸二は田舎から大学に通うためにこの大都会に上京してきた。ワンルームのアパートに住んでいる。身長も体格も平均値な平凡な男だ。顔は童顔なおかげで、初対面の相手ともすぐに仲良くなれる特性を持っている。
そんな伸二の大学生活はというと、他の大学生と同じように、単位を落とさない程度に授業に参加し、それ以外はバイトとサークルと遊びに費やしていた。
1年生の時に付き合った女に3年生の時に振られた。
その失恋のショックを補うために、煙草を吸い始めた。伸二にとって煙草は実家の香りだった。(いつも実家は父と兄が吸う煙草の匂いで充満していた。)
その匂いが嫌いではなく、むしろ好きであった。特に珈琲と煙草の混ざった香りは、伸二にとってスパイスをふんだんに盛り込んだカレーのような存在であった。
ただ歯が黄ばむのが嫌で煙草を避けていただけだったが、吸っていなかった頃でも敢えて喫煙室で珈琲を堪能した。
そんな伸二が喫茶店のアルバイトを始めたのは、自然の摂理だ。
その喫茶店は分煙はされているが、店全体に、あの珈琲と煙草の香りが充満していた。
喫茶店の朝は早く、朝の6時には開店させなければならなかったので5時半にはお店についていなければいけなかった。だから起きるのはいつも4時半だ。
伸二は朝に強かったので起きるのは苦では無かったが、真冬の寒さは若くても身に染みた。
冬場は開店時間になっても薄暗い日が続く。
朝一には、ちょっと変わった来客が少々訪れる。
その際たる人物が彼女だろう。彼女はいつも開店時間とともに訪れる。
使い古したタンブラーを片手に。
彼女といつものように、おはよう。のあいさつを交わす。
彼女が注文するものはいつも決まっている。
一杯のお湯だ。
僕らは笑顔で彼女のタンブラーにお湯を注ぐ。
彼女は満面の笑顔でありがとう。と言う。
その笑顔は明け方なのに、昼間の太陽のように輝いている。
そして彼女は少しだけ店内で暖を取り、家に帰る。
帰る家は無いのだけれども。
そう、彼女はホームレス。
うちの喫茶を出た後は、休憩室が設けられているスーパーや、大型ショッピングセンターのフードコートで夜まで過ごす。
そして夜は外で過ごす。
どんなに寒いのかは、彼女の張り付いた肌を見ればわかる。
肌は渇きに乾いている。
だけどこんな状況でも彼女の心は渇かない。
たった一杯のお湯に、全身全霊で感謝してくれるのだ。
どんな状況に立たされていても心の潤いだけは保っている彼女の姿を見て
伸二も心だけは渇かさないと誓った。
そして今日も彼女におかえりの意味を込めておはようと言う。
おはよう。
完
この短編は、こちらのコンテストへ応募するために書き始めたものです。書き進めるうちに、お題のおはよう。よりおかえり。な物語になってはしまいましたが、その時の心情を思い返すきっかけになりました。このコンテストの存在を知らせてくれた夕雪さん、ありがとうございます。
終わり
ここまで読んでいただきありがとうございます。