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日常ブログ #26お囃子・後編



前回の続きである。

前回の記事はこちらからどうぞ。
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これまでのあらすじ

数年ぶりに開催される地元のお祭りでお囃子をやることになったタマ。
しかし長年のブランクと譜面の紛失のせいで、太鼓のリズムが全く思い出せない。
打開策も無いまま地元に帰ると、お祭りは急遽中止になったという知らせを聞く。
これで一安心と胸を撫で下ろしたのも束の間、お祭りの前日にお囃子だけは実施すると再び連絡が。
災難は振り出しに戻り、なすすべなく当日を迎える。
一体どうなる!?



地元のお囃子保存会は常に人不足だった。
これは私がお囃子始めた時から現在に至るまでずっとだ。
地方の自治体ではどこも抱える問題なのでは無いだろうか。
正直、お囃子を辞めようかなと思った時はたくさんあった。
嫌なことがあったとかそういう訳ではなく、単にそこまで熱心に参加してしたわけではなかったからやる気の糸が今にも切れそうだったのだ。
しかし、大学生になって東京に出てきてまでも未だにお囃子保存会を抜け切れない理由は、お祭り運営本部の人たちとは親族ぐるみの付き合いをしてきたことと、一応神事に関わる縁起の良い役割という特権と、何より圧倒的な人員不足の中後任の目処も立たないまま無責任に辞めるのが忍びなかったからだ。
その状況に少し希望が見え出したのが、ちょうどコロナ禍でお祭りやお囃子の練習が完全に停止され始める前の4年前あたりだった。
私より少し上の世代の若いお祭り野郎さん方の子供たちが大きくなり、各家庭それぞれのツテを辿ってほとんど同時期にお囃子保存会に入ってきたのである。
平均して小学校中学年くらいのちびっ子たちが数人。
元々大人数人と中高生数人の片手に収まる程度の人数しかいなかったから、練習場の雰囲気は一気に賑やかになった。
だが、将来有望なちびっ子たちが多数入ってきてくれたからって私がすぐに辞められる状況ではなかった。
まずは最低限太鼓を叩けるようになってもらわなければならないのだ。
しかしながら、当然の如く教授は難航した。
1回の練習の時間は限られている上、隔月だったり3ヶ月に1回だったりと不規則かつあまりにも少ない練習日、太鼓にまつわる基礎知識の細かさ、譜面解読の複雑さ、覚えて叩けるようにならないといけない曲目の多さ、ゆるい雰囲気、初心者たちの年齢とそれ相応の集中力。
あらゆる点が起因となった。
別に誰に責任があるわけでもない。
こういうものだ。
長い目で見て教えていこうという雰囲気がまとめ役の人たちにはあったのだと思う。
が、そのタイミングでパンデミックが発生してしまった。
お囃子の練習はおろかお祭り自体が何年も中止を余儀なくされた。

で、何年も中止していた上ずっと東京にいたので、そういった事情を完全にど忘れしていた。
私が冷や汗をかきながら神社に到着した時、そこには見知らぬ中高生が数人たむろしていた。
田舎の中高生のたむろである。
誰だこの人たち。お囃子メンバーの集合場所は?まさかここ?
え!?誰だこの人たち!?
そう。数年前は小学生だったちびっ子たちは成長して立派なティーンエイジャーになっていたのだ。
成長期にしばらく会っていなかったらもう完全に別人である。
そもそも顔と名前が一致する前に練習がなくなってしまったのだ。
もう本当にただの知らない人だ。
お初にお目にかかるちびっ子軍団もとい中高生軍団。
それにしても、中高生が数人かたまってわちゃわちゃしてるだけで醸し出されるあの迫力は一体何なんだろう。
自分自身が中高生であった時も、よく知らない同世代の集団や他校の生徒は理由もなくおっかなかった。
たった数年の年の差の人に怯えてる大人なんてどれだけ情けないのか。
この人たちは身も心も別人のように成長しているのに、私ときたら。
この場で一番幼稚なのは私なのではないだろうか。
なんだか切なくなってきた。
本当に居た堪れない気分だ。
穴があったら消え入りたい。
布団があったら潜りたい。
早くお家に帰りたい。

そうやってビビり倒し、お囃子メンバーの集合場所に近づけず挙動不審な動きをして数分。
中途半端な距離感を保ちながらうろうろしていると、まとめ役さんが出張ってきた。
そこでハッとして、己の使命を思い出した。
そうだ。ここで年下の若者に怖気付いている場合ではないのだ私は。
まとめ役さんに譜面を見せてもらえないか頼まなければいけないのだ。
なぜなら当日になり現場についた今でさえ、全く太鼓のリズムを思い出せていないのだから。
だがここですかさずまとめ役さんに声をかけられるような性格だったらくろうしていない。
二の足、三の足、四の足、ちょっと深呼吸して、五の足、六の足・・・と、何度もその場で足踏みしてようやく声をかけられるかかけられないかというレベルで、私は引っ込み思案なのである。
生き辛い。
私にとって、そこまで親しくない人、性質が真逆の人、年上や目上の人に自分から話しかけること以上のハードミッションを考える方が難しい。
思い切りとかそういう言葉は私の辞書にはない。
片想い中の乙女か、というくらいもだもだやっている。
その日も存分にもだもだし、行くぞと気合をいれても身体が動かず、永遠にも思える時間をその場でもだもだしていた。
お囃子開始の時間は刻一刻と迫っている。
本当にこんなところでもだもだやっている場合じゃない。
このまま懲りずにもだもだし続ければ私は譜面を借りられず、リズムを思い出せず、大勢の人の前で恥をかき、後ろ指を刺されるようになって地元では生活できなくなり、あの時もだもだしていなければと過去を呪い過去に囚われて生きていき、将来に希望を見いだせないままもだもだと無意味に歳をとっていき、死ぬのだ。
惨めな人生だ。
それが嫌なら、今ここで動かなければ。
言うんだ。譜面失くしたので貸してくださいと。さあ言え。今言え。直ちに言え。
いやいやいや、待て待て待て。兎にも角にも心の準備が要る。
まず最初に何て言おう?
「おはようございます」か、「お疲れ様です」か、「お久しぶりです」かだ。
難しい3択だ。初手を間違えると後々大変なことになる。
会話が続かなくて気まずい。
それだけは絶対に避けなければならない。
夜寝る前にすごいしんどい思いをすることになるからだ。
わからない。悩ましい。正解は一体どれなんだ。
気が付くと足が止まっている。
一歩一歩踏み出す毎に決死の覚悟が必要とされる。
そして恐ろしいのは、そうやってぐるぐると考えこみもだもだと逡巡しているうちに時間が経ち、時間が経てば経つほどミッションの難易度も高くなっていくことだ。
声かけ、挨拶、雑談、何て恐ろしい。

だが、私は諦めたりしなかった。
負けるな、負けるなと自分自身を鼓舞し続けた。
心の中では「負けないで」の大合唱が聞こえていた。
辿り着きたい、ゴールに。
どんなにボロボロになっても、譜面貸してくださいと伝えたい。
私は、私ほどの古参ならきっと最後まで完璧に叩けるはず、というこの場にいるたくさんの人たちの想いを背負っているんだ。
そうだ。私は一人ではない。
きっと少し前の私だったら挫けていただろう。
お祭りの日は、何の不安要素もない時でも威勢の良い雰囲気に圧倒されて気後れしていた。
ましてや今日は不安要素がいっぱいで、スーパーハードモードなミッションを抱えているところに突然の中高生軍団との邂逅。
今朝神社に到着してからというもの、私の心はもう何度も打ちのめされている。
今までの私だったら、とっくに負けてしまっていたはずだ。
だが、人波荒れ狂う東京という名の魔境で、私も少しは成長できたはずなのだ。
己の心に巣食うもだもだなんかに支配されたくはない。
一歩、また一歩と、まとめ役さんに近づいている。
ゴールは近づいている。
あと少し、これがラストスパートだ。

そしてついに、まとめ役さんに声をかけた。
もはや緊張し過ぎてどんな風に声をかけたのか覚えていないが、これだけははっきりと言った。
「譜面を失くしてしまったので見せてください」
まとめ役さんはあっさりとオッケーしてくれた。
私は膝から崩れ落ちそうなほどの安堵を感じた。
やった。やり切った。この時のため全力を尽くした。
思えば数週間前から譜面の有無や当日誰かに貸してもらえるかどうかについて考え、不安で眠れない日が何度もあった。
しかし、私は不確定な未来を確実なものとしたのだ。成し遂げたのだ。
間違いなく今日の私のハイライト。
もう一日分の仕事を終えたので帰ります、と本気で言い出してしまいそうなくらい安心して満足している。
譜面さえあればなんとかなる。あとはこっちのものだ。私の勝利だ。

譜面を見せてもらえたおかげで、私はなんとかリズムを思い出し、本番は無事最後まで叩き切ることができた。
数年ぶりのお囃子の音を聴く聴衆の数は予想を遥かに上回っていた。
皆とても楽しみにしていたのだろう。
私の失くし物ともだもだのせいで、台無しにならなくて本当によかったと思った。


それで終わればよかったのだが。
最後の最後、お囃子を終えて片付けをしている時である。
使用した太鼓は神社の社務所の押し入れに仕舞うことになっている。
社務所は普段はお囃子の練習に使用している場所である。
太鼓やらバチやら太鼓を支える支柱やらを持って、開けっ放しにされた押し入れの前に立った。
押し入れの中に何かが無造作に置かれているのが目に入った。
とても見覚えのある緑のクリアファイル。
それを見つけた時、私は衝撃のあまり言葉を失った。
緑のクリアファイル。それは私が譜面を入れていたクリアファイルである。
私の目の前にあったのは、数週間前、母から電話で見当たらないと言われた譜面の入ったクリアファイルまさにそのものであった。
ここに、あったのか。
私があの時、もだもだもだもだもだもだして、決死の覚悟と今世紀最大とも言える根性と「負けないで」でハードミッションに挑んでいた時、数メートル背後にいたのか、お前。
飲み物をくれるというので社務所の中の冷蔵庫からお茶を貰いに行った時、本当に目と鼻の先にいたのか、お前。
暇だからと涼しい社務所の中をぶらぶらほっつき歩いていたら、偶然見つけていた可能性もあったのか、お前。
暇だから社務所の中ぶらぶらしたいけど、でももうお囃子メンバーの中では年上の方になっちゃったし私ももう成人したしな、大人にならなきゃなと思って自制したつもりだったけど、見栄を張らずに大人気なく落ち着きのない行動していれば朝からしんどいを思いしなくて済んだかもしれないのか、お前。
緑のクリアファイル、お前お前お前。
さっきとは違う意味で膝から崩れ落ちそうになった。
堪えていたものが溢れ出したような気持ち。
私の葛藤と克服、武勇伝のように末代まで語り継いでやると思っていたのに、とんだ間抜け話に成り下がってしまったじゃないか。
いや、そもそも挨拶するのにもだもだやってる時点でだいぶ痛い間抜け話ではあるのだが。

私の内なる静かで激しい努力と戦いは全くの無駄骨に終わったわけだが、その勝利は無駄ではなかったと思っている。
戦いに勝ち勝負に負けたというわけである。
既に相手に旗が上がっているところから私は戦いを挑んでいたということである。
それはそれで良い。
結局、久々の太鼓を無事に叩けて、私は楽しかった。
皆楽しそうだった。
それが私の勝利である。
この勝利については必ず末代まで語り継ぐ武勇伝にしようと思う。

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タマ
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