『なれる最高の自分になる』
『来年にはもう少し生きやすい世の中になってるだろ』
勝手にそんなことを思っていました。
昨年の今頃も緊急事態宣言により、自粛を余儀なくされました。もちろん練習もなくなりました。
大学サッカーラストシーズン。熱量は勝手に上がります。でも、リーグ戦が開催されるかも不透明でした。生きた心地がしませんでした。
こんな状況下で、あいつより俺の方が辛いとか、苦しいとかはとんでもなくアホくさいので言うつもりもありませんが、率直になんで今なんだよって。
色々苦しかったなー。
原付で3分で着くはずの順大がやけに遠く感じた。
田んぼ道は、スプリントするにはもってこいだけど、いくら走っても景色は変わらない。
しまむらには入ったことないけど、狂ったようにしまむら裏の坂を走った。
スーパータイヨーへの買い出しがあの頃の大イベントだった。
買い出しに行けば、順大生が外を出歩いてるという苦情を入れられる。
いや買い物くらい行かしてや。
でもしょうがない。そんくらい敏感になる。何が何だか分からない。怖い。
だから、なるべく人と接触するのを避けるために早朝に自主トレをしていました。欠かさずにやりました。
半分は、もし明日からトレーニングを再開すると言われてもスーパーコンディションでいるため。もう半分は、不安を埋めるためでした。
1ヶ月程経っても状況は好転するはずもなく、ふと思ったのは
何のために頑張ってんだろうと。
めちゃめちゃ悲しい気付きでした。
このまま大学サッカーを終えることになるかもしれない。
モチベーションを失いました。
だけど、それでも、トレーニングをしました。
・・・
早朝からの自主トレを約3ヶ月、1日も欠かさずやりました。
またグラウンドに立てる日に向けて強くなるために、毎日積み重ね、それは習慣になりました。
仮にリーグ戦が開催されるか不透明でも、その頃にはもう関係ありませんでした。
自分の力でコントロールできないことにどれだけ頭を悩ませても時間だけが浪費される。今はとにかく自分の力で "変えれるもの" にとことん集中しようと開き直りました。
それに、沢山の人が自分の置かれている境遇に同情してくれたことがある意味大きかった。有り難かったけど、それがなんかムズムズした。表現力が乏しすぎるが、ムズムズが一番近い。リーグ戦が開催され、仮にいい結果が出なくてもコロナだったからしょうがないねって言ってくれる。逃げれる。結果と真正面から向き合わないで済む。
いや違うと。どんな状況でも結果を追い求めて努力することをやめない。そして、どんな結果が出てもそれを全て自分の人生で引き受けなければいけないと。そう思って、また頑張れました。
そして、なぜ頑張るのか。理由を明確にできたことも大きかった。
動機付け。自分で意味付けするのか。それとも自分ではない誰かにしてもらうのか。
自分でモチベーションを生み出すのか。それとも生み出してもらうのか、生まれるのをじっと待つのか。
いつまで経ってもご褒美がないとテスト勉強を頑張れない子どものままではいられない。
頑張ることをやめることは、自分にとって終わりを意味するし、モチベーションの有無や高低で今日のトレーニングの強度を左右されるわけにはいきません。
今日頑張る理由は『なれる最高の自分になる』(=自己実現)ため。
『なりたい』ではなく、『なれる』です。
それが最高のモチベーションであり、原動力です。
だから、今日も、明日も、頑張れます。
ずっと、ずっと、頑張ります。
#蹴球人生
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