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日常ブログ #30月曜日





月曜日が嫌いだ。
よく耳にする言葉である。

現に今年度から新社会人となった姉は、週末の度に月曜日を呪っている。
休んでいる内から休み明けに毒づいているわけだが、私はその様子を見る度、社会に出て働くとはこういうことなのか、と思って深く頷くなどしている。
まあ、平日が休みな方も曜日関係なく働いている方もたくさんいるのだが。

姉をはじめとする月曜日アンチの気持ちは分からなくもない。
私は今は大学生で、週末の休日をありがたがるほど平日が忙しくないため、月曜だ日曜だというやりとりに何ら心が動かされないのないのだが、これでも一応小中高の12年間、5日行って2日休むスタイルの学校に通ってきた。
月曜日の忌々しさはよく共感できる。

しかし、当時から私は月曜日が嫌いだったわけではない。
どちらかと言えば好きな方だった。
それは決して学校が大好きだったからではないし、週末に会えない仲良しの友達がいたからでもなければ、みんなの逆をいきたい逆張り天邪鬼だからでもない。

月曜日には週間少年ジャンプが発売されるからである。

私の実家には、両親の趣味の漫画がたくさんある。
それらがいつ頃から集められたものなのかは知らないが、いかにも両親世代の名作たちが本棚に並んでいるあたり、私が生まれて本を読むという高等な文化行為が自分で行えるようになるくらい成長した頃には、もう漫画の収集を行っていなかったと思われる。
現在は余裕が出てきたのか、何故か再び漫画を買い集めているようだが。
そのため私の家の漫画コーナーが更新されることはなく、早いうちにほぼ全ての漫画に手を出し尽くして飽きてしまった。
ただし、内容の理解は度外視して。
そしてこの度外視した内容をコロナ禍中に行うのだが、それはまた別のお話である。
当時の私にとっての漫画とは、白黒で時折変な匂いのする比較的捲りやすい絵本だった。
ぶっちゃけ内容なんてどうでもいいのだ、ただ新鮮味が欲しい。
だってわけもわからず絵を見てページを捲って、本を読んだ気になってるだけなんだから。
そういう遊びだから。
だったら同じ本を捲ってればいいだろ、と思うのだが、今も昔もわがままな性格は変わらない。
変わって欲しかったが、三つ子の魂秘百までというからしょうがないのかもしれない。
覚悟決めて百歳までわがまま言い続けます。

絵本もとい漫画に目新しさが欲しい、そんな時は祖母の家で漫画を読んだ。
実家から祖母の家はほど近くて、漫画もたくさん置いてあった。
実家ではスラムダンクとタッチを読む、いや、捲るところ、祖母の家では星のカービィと名探偵コナンを捲った。
やはり内容はさっぱり度外視していた。

そして、ある時知ったのだ。
それがあることを。
きっかけは何だったのか、思い出せない。
それは祖母宅のダイニングの端に高く積み上げられてタワーを作っていた。
それは従兄弟が買ってきて。次の紙のゴミ回収まで溜められ邪魔扱いされていた。
それを読み始めると止まらなくて、まだ帰りたくないとごねるので家に持って帰って良いと言う祖母の言葉に甘えようとすれば、母に怒られしょっちゅう不貞腐れた。
それこそが、週間少年ジャンプだった。

従兄弟が購読者だったので、読み終わったジャンプは横向きに置かれ、古いものの上に新しいものが重ねられることでジャンプタワーの層の一部となり、ゴミ回収の日になると一掃されていた。
その頃の私はタワーが更新される仕組みを理解していなかったため、祖母の家を訪れる度ラインナップが変わっているタワーを見て、まるで魔法を目撃したかのように毎回感動していたものだ。
私の認識の中では長らく、新しくて新鮮で今時の漫画は、この何故か生まれ変わる祖母の家のタワーを崩すことでしか読むことのできないものだった。
ゴミ回収日のすぐ後で極端にタワーが低かったり、読んでいない号が既にゴミに出されてしまっていたりした時には、ガックリと肩を落としたものだ。
人の家でなんちゅう態度だろう。
怒られてしまえ。

その内に、本屋という概念を理解して新しい漫画は購入して手元におけるものだと知った。
それと同時に、祖母の家の不思議なタワーは要らなくなった漫画雑誌の集合体であったことも理解したのだが、だからといってジャンプの魅力が弱まるということは決してなかった。
小学生時、私はブックオフで100円帯にある単行本を、テストで百点何回取ったらという条件付きで購入を許されたが、ジャンプ購読の許可は降りなかった。
理由は、場所を取るから。
私は健気に、祖母の家に行く度にジャンプにしがみつき、目に焼き付けるように貪り読んだ。
人の家でだいぶお行儀は悪いのだが、必死だったのでご愛嬌ということにしてほしい。時効だし。
いや、やっぱり怒られてしまえ。

そしてきたる13歳の誕生日。
中学生になったのをきっかけに、誕生日プレゼントに「ジャンプを毎週買っていい権利」をもらった。
もう気分は最高だった。
二十数年生きてきた中で一番嬉しかったプレゼントは、間違いなく13歳の誕生日にもらった「権利」である。
断言する。これが一番嬉しかった。

学校から帰ってくるなり、すぐさまコンビニに走ってジャンプを買った。
その日は月曜日ではなかったが、発売日から日が経って、何度か立ち読みされたのであろう端の寄れたジャンプを、大事に抱えて胸を弾ませながら家に帰ったのを今でも覚えている。
表紙が何のキャラだったかは忘れたが。

それ以降、より強化されたジャンプ履修者となった私は、必ず月曜日時々土曜日の発売日にコンビニに行き、ジャンプを買って読んだ。
初めは家にジャンプがあることに慣れず、目の端に入る度ドキドキしてしまっていたのだが、ジャンプのある生活にも慣れてくれば、居間に雑に吹っ飛ばして置かれることも多くなり、母から片付けろと怒鳴られることもしばしばだった。
ジャンプを購読することは恋愛と似ているな、と思う。

高校生にも慣れば、もはや月曜日のコンビニ通いは日課になり、ついでにお菓子やらジュースやらホットスナックやらを買うという余裕ムーブも出来るようになった。
ジャンプを買えるのが嬉しくて胸がいっぱいで、雑誌コーナーの前でうろうろ、レジに行くまでにうろうろ、ひとしきり店内をうろうろしたところでようやく購入していた私が。
ジャンプだけで買わないと売り上げにならないのではないか、という究極にアホな思い込みで毎回財布も持たずにぴったりの小銭を用意して、並々ならぬ気合いを持ってコンビニに突入していた私が。
3年でこの成長っぷりである。
ジャンプを買う時の心得というものを実感をもって獲得したからだ。
やはりジャンプ購読は恋愛と似ている。

今にして思えば、小中高生なんて、大学生なんかよりよっぽど過酷なスケジュールで学校に通っている。
しかも毎日毎日同じことと同じ場所と同じ人との出会いの繰り返しである。
よくもまあ10年以上そんなことをしてきたもんだと自分に感心してしまうのだが、ジャンプを自分で買えるようになり、月曜日が意味ある日となったときから、同じことの繰り返しの中に楽しみという変化が生まれたように思う。
私の所属していた部活動はテスト期間とお盆年末年始を除いて休みが一切なかったので、もはや月曜日だろうが何だろうが全ての曜日が憎かったが、帰り道に何にもない田舎の通学路で、少し遠回りしてコンビニに寄って帰る月曜日だけは特別だった。
長期休暇中は学校で一日中部活をすることもあったが、遅刻上等でコンビニに寄ってジャンプを買ってから行く月曜日が最高だった。
だから月曜日が好きだった。
月曜日にジャンプを買うことは、辛い日々からの一瞬の逃避であり、憂さ晴らしであり、純粋に楽しい趣味だった。

今はもう毎週ジャンプを買うことはしていない。
しかし、ジャンプを糧に生きていた時間が消えることは永遠にない。
それを証明するかのように、私は未だに月曜日がちょっとだけ好きである。
もし私がサンデーもマガジンも好きな御三家網羅少年漫画オタクだったら、水曜日も同じよう好きだったのかな〜と思う。
もしそうだったら、将来週末と月曜日と水曜日が楽しみな無敵メンタル人間になることも夢じゃなかったかもしれない。
それはちょっと残念な気もしなくもない。
ただし、これは好きになろうと思って好きになるのではない。
ジャンプが好きになったらそのジャンプを買える月曜日のこともいつのまにか好きになっていたのである。
結論、ジャンプを購読することは恋愛に似ている。

もし月曜日が憂鬱で仕方なかったり、恋愛に悩んだりした時は、試しに週間少年ジャンプを購読してみても良いかもしれません。
あくまで個人の意見ですが、ご参考になれば幸いと思います。

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タマ
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