誕生日はお好き?
本日12月23日。一つ歳を重ねた。
年齢的には立派な大人の42歳。
歳だけは大人…。見た目もそれなり。
なんだけど、
「むしろ年々子ども化している気もする。」 なんて14歳長女に話したら、
「80歳まで生きるとして半分やから折り返して、どんどん赤ちゃんの方に進んでるんちゃう?」
「何かで聞いたで、最終的に頭がしっかりし過ぎていたら、年老いた自分の現実が受け入れ難かったり、残した子孫らを心配し過ぎてしまうから、赤ちゃんみたいに…こう…なんか…ほら、なっていくみたいやで」
「えっ、、、」
「自分の意識を満々にいつまでも保っていだいけど、それはそれで生きづらいのかな…」
「うーーーん。」
「でも、やっぱり最後までしっかりと何もかもわかっていたいな…。」
実際、42歳はどれぐらい生きたことになるのだろう。
年齢だけが基準になるわけではないけど…今、自分がどのあたりにいるんだろうは正直なところ気になる。
42歳にしては○○。この年齢のわりには○○。
○○に当てはまる世間の一般論はだれの一般論だ?
いつもどの年齢を生きている時でも考えてきたのは、焦りにも近い変わらなくてはいけない変身願望。
これじゃない感の否めなさ。
折り返しかもしれないと言われて思ったのは、ドキリとし気持ち半分と、なるほどの半分。
ドキリの方は、もうそんなにも人生を使ってしまったのかと抱く不毛感。
なるほどは、使ってきただけのことはある気づき。
それは受け入れる姿勢。
ここ最近の自分のテーマとも言える。
どれぐらい心地よいところで自分を保てるかの勝負。
自分の心と戦っている。
いつも目の前の現実で見せられているものは、ただ自分の内側の世界であるということ。
認めつづける作業は、全て受け入れるまでは戦いなのだ。
身に降りかかるものが良いか悪いかより、自分がどうありたいか?
ほんとに今その気持ちでいいの?
内側にいつだって問う。
答えは明確でいつもご機嫌でいたい。
そうするとおのずと自分のあり方の指針が決まる。
そのご機嫌が独りよがりな自分だけの世界の中での満足ではないところもわたしが大切にしたいところ。
今その境界線を模索中。
実はこの2、3年あんまり誕生日が好きではなくなっていた。
自分が勝手にかかげたラインに到達できていなくて…
無いがいつも心の大半を占めてきた。
無いと心根で思っているだから、当然どんどん持てるものが欠けていく。
いよいよ、追い込まれて自分を生きようと思いはいじめると追いかけても手に入らないあれこれが集まりだしてきた。
不思議なものだ。
ここ数年の誕生日の中で一番、今日が満たされた。
車をプレゼントされたわけでもない。
ダイヤが送られたわけでもない。
欲しかった憧れのものが手に入ったわけでもない。
普段の日常に少し色どりを添える程度のささやなものがプラスされただけ。
それは主人が買ってきてくれたケーキだっだり、娘の手作りのしおりだったり、自分で自分に買った万年筆のインクだっだり。
夕飯の後の片付けを誕生日特権で一切が免除になることだったり。
友達からのお祝いlineだったする。
それらがダイヤより嬉しくて、車より満足で、幸せの中で歳を一つ重ねることができた。
今までの中で今年よりもっと盛大に祝われた歳も、出来事もあったけど、今夜は心の空洞がポタポタと一粒ずつ落ちる雫に静かに満たされる感じがした。
それでいいが、それがいいになったとき幸せは拡大した。
今回の誕生日に送られたものの中で特に嬉しかったものが2つ。
一つはわたしの苦楽を根こそぎ知っている友達からのlineの一文。
”わたしが頑張っていると思うと頑張れるよ!”
勇気を当たる側の人間ではなかったけれど、この2,3年の過酷な時期をすごした経験が友達の勇気になれたなら良かった。
もう一つは、次女からの手作りしおり。
それは全部で3枚。
それぞれに娘オリジナル格言が添えれている。
コツコツがコシコシになっていたり、
あなたは最高があなな最高になっていたり、
肝心な部分の誤字がひどいけど、心は届いた。
あたはな最高。(あなな最高)は今まで生きてきた中で一番送られて嬉しい言葉となった。
そろそろ、もう一度子どもの頃のように誕生日を好きになれそう。
もちろん両親にこの世に誕生させてくれたことは一番に感謝。
半分まで生きて所詮はその程度の悟り。
大それた何かにはなれないから、ささやかな今をギューーと抱きしめて歳を重ねていこう。
来年の43歳にわたしが手にしているものはなんだろうね。