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日常ブログ #19新米





9月である。
まだまだ過酷な暑さが続いているが、暦の上では一応夏が終わった。

と言うことは、夏休み明けである。

世の多くの方々はめんどくせーなんてぼやきながら学校なり職場などに通い始めたのではないだろうか。
もちろん中には嬉々として夏休み明けを謳歌している一風変わった人もいるのだろうが。
何にせよ、皆様いつもご苦労様です。


私はというと、ただいま絶賛夏休み中である。
だって大学生だから。

大学生なんて一年の半分も学校に行ってないし、社会人みたいに責任もない。
夏休みも9月半ばまである。

ただ、夏休みが長いのは単純に8月初旬まで授業があったからで期間は一ヶ月ちょっととごく一般的な長さだし、
一年の半分しか学校に通ってないのに学費は高いし、
奨学金は借金だし、
奨学金返済のために貯金をしていると全然お金が使えないし、
遊ぶお金はないけど時間だけはあるから畳の目を数えるとか天井の板の目の線の数を数えるとか変な暇つぶし方法を編み出し始めるし、
とどのつまりが妄想遊びでストリートビューやグーグルアースで旅行気分を味わいそれで満足できるような身体と脳みそになってしまうからますます遊びに対する財布の締まりがキツくなってもはや何もできないどこにもいけないし、
なのに「学生は時間がいっぱいあっていっぱい遊べて羨ましい」って人生の先輩方からよく言われるから謎の罪悪感に苛まれるし、
とにかく学生も色々あって大変なのだ。
だから飲み屋とかカラオケとかバーベキュー場とかで騒いでいても生温かい目で見てほしい。
あんまり迷惑だったら通報してください。
よろしくお願いします。


さてぼやきはこの辺にして、
夏の終わり秋の始まり、9月といえば、ズバリ新米である。

朝ごはんはパンもいいけどやっぱり米に限るよね派の私にとって、
新米の季節はとても嬉しいものである。
自宅から新米の収穫を祝う御神輿を出して一人でマンションの周りを半日練り歩きたいくらい嬉しい。
通報されるかもしれないが。

私の地元には田んぼがたくさんあったので、
黄金色に実った稲穂が広がる田んぼの横を車の窓から見るのがとても好きだった。
毎年それを見ると秋の訪れを感じていた。
東京では地元のようなだだっ広い田んぼの風景なんてお目にかかれないが、
新米の稲穂は私の好きな懐かしい景色のひとつなのである。


そして、新米といえば思い出される思い出がある。
それは輝かんばかりの稲穂の風景ではなく、
小学生の時の田植え体験である。
私が通っていた小学校には職場体験はなかったが、実際の農家の方の田んぼで田植えをさせてもらう田植え体験の授業があった。
これが地域性というものである。
田植え体験は初夏、夏休み前に行われる。
この田植え体験もなかなか面白かったのだが、印象深いのはその後の夏休み明け、田植え体験で植えた稲が新米として実る頃にお米について調べたことを班ごとに発表するという田植え体験の集大成とも言える授業。
その名も、『米米フェスティバル』である。

ふざけていない。マジである。
マジでこの名前だった。

『米米フェスティバル』は学年全体で開催され、
各クラス数班に分かれてお米の育て方やお米の食文化等を調べ、それをまとめた制作物を作成して成果を発表し、お互いに聞き合い、意見を交換する。
そこで生徒たちはご飯に関する知識を培い、農家の方々への感謝の念を強くし、お米に対して大きな愛情を得る。
そんな素晴らしい総合型学習授業、もといお米を崇め祝う祭りこそ『米米フェスティバル』なのだ。

『米米フェスティバル』に参加する班員は5、6人で構成されている。
まず班員を束ねる班長、農家の方々の技術を調べる職能部門や歴史・文化部門に分かれ調べ物を行う調査隊長、制作物を作る美術家、他の班の前で発表を行うプレゼンターなど、班員にはそれぞれ重要な役割があった。
当然、私にも重要な役割があった。
雑用係である。

雑用の仕事内容は多岐にわたる。
サインペンを忘れた者がいたら貸してやり、発表の練習の際は観客役をやり、班長の愚痴に付き合う。
しかし、雑用係の最も重要な仕事は諜報活動である。
他の班の様子や進捗をそれとなく見て、状況によってはちょっかいを出すことで作業の進行を滞らせ、情報を盗み自分の班に持ち帰る。
それによって自分の所属する班にどれほどのメリットがあったのか定かではないが、とにかく私は責任感を持って他の班のところをうろついていた。
そこで目にしたのは、文字の多い何とも味気ない制作物である。
これは『米米フェスティバル』。お米を崇め奉る祭りである。
お米をより魅力的に祭りっぽく伝えるにはどうしたら良いか、答えは制作物をデコることだ。
私は、美術家がほとんど完成させていた制作物の余白にフィーリングでどんどん絵を足していった。
星のマーク、ハートのマーク、おにぎり、稲穂。
最後は見出しの横に大きくお米の妖精・コメ太とコメ子。
米粒に目と鼻と口がついている、名前もデザインもキュートでシンプルなお友達だ。
お米の素晴らしさを私たちに伝えるために人間の世界にやってきた双子のきょうだいで、オコメ王国の王子と王女という詳細な設定付きである。

私の悪ふざけ、いや、最後の仕上げを済ませ、何とか期日まで制作を終わらせたらあとは発表練習である。
先生の前や班員の前で発表練習をして、残すは『米米フェスティバル』本番のみだ。
もはや何も役割のない私は他の班のところにちょっかいを出しに行くのも飽きてきて、ぼやぼやしながら練習に付き合っていた。
そこに担任がやってきて、私にこう告げた。

「あなたはお米のマスコットの紹介発表の練習をしてください。」

何を言っているのかさっぱりわからない。
何だマスコットって。何だ発表って。何のことだ。
あまりの唐突さにしばらく理解できないでいたが、
どうやら発表練習の際にコメ太&コメ子が担任の目に留まったらしく、彼らは『米米フェスティバル』の公式マスコットキャラクターに就任、その紹介を『米米フェスティバル』の開会式で学年全員の前で行わなければならず、それは作者である私の役割だということらしい。

理解しても理解できない。
何だ『米米フェスティバル』の公式マスコットキャラクターって。
私が軽い気持ちで落書きした絵が知らないところで大仰な役割をもらってしまっていた。
そのおかげで私は雑用から一気に公式マスコットキャラクター作者に昇格したわけだ。
これがお米ドリームか。
面倒なことになった。私はとにかく人前に出たり注目されたりするのが大の苦手なのだ。
我が子とも言えるコメ太&コメ子を憎んだりもした。
お前たちが『米米フェスティバル』の公式マスコットキャラクターにさえならなければ。
何だ『米米フェスティバル』の公式マスコットキャラクターって。
もう『米米フェスティバル』本番まで時間もないのに。
もちろん彼らに罪はない。彼らはお米の素晴らしさを伝えるためにオコメ王国からはるばるやってきてくれただけなのだから。
しかし、私の心は焦るばかりだった。不安で仕方がない。学年全員の前に立つなんて考えただけでも恐ろしい。

そういった事情と本音を母に告げ、弱音を吐いた。
すると次の日の朝、机の上にコメ太とコメ子がいた。
比喩でも何でもなく、彼らがいたのだ。
白い米粒の体に、輝く目、とんがった鼻、にっこりと笑った口。間違いない。コメ太&コメ子だ。
一晩のうちに具現化したのか。さすが妖精の王子と王女だ。
いや、そんなわけない。誰かが彼らのマスコットを作ったのだ。しかも一晩で。無駄なほどハイレベルなクオリティで。一体誰が。

答えは母だった。
なんと、昨晩私の話を聞いた母が私の絵を元にマスコットを作ったのだ。
母の趣味と特技は裁縫で、数時間のうちにあらゆるものを既製品のような完成度で手作りしてしまうというのは、我が家ではあるあるだった。
無地のバッグに知らないうちに私の名前が刺繍されていたり、見慣れないブランケットがあると思ったら母が作ったものだったり、そういうことはよくあった。
よくあるとは言っても、毎度その技量のすごさに驚かされる。
私が8秒で描いた彼らが完全再現されている。すごい。
こうして母は『米米フェスティバル』の公式マスコットキャラクターのマスコット製作者になったわけだ。
作者親子だ。

でも、そのマスコットを見て、私はありがたいと思った。
わざわざ作ってくれたこともそうだが、これは母からの励ましのメッセージだと思ったのだ。
だって『米米フェスティバル』の公式マスコットキャラクターのマスコットを作っちゃったのだ。あとはもうやるしかない。苦手だろうが嫌だろうが腹括ってやるしかない。
コメ太&コメ子は、私をそんな気持ちにさせてくれた。

母は面白がって作っただけなのかもしれないが、私はとても勇気が出た。
お母さん、ありがとう。
コメ太&コメ子、ありがとう。
『米米フェスティバル』、ありがとう。


そうして、私は無事にコメ太&コメ子の『米米フェスティバル』の公式マスコットキャラクター紹介発表を終えた。
もちろんコメ太&コメ子を握り締めながら。

そして毎年新米の季節になると、思い出す。
稲穂の色。母の優しさ。手汗で濡れたコメ太&コメ子。結局食べた覚えがない田植えした新米。
その祭りの名は、『米米フェスティバル』。

『米米フェスティバル』はいつもみんなの心の中にあります。


皆さんも今年の新米を食べて、各々の『米米フェスティバル』でお米への感謝で盛り上がりましょう。
ただし、騒ぎすぎると迷惑になって通報されるかもしれませんのでくれぐれもご注意ください。

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タマ
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