日常ブログ #40五輪
現在、パリ五輪が開催されている。
五輪といえば、前回の東京五輪の時に、私は大会運営のアルバイトをしたことがある。
今回はその時の体験談をしようと思う。
今からちょうど三年前。
大学に入学したばかりの私は、新型コロナウイルス流行の影響で授業のほとんど全てがオンライン受講になったので上京もままならず、実家で暇な夏休みを過ごす予定だった。
そんな時に、実家から少し近いところが五輪の大会会場になる予定だと聞いたのである。
地元が千葉なので、ちょこちょこと会場になっている場所があった。
正直スポーツに興味があるわけでもないのだが、話のネタになるかも、みたいな軽い気持ちで五輪アルバイトの募集に応募した。
募集元はイベント関連の派遣会社で、オンラインでのサクッとした面接の後、行く会場と日数が連絡された。
私が派遣されたのはカヌーの競技会場だった。
五日間の勤務である。
面接から勤務開始日まで結構日数があった気がするが、あっという間に当日になった。
初日の集合時間は結構遅めで、確か昼前とかだった気がする。
カヌー会場のすぐ隣に葛西臨海公園があるので、駅前に人が多かった。
リュックでは来ないでくださいって言われていたのに間違えて持ってきたリュックを背負って、私は集合場所の駅前広場に向かった。
広場には派遣会社の社員さんと、私と同じくアルバイトで来た同年代っぽい人が三人いた。
もう既に全員揃っていたが断じて遅刻したわけでは無い。
社員さんに連れられ、私たちは駅から十分くらい歩いたところにある大会会場に向かった。
カヌーの会場は五輪のために新しく作られた施設なので、会場の周りには何もなく、一面の砂利道が広がっていた。
その砂利道のはるか彼方に、大会会場が見えた。
実際にこの砂利道は五分も歩いていないのだが、砂利に反射した日光が照りつけて焼かれるように暑いので、体感十五分くらい歩いた気がした。
会場に近づくにつれ、警察車両とか自衛隊の車とかごつい車がたくさん停まっていて、警察や自衛官の人もたくさんいたので何だか物々しい雰囲気だな、と思った。
砂利砂漠を越えやっとこさ会場の前までたどり着いた。
会場に入る時には、テントで仕切られたスタッフ関係者専用の入場ゲートを通らなければならない。
結構大きくて立派な感じのテントで、空港みたいに手荷物検査、身体検査、検温などを本格的にやった。
このテントはただ屋根があるだけで密閉性も何も無いのだが、何故かテントの中に入ると天国のように涼しかった。
あとめちゃくちゃ大きいテントだったので天井がすごく高かった。
入場ゲートの最後は関係者パスのバーコードがないと開かない仕組みだった。
テントに入る直前に社員さんからもらっていたので、それをかざして中に入ることができた。
関係者パスはパスポートくらいの大きさで、自分の名前と顔写真とよくわからない数字とか英語とかが色々書いてあった。
これは会場内にいる全ての関係者が共通して持っているパスだそうで、選手たちも同じパスを持っているらしい。
選手と同じパスを持っているならほぼ五輪選手ということだからほぼ五輪に出場したって言えるな〜、とか失礼なことを考えていた。
大会会場に入ってすぐに競技会場があるわけではなく、大きめの仮設の建物やテントがいくつかそびえ建っていた。
それぞれ、大会運営本部だったり、選手・コーチ専用の食事スペースや休憩場所であったらしい。
私たちはその建物群を通りすぎ、今度は会場内の砂利道をてくてく歩いて、会場の端の観客専用入り口になるはずだったゲート、の奥にあるスタッフ専用休憩スペース、のさらに奥の最果てにある派遣会社の仮設事務所に連れて行かれた。
そこで今日の仕事内容について簡単な説明があり、アルバイト用の大会コスチュームのポロシャツを渡され、着替えるように指示された。
一応着てくる服について指定があって、それに合わせてわざわざ新品のポロシャツとチノパンを買ってきたのだが、どうせ着替えるなら着てきた意味無かったんじゃないか、こんな暑いのにわざわざチノパン履いてきたのに、と思った。
が、大人しく指示に従って着替えた。
大学一年の頃の私はとても素直だった。
初日の仕事内容は、選手とコーチが使う食事兼休憩スペースにいるボランティアさんのお手伝いだった。
ボランティアをアルバイトがお手伝いするってちょっと変な状況だが、実はこの日はまだ競技が行われておらず、コースを使って練習するだけの日だったのだ。
コースを使える時間は国ごとに決まっているというのもあって、ほとんどのチームが練習時間が終わったらすぐに選手村に帰るので、会場スタッフの人たちは実は結構暇だったらしい。
暇を持て余して五輪に来たのにそこでも暇をする始末である。
人生ってままならない。
選手専用の食事スペースの中に入った時、中には誰もいなかった。
シニアのボランティアさんが数人いて、祖父母と孫くらい歳の差がある私たちを優しく迎え入れて、仕事を教えてくれた。
私たちがそこでした仕事は、既に綺麗な状態の床をモップで拭いたり、既に整ってる椅子の位置をちょっとずらして完璧な状態にしたり、誰も使ってないテーブルの上が汚くないか確認したり、発注ミスで大量に届いた弁当を冷蔵庫に詰めたり、選手が自由に持ち帰れる冷蔵庫の中のドリンクのラベルが全部正面に向くように整えたり、海外から来た選手のお土産として折り紙を折ったりすることだった。
ちなみに折り紙はボランティアさんの一人が勝手に持ってきて折ってみたら評判だったので、今日も勝手にやってるのをみんなで手伝っただけである。
はっきり言って私たちは暇を持て余していた。
ボランティアの方々も暇だとはっきり言っちゃっていた。
私たちはただおしゃべりしながら折り紙していただけだった。
私含めアルバイトは全員「これでお金もらえるとか最高の仕事〜」とか考えていた。
折り紙が少なくなり始めた頃に、選手が二名入ってきた。
確か南米の方の国の男性選手で、今練習を終えてプールから上がってきたばかりだったのか、それとも暑いからなのか、パドルと上着を持って上半身は裸だった。
明日が試合本番だというのに、ピリピリした感じもなくとてもフレンドリーな感じで挨拶してくれた。
私も「ハロー」と返した。
私はこの瞬間、自分が折り紙交流会に来たのではなく、五輪の会場アルバイトに来たのだと思い出したのである。
私たちは百席以上はあるだろう広々とした食事スペースの中で、たった二人の選手の邪魔にならないように部屋の隅に移動した。
間近で見る本物のアスリートにビビっていたとも言う。
彼らは飲み物を取って、お弁当を食べて、少しゆっくりして、出ていく時に私たちが大量に折ったボートと鶴を見て多分「いいね!」っぽいことを言って、帰った。
その後、ちらほらと選手やコーチらしき人たちが入ってきて、お弁当を食べてちょっとゆっくりして折り紙にリアクションして帰っていった。
ボランティアさんはカヌー競技の知識が豊富だったので、今入ってきた選手がどこの国代表で、どんな大会で成績を残していて、という情報を逐一解説してくれた。
選手たちは世界のトップアスリートらしく筋肉がものすごいということ以外は普通の常識的な人たちで、お弁当のゴミの分別も使った場所の片付けも自分でしてくれるので、結局人が来ても来なくても変わることなく、私たちはマジでやることがなかった。
結局その日は三、四組くらいの選手たちが休憩しに来ただけだった。
初日の仕事の成果といえば、ボートと鶴を二個ほどお持ち帰りいただいたことだろうか。
まあ、悪くないだろう。
折り紙も尽きていよいよやることがなくなり、どうする?という空気がアルバイトたちの間で流れ始めた時、ボランティアの方が「会場を見に行こうよ!」と言い出した。
今大会の全ての会場では、コロナウイルス感染防止と警備のために会場内がエリアごとに分けられており、私たちアルバイトが入れるエリアは競技エリア周辺の場所で、選手が競技を行うプール付近には入ることができない。
原則、そうなっている。
食事スペースも多分競技エリアの内部だったと思うのだが、手違いやらミスやら色々あって、私たちはそこに行かされたらしいのだ。
大規模イベントあるあるのハプニングである。
だから本来、私たちはこの場所にいるはずのないアルバイトたちなのだ。
しかし、ボランティアさんたちは選手と同じく最深部のエリアまで入れる権利を持っているので、もうやりたい放題である。
誰も暇なシニアボランティアを止めることはできない。
私たちはいいんですか、大丈夫ですかを繰り返しながらボランティアさんについていった。
特に誰に止められることもなく普通にプールサイドまで入っていくことができた。
競技用のプールは巨大な流れるプールみたいになっていて、ボランティアさんはそのプールの中島まで案内してくれた。
当然まだ練習中のチームもいて、激流を降ってくるカヌーが文字通り目の前を通過していく様子を見ることができた。
私は何をしているのだろうか。
本当はチケットを買って観戦するような世界トップレベルの試合の練習風景を、何ならお給料もらって観客席よりずっと近い場所から眺めているのである。
これはこれは果たして仕事なのだろうか。
労働なのだろうか。
何の?
そんなことを考えていると、ボランティアさんからプール外と中島を渡している橋に行こうと言われた。
ようやく戻るのか、と思ったら、橋の上に留まって、「この場所からならブルーインパルスが見えやすいかもしれない。」と言ったのだ。
不法見学だけじゃなくブルーインパルスまで見るんですか?
バイト中なのにこの眺めの良い橋の上でブルーインパルス見るんですか?
さっきから選手が練習してて橋の下をものすごい勢いで降ってるけど、ブルーインパルス見るんですか?
下っ端バイトがありえない不法VIP席を用意されてしまった。
完全に不可抗力である。
このエリアにいること自体ヤバいのに仕事もせずブルーインパルス見てましたなんて発覚したらもうバイトクビになってしまうのではないか。
初日なのに。
もしかしたら罰金とか何とか言われたりするかもしれない。
その不安が的中したかのように、橋のふもとの本部からわらわらと人が出てきて、橋を上ってきた。
ああ、終わった。
ボランティアさんは怒ってもいいけど私たちはボランティアさんの指示に従えっていう派遣会社の指示を忠実に守ってただけなので怒らないでください・・・。
そう祈っていたら、本部の人たちは私の背後で「ブルーインパルス飛ぶのってあっちの方向かなぁ」と話していた。
自由か。
これが東京五輪か。
そのままブルーインパルスのパフォーマンス披露予定時間になり、私たちはみんなで仲良く橋の上から遠くの空に飛行機と煙が飛んでいくのを見ていた。
結局その場所からは五輪マークが綺麗に見えず、その場にいた人たちは、なーんだって感じで残念そうに本部やらどこやらにそれぞれ戻っていった。
自分たちは仕事に戻るのに明らかにバイトっぽい奴らが競技会場内でたむろしているのは放っておくのは何でなんだ。
今考えてもあの時間は一体何だったのだろうか。
今や記憶もぼやけてしまって、全てが謎とカオスのままである。
私たちアルバイトマンズはこの異常な業務内容に対する戸惑いという一体感から、既にだいぶ仲良くなっていた。
眼下を流れていく選手とカヌーを見ながら涼しそう〜とおしゃべりしていた。
すると後ろにいつの間にか立っていたおじさんが、「ここのプールは冷却されていないから日差しで温かくなっちゃって実は温泉みたいにあったかい水なんだよ。」と教えてくれた。
へえ〜教えてくれてありがとうございます〜、とか何とか言ったらおじさんは橋を降りてそのままどこかに行ってしまった。
すると直後にボランティアさんが、今のは日本代表のコーチだと興奮しながら解説してくれた。
日本代表のコーチに背後を取られる状況ってどういうことだろうか。
この世界にはそんな状況が現実に存在し得るのか。
言われてみれば今のおじさん、日本代表のオレンジ色のTシャツ着ていたような気がする。
どうしよう、喋っちゃったしトリビアまで教えてもらっちゃったよ。
今だったら、コーチと喋ったってことはほぼ選手と名乗れますね!とかアホなおふざけも思いつくが、その時はもう何か色々と追いつかなかった。
もうこのままじゃカヌー乗ってみる!?やってみる!?とか言われそうでちょっと怖かった。
マジでそれくらいのノリだったのだ。
本当に色々とおかしい。
おかしすぎる。
みんな五輪だし明日試合だしで浮かれてたのだ。多分。
そういうことにしておこうと思う。
その日は流石にもうやることがないので、業務時間よりも一時間くらい早く事務所に帰してもらった。
プール侵入という前代未聞の時間稼ぎをしてもなお、実はまだ一時間も残っていたのだ。
とても信じられない。
私たちが事務所に戻ってきた時、事務所の人たちは意外そうな顔をしていたが、最終的にその日はそのまま帰れることになった。
私たち四人は駅まで歩きながら、今日の仕事を振り返ってやばかったね〜とかおしゃべりしながら帰った。
「海外の人はやっぱり体つきががっしりしててムキムキですごいね」とか、相手がトップアスリートであることも忘れたアホ発言もしつつ歩いた。
一日に何度もカオスな状況に立たされると、これくらい知能レベルが低下するのだと思う。
また一つ学びを得た。
今日したことといえば折り紙を折って、海外の選手と挨拶して、カヌー競技の練習風景を見学して、みんなでブルーインパルス見て、日本代表のコーチに競技会場のトリビアを教えてもらったことである。
これで日当何千円をもらったのだ私は。
理想の労働すぎて現実じゃないみたいだ。
全ての労働がこれくらいゆるくあれと心から願う。
こうして私は想定外ずくめの五輪アルバイト初日を終えた。
この前にも後にもこれまた濃いめのエピソードが色々あるのだが、それはまた別の機会に書きたいと思う。
今現在の五輪、興味がある人も無い人も、見てる人も見てない人もいると思うが、どうかこの機会に現地の会場の端っこで働いているスタッフやボランティア、アルバイトの人たちに思いを馳せてみてほしい。
彼らもなんだかんだ選手たちの裏で汗を流し、割と濃いめの体験をしているのである。
もしかしたら入っちゃいけないところに侵入して観戦とかサボりとかしているかもしれないが、何かの話のネタになって後々ブログとか書くかもしれない、と大目に見てくれたら、嬉しく思う。