風があの日の想いを優しく運んできてくれた
ゼロの紙さんが当初からオススメされていた藤井風さん。
彼の新曲旅路を聴き、歌詞を読んでいると、ある思い出が蘇ってきた。
その思い出を語る前にこの曲について。
この旅路という曲は彼の母校の高校の卒業生に贈る歌だったそうだ。
そう言われて聴くと、確かに卒業生へのエールに聴こえる。
だけれども、卒業生でも無い僕の心にも彼の歌声が浸透してきた。心の奥底にだ。
そして僕は亡くなった親友のことを思い出したのだ。
その時の風はどんなふうに吹いていただろうか。
小さな子供が、小さな子供が映った遺影を抱えて卒園式に望んでいる。そんな光景が蘇ってきた。
僕が幼稚園児だったころ、僕には親友がいた。
勇気君という子だ。同じ団地の真正面に住んでいた。
何をきっかけに仲良くなったのかはわからない。最古の記憶を辿っても、その最古の部分には既に勇気君の存在があった。
だから生まれた時から、友達だった感覚だ。
勇気君とはよく追いかけっこをして遊んだ。幼き頃は、ただ走るという行為ですら、世界が違ったものに見えて楽しかった。
自ら風を生み出せることも快感だったのだろう。
だけどしばらくして追いかけっこはできなくなった。
ある日、勇気君の家に行くと、そこには丸坊主の勇気君の姿があった。
僕は幼稚園児ながら、ああ、勇気君はもうすぐ死ぬんだな。と理解した。
せめて、卒園式には一緒に出席したかった。
だが、それすらも許してくれなかった。
卒園式を待たずして、勇気君は旅だってしまった。
悲しいより、悔しい思いが強かった。
こんな病気を与えて、こんな早くに命を奪うなら、勇気君はなんのために生まれてきたのだ。なぜ命を与えたのだ。
そう思うと悔しくて悔しくて涙がホロホロ溢れ落ちた。
そしてその時勇気君に誓った。
君が生きてきた意味を証明するために、僕が君の分も生きるよ。なんでも二倍楽しんで、二倍苦しんで、二倍幸せになってやる。
そう心に刻んだ。
そう思ってしまった僕は変にガムシャラだった。何にでも全力投球すぎて空回りばかりしていた。苦しかった。勇気君の分まで生きると言っておきながら、自分の分の人生すら抱え込めていなかった。
そのことに気づいてくれた女の子がいた。中学の時仲良しだった女の子だ。
彼女には不思議となんでも話ができた。その子に勇気君のことを打ち明けた。
そしたら彼女はこう言った。
「辛いだろうけど、友達が死んだくらいまだマシよ。私なんてお母さんが死んでしまったんだから。それにね、勇気君の分まで生きるなんて、馬鹿じゃない?それで喜ぶと思う?今の苦しそうな貴方をみて勇気君は喜ぶと思う?まずは自分を大切にしなさいよ。」
こう言われた瞬間は、正直腹が立った。友達が死んだくらいってなんだよ、って。でも家に帰って冷静になると彼女の言葉が胸に響いてきた。
そしてこの時、僕は勇気君への誓いを破った。
勇気君ごめんね。僕は二倍分も生きられる程の度量を持ち合わせていなかった。だからまず自分の分の人生をめいいっぱい生きてみるよ。
その時の心情と旅路の冒頭が重なった。
あの日のことは忘れてね 幼すぎて知らなかった 恥ずかしくて消えたいけどもう大丈夫旅路は続く
あの日のことは忘れるね みんなだって迷っていた この宇宙が教室なら隣同士学びは続く
あの日誓ったことは忘れてね。幼すぎて知らなかったんだ。二倍生きることが、君が生きた証になどなりやしないことを。だからあの日のことは忘れるね。これからは僕の人生をそこから見ていてほしい。
そして気づいたんだ勇気君。君が生きた証がここにあることを。君の生きた証をどう残そうか必死に考えていく中で、いつの間にか、僕は人に優しくできる力を身につけていたんだ。
僕は地味でスポーツもそれほどだろ?でも素敵な奴らが友達になってくれる。それは僕のこの優しさを感じてくれたからなんだ。
それでさ、この優しさ、誰が与えてくれたものかって考えたら。
それが勇気君、きみだったんだ。
果てしないと思えてもいつか終わりがくると知らなかった昨日までより優しくなれる気がした
これから果てしない未来が僕らにあると思っていたけど勇気君の終わりはきてしまったね。 でも終わりがくると知れたから、僕は昨日までより優しくなれたんだよ。
そして勇気君が与えてくれた優しさで、これからも誰かを愛し、誰かに愛を返していくね。
旅路を聴きながらこんな風に思った。
この曲は、きっと今の状況も乗り越えて愛を返せるくらい沢山の愛に溢れる日、笑える日がくるさ、と訴えかけてくれる。
東日本大震災から10年目を迎えようとする僕らの心に彼のエールがそよぐ。
終わり