とりあえず紙で。(秋ピリカグランプリ応募作品)
せめて酔いのせいにしたいのにできない。
俺は現在、歓迎会に参加している。
何社も落ちて、やっと掴んだ仕事だ。
入社初日は会社の人達と上手くやっていけるか心配していたけど、どの部署の人達も仏の様に優しくて、こんなホワイトな企業があるんだと嬉しい気持ちになったのに。
帰りにローソンで買ったビールはあんなにも美味しかったのに。
社会にでるとこれまでの常識は通用しないことは想定していたが、これが社会なら社会はエキセントリックにクレイジーだ。
歓迎会で、直属の上司が当たり前のように
「とりあえず一杯目は紙でいいよな」
と周囲に大声で確認を取り出したからだ。
そして周囲は周囲で
「はい、紙でいいです」
「いやーこの一杯目の紙を呑むのを楽しみにこの一週間頑張ってきたんすよ」
「私も最近は一杯目の紙の美味しさに気づいてきちゃって」
とか当たり前のように応対しているのもおかしい。
俺はひどく困惑した。
けど、察しが良い方だから、嗚呼なるほど、印刷会社だから、ビールの事を紙って呼んでいるんだな、と気づいた。
内輪ノリが一番チームを団結させるし、面白いもんな。けどどんだけ紙に愛を注ぐ会社なんだよ。申し訳ないけど若干キモい。
そんなことを内心では思いながらも、上司に
「お前も紙でいいよな?」
と聞かれた俺は満面の笑みで
「もちろんっす、一杯目どころか、何杯でもいけます。俺大人になってから紙が一番好きなんすよ」
と言っていた。
嘘ではない。ビールだったらいくらでも飲めた。
けど実際に店員が持ってきたのは、疑う余地もない程に立派で真っ白な紙だった。
その紙が洒落た木目のサラダボウルにキャベツをちぎったように盛られている。
皆の前に紙が並べられた。
上司らは
「乾杯!うひょー相変わらず美味そうだこった。いただきます」
そう言って、むしゃむしゃ紙を食べだした。箸も使わず素手で。
しかもどうした、めちゃくちゃうまそうに食べてやがる。
察しの良い俺はまたすぐに気がついた。
そうか実は紙がビールの味か、少なくともキャベツの味になっているのだろうと。
ふーまた騙される所だった。
凡人なら騙されるようなことでも俺は騙されない。
俺がこれまで何冊のミステリー小説を読んできたと思っているんだ。相手が悪かったな。
そうやって、ひとり勝った気になって、紙を食べた。
そしたらどうだ、紙はちゃんと紙の味がした。
そしてそれはあの日の味だった。
猛勉強して絶対に合格だと思っていた大学から不合格の紙が送られてきた日。
俺は現実を受け入れられなくてその紙を食べた。
食べても不合格という現実は消えないのに。
紙はただただ不味いだけなのに。
その日の夜に母ちゃんがおにぎりを作ってくれた。
おにぎりの具は俺が一番好きな鮭だった。
この会が終わったら自分でおにぎりを作って食べよう。
どれだけ信じられないことが起きたって明日も生きていくのだから。
(そしてすぐに辞表を書こう)
終 1180字
ここまで読んでいただきありがとうございます。