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どこから、どこへ?
「どこへ行く途中なんだろうか?」
とか。
「どこから帰ってきたんだろうか?」
とか。
歩いてる人を見たら思う。
それは車の運転手中見かけたあの人だったり。キッチンの窓から見える通行人のあの人だったり。たまたますれ違ったあの人だったりする。
早歩きのあの人はきっと慌ててる。どこに行くか知らないけど間に合うといいなと思った。
おしゃれなあの人は大切な誰かに会いにいくのかな。全身靴までのホワイトコーデ素敵です。どうか彼に会えるまで汚さないでね。
Uberのサイコロみたいなのリュックを背負ったマクド前のあの人は本日何度目の配達だろうか。
マクドに一日で最高何回いったんすか?聞いてみたいものだ。
毎朝7:08分にキッチンの窓から見えるあの人は今から通勤なんだろうか。夜勤あけで帰宅する途中なのだろうか。
雨の日も晴れのも必ず見かける。行き道なのか帰り道なのかわからないからご苦労様ですが日課の挨拶。心の中だけで。
毎日同じ時間に歩くその人を毎日同じ時間に窓から見届けるわたし。不思議な縁だこと。そして窓から見られて勝手にお疲れ様を贈られていことも知らないあの人は今日もそこを通っていった。やっぱり今日もご苦労様。だって今日はとくべつ寒いもの。
歩いてる人はまだまだいる。
運転中、右歩道におじさんが歩いてた。
絶対美味しいみかんの皮の色をしたウィンドブレーカー。青いより青いスパッツ。つまり眩しい出立ち。
その歩調と腕の振り具合と鍛えられたシュッとした肉体からおじさんはきっとウォーキング中なのだろう。健康は日々の鍛錬ですな。いつかそうなりたいものです。心で独り言をぼやき車を発信させる。さよならおじさん。
次に目に飛び込んできたのは文字がバックプリントされたアウターを羽織ったお兄さん。車内でかけていたソウルセットの全て光のメロウなテンポに歩調と佇まいがどことなくあってる。
後部座席に座る長男(中一)があの人と音楽あってるなと同じ画面を切り取ったから可笑しかった。親子っぽさを発揮する瞬間がここなわけだ。普段同じ空間で生きてるんだなと強く感じたりした。
施されたバックプリントが映画のエンドロールみたいでまるで彼が今この世界の主人公のようだと思った。左右に肩を振ってノソノソ歩く度に揺れる文字がなにか言いたげだ。彼が主演の映画はバットエンドだったのだろうか。ハッピーエンドだったのだろうか。
エンドロールはゆれながら遠くに消えた。バットでもハッピーでも彼は束の間のこの世界の主人公だからどちらのエンドでも誇りに思って欲しい。だけど、彼からしたら束の間ではなく、彼が人生の主人公で間違いない。だからやっぱり誇らしいでいいのだ。
観客の私はそう思いながら車から映画を見終える。
車は走る。
ミナミの雑踏の中横断歩道を横切るあの人髪はきれいだ。スーパーロングの黒髪を持つことを許されるにはたくさんの関門をクリアしなくてはいけない。ナチュラルこそ最高の作り込まれた美なのだ。
一人だけ時空を超えてきたかのような歩調でゆっくり歩いてるあの人が目にとまる。目的がないのではないか?なんて勝手に思った。
どこに行くでも帰るでもなく、あてもなく歩くがあの人と目的。
それならそれで。引き続き目的をどうぞ果たしてくだされとあの人を見送った。
歩いてるあの人たちはどこから、どこへ?
あの人の生きてる途中の一コマを見届けるわたしもまた、途中を生きてる。