願ったら叶うを実体験ベースで経験、わたしの指にオパールがやってきた
最近思う。よく思う。
わがまま、素直、正直、傲慢…その境界線はどこに引かれているのだろう。
自分って特別聖人君主じゃないけど、ちょっとだけいい人だよね~
という自己評価を心の成績表につけながら生きてきた。
優しい人。
ぼんやりとそのカテゴリーに属しているっぽいことをしてきてそれでよしとしてきた。
そもそも優しいってなんだ?
言葉尻のソフトさ、顔つきの柔和さはわかりやすい優しさ。その人の心が修羅だったとしても?
愛をもって放つ厳しく辛辣な一言は優しくないのか。その人の心が仏だったとしても?
ずっと抱きしめてきた価値観がデタラメだったとしたら?
自分の正義を疑ってみたら?
自分の本当の想いに気づいてしまったら?
願いと相反するネガティブが自分を守る術であるかの如く…んなわけないと否定してほんとの気持ちを隠していたら…
ほんとの自分はどこにあるのだろう。哲学めいた疑問がずっとずっとずっと心根にあった。
だから、頑なに信じてきた自分像を剥がすことにした。
どんな自分が出てきてもよしとした。
人に対して何を思ってもよしとした。
正直に認めて、認めて、認め、定めることにした。
自分のおぞましさと向き合うともっと苦しくなるかなと思ったけど全く真逆だった。自分のおぞましさをひた隠しにして生きてる方がずっと苦しかった。
絶対にこの胸の内を人に話すことはないだろうな…を話しみた。
震えるほど怖かった。3日ぐらいは背中が痛んだ。それほど緊張した。
絶対にこれは話せないよねっ?の心のマグマを話した。
自分の正直な気持ちを開示したら楽になった。
嫌われるのがずっと怖かった。
人からつけらる通知表こそが大事だった。
わがままって何よ。自分を大事にするとの差って何よ?
正直って人を傷つけるでしょ?
そんなことを思っていたら、勝手にこの歌が浮かんだから風呂で歌った。
そんな気持ちがわかった。
開示、暴露、素直、認める
自分がずっと出来なかったこと。
それが出来るようになると自分が楽になるだけでなく
回りも楽になった。
本音で話してもいい。どう思われても自分が自分を許す。
たったそれだけで変われた。
自分を大切にするって、わがままな人のことだと思っていた。
だからほんとはわがままなのにずっとわがままが言えなかった。言えば自分はどこにも必要とされなくなるみたいで怖かった。
自分の気持ちを認め定めてからは
もっと人から認められるようになった。
欲しいものは欲しがっていいと自分を許した。
てなわけで冒頭のタイトル。
来年の1月の挑戦が関係している。少し前とある挑戦を始めた。
主人に挑戦を話した。
成果が出たら家族に還元したいんだと私は言った。
主人は、
「家族ではなくて自分が頑張ったことの成果なら自分を喜ばすことに使えばいいんちゃう?」と言った。
そんなことんでもない…の価値観が長らくはびこっていたけど、自分のために…。
えっ、いいの? それも許してみることにした。
そして考えた。
自分を励まし続けるものにしよう。
それを見たらいつも挑戦を思いだして、夢って叶うのだ~の自分の糧になるもの。
だから直観で今一番惹かれるものを自分に聞いたら、心はオパールを求めた。
主人に話す。
わたしオパールの指輪買うことにするわ!!
指をみてそこにオパールがあれば、ずっとずっとその時のいい気分を思い出すやろ?そしたらこの先絶対自分には叶える力があるって何度も思い出してみなぎるやん!
主人は大喜びしてくれた。
そうそうその100%自分だけのものを選んで欲しかった。絶対それや!
というわけで、1月になればオパールの指輪を買える自分になっているんだと思ったら心底嬉しくなった。
いまいま指輪なんてなくてもいいのに、ただ自分を満たすためでけに欲しいと思った。
それから2週間…
なんと!なんと!!
1月を待たずしてオパールの指輪がもう手に入った。
人から譲り受けることになったのだ。
なんというタイムリー。なんという奇跡。
これが世間でいう引き寄せとかいう例のあれか? あれなのか?
本気で願えば叶うのだ。
わたしはすでオパールを手に入れてしまったから、1月の成果はやはり家族に還元しようと思った。成果はまだ出てもいないのに還元することを先に決めた。
1月の家族への還元を思うとこれ以上ないワクワクが自分を支配している。まだ手にしていないのに。
指にはめたオパールを見つめるとき思い出すのは、自分の成果を称える姿ではなくなった。
浮かぶのは喜んでくれている家族の姿に変わった。
そっちの方がもっとずっと叶えたい。