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日常ブログ #13雷






もう本格的に夏である。

東京は梅雨明けした、という情報を風の噂で聞いたのだが、
普通に天候がイマイチな日が続いている。

あれはフェイクニュースだったのかもしれない、
騙される寸前だったぜ、危ない危ない、
と、冷や汗をかきながら過ごしている今日この頃である。


梅雨明けの真偽はさておき、天候がイマイチなのは本当で、
先日は夜中に雷が鳴っていた。

皆様のお住まいは大丈夫でしたでしょうか。
どうぞご自愛くださいませ。


あの日雷が鳴っていたのは、確か深夜から未明ごろにかけてだったと思う。
私の部屋は東側に窓があるので、
東の空に稲光が走っているのを、私はカーテンから顔を覗かせて見ていた。

実は私は、昔から雷を見るのが好きなのである。

先ほどの気配りコメントは何だったのかという感じだが、
とにかく好きである。


小学生の頃、何となく眠れなくて寝返りを打った時、
カーテンの隙間から、遥か遠くで稲光が光っているのが見えた。
見間違いかもしれないと思いじっと見続けていると、また煌めいた。
しかしあまりにも一瞬なので、もう一度見たいと思ってじっと待っていると、また一瞬ピカッと煌めく。
そうやって寝落ちするまでカーテンの隙間から雷を眺めていた。
それが思い出せる限りで、最古の雷の記憶である。

それ以降は、雷が鳴っていることに気付くと、
空がよく見える窓の前を陣取り、
何十分でも空を眺めて、稲光が走るたびにほくそ笑む、ということをやってきた。
雷を見るために夕飯をすっぽかしたことさえある。
言ってみれば、私は雷オタクなのである。

十数年前のあの夜、遥か遠くにいた雷を一瞥したあの夜から、
私は一途に雷を推してきた。

はっきり言って、雷は人を選ぶ自然現象だと思う。
苦手な人も実際多くいる。
しかし、私は不思議と、
あの腹に響くような轟音だったり、
暗雲立ち込め何か起こりそうなヤバさを感じる不穏な大気の変化だったり、
空をひび割らんとして不意に現れる閃光だったり、
そういった雷の要素に嫌悪感や恐怖を感じたことがない。
むしろそういうところが好きなのである。
媚びてないなって思う。

雷を見ていると、本当に時間を忘れる。
じっと眺めていたら、1時間なんてあっという間である。
それもそのはず、雷はこちらの都合なんてお構いなしで、落ちたい時に落ちる。
次いつ来るかなんて予告は一切無い。
毎度毎度、ほぼゲリラ的にやってくる。
雷は非常に気まぐれである。
そのため、見る側我々は一瞬も気を抜いてはならない。
もう見えないかな、今日はおしまいかな、
と部屋に戻ろうとして後ろを振り向くと、大抵その瞬間にその日一番の眩い稲光が走ったりする。
むしろこちらを弄んでいるのか、と思ってしまう。そんな焦らし方をされたら堪らない。
今度こそと思って、何時間でも窓の前に座り込み、
瞬きさえ億劫になりながら、空を見上げ続けるのである。
我ながらいいカモだ。私が雷を見ることが雷にとって何の利益になるのかは知らないが。
しかし全ては、雷の最高に美しい瞬間をこの目に焼き付けるためである。

そう、雷は美しいのだ。
この世のものとは思えないほど美しい。
自然現象であるが故の、私というちっぽけな生物を最も簡単に凌駕するような、大いなるエネルギー、その計り知れない力強さをひしひしと感じる。
まさに神。尊い。

だからなのか、雷が光るのを待つ空白の時間、その間は、非常に哲学的な思考になる。
人はなぜ存在するのか。魂はどこから来てどこへ還るのか。宇宙の始まりは一体どこにあるのか。
普段ちっとも考えもしない、そういった事柄に思いを馳せ始める。
謎のポエムも生まれる。
雷を求め空を見上げる時、人類皆ポエマーである。

考えても見て欲しい。この殺伐とした現代社会で生活をしていて、
素直に宇宙を感じ夢を語るポエマーになる時間など、皆全くと言っていいほど持っていないはずである。
常に時間に追われながら、必死に生きているからだ。
そんな私たちに、雷は純粋な感性を思い出す時間をくれるのである。
雷を見ている時間というのは、私にとって、いわば日常のデトックス。
無となり、頭を空っぽにして、自然と一体となる貴重な時間なのである。
そう考えると、雷に生かされていると言っても過言ではない。
もう頭が上がらない。ありがたすぎる。

もちろん、雷の正体は分かっている。
実際には神でも尊さの化身でも何でもなく、大気中の電荷分離によって起こる放電現象である。
しかし、私は雷を科学的に理解したいとか、分析したいとは思わない。
謎があって、理解が及ばなくて、ミステリアスな存在であった方が、
より雷光の輝きは増すと思うからである(個人の感想です)。

こんなに雷のことを愛しているが、自分から雷に会いに行こうとして天候の悪い時を狙って外出するということはない。
危ないからである。
私の好きな雷はとんでもなく美しく尊いが、とんでもなく危険だ。
私が好んで眺めているのは、ほとんどが雲と雲の間で放電が起きる雲放電だが、
地面と雲の間で放電が起きる落雷は本当に危ない。命に関わるレベルである。
命までいかなくとも、近所に落雷して停電にでもなったら、
普通にキレると思う。
何だよ雷、とか、普通に悪態をつくと思う。
何事も距離感が大切である。
雷を純粋に愛で、大切に推し続けていきたいのであれば、
今のこの、部屋の中からぼーっと眺めているという距離感を自分から崩したりしないことである。
ただし向こうから崩しにかかってきた時はどうしようもない。
その時は、鉄筋コンクリート建物内に避難しよう。


何はともあれ、先日は久々に充実した雷との交流を行うことができた。
綺麗な稲光を何度も見ることができて、私は大満足である。心が満たされた。

最後に、皆様にお伝えしたいのは、雷の音が聞こえたら、すぐに鉄筋コンクリート建築物、あるいは自動車や電車の車内に避難して、
共に窓から空を見上げましょう。


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タマ
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