突貫小僧・河西守生
僕についてnoteを書いてくれた守生へのanswer songならぬ、answer note。
僕の蹴球人生において、河西守生という漢は大きな存在です。
▪︎小学校時代
出会いは幼稚園に遡りますが、同じチームでサッカーをしていたのは小学校時代です。通っている学校は別でしたが、ほぼ毎日のように一緒にボールを蹴っていました。その頃からもう突貫小僧でした。
僕の常に一歩先のレベルにいた守生。同地域に何人かいい選手はいるものだけど、僕的には、お世辞抜きで守生が一番いい選手だと思っていました。
▪︎中学時代
僕はFC府中、守生は府ロクへ。別のチームになりました。一緒のチームでやる選択もできましたが、あえて別のチームにしました。
僕はその頃、メジャー・茂野吾郎に感化されすぎていて、魅力的な選手や上手い選手と闘いたいと思っていました。それが守生だったから、そうしました。
FC府中と府ロクは、練習場所も隣で常にバチバチのライバル関係。最高の環境でした。
中学3年間で2度の対戦でしたが、ほんとに楽しかった。そして、やっぱり守生が活躍してました。点決められて、それがめちゃくちゃ悔しくて、だけどなんか嬉しかったのを覚えています。
▪︎高校時代
僕は実践学園、守生は名門流経へ。正直差ついたなと。でも、超刺激になった。いつも一歩先には守生がいる。それがある意味、発奮材料。
いきなりとんで高校3年、夏のインターハイ。準決勝、流経vs青森山田。スコアレスドローで迎えた後半アディショナルタイム、試合を決めたのは、河西守生。
やー。
すげー。
河西守生で埋まるTwitterのタイムライン。
また1つ発奮材料。
やってくれるな守生って感じ。
▪︎大学時代
僕は順大、守生は流大へ。
小学校時代から今も尚お世話になっているお爺ちゃんコーチから長期休みになれば必ず招集がかかる。3人でご飯。近況報告、昔話。
関東1部の大学でサッカーをしている選手が今までいなかったらしく、いつも同じテンションで喜んでくれた。
恩返ししたいね。守生。
話戻って大学時代。練習試合で顔合わせることが何度かあって、少しだけ会話する。何も変わらない。熱かった。燃えてた。最高のライバル。
それでもやっぱり一歩先は守生。守生のトップチームデビュー戦は、僕が所属する順天堂大学。
サッカーの神様。これは完全にやってるね。やってるとしか思えない。でも、有り難く頂戴しました発奮材料。
▪︎進路
守生からのLINE。
『俺SHIBUYA CITY FCでサッカーすることにした』
こんな偶然あるのかと思った。
丁度その時僕は、SHIBUYA CITY FCへの練習参加が決まっていた。
そこから入団が正式に決まり、10年ぶりに守生とまた同じチームでサッカーをすることになった。
誰かこれマンガにしてくれ。って感じ。
・・・
俊輔のサッカーに対する情熱で僕ももう一段階情熱が燃えています。完全に油を注いでもらいました。
俺も守生のサッカーに対する情熱で五段階は燃えたぎってる。俺の蹴球人生、ずっと油注いでくれてるのは間違いなく守生。
殴られても殴られても殺されかけても何度も何度も立ち上がります。
俺らに合ってる言葉かな笑
雑草魂。ムリ、ムダ、そんな言葉を言われても諦めが悪いから俺らは。何度でも立ち上がろう。たとえ転んでも、ただでは起き上がらない。強くなろう。
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