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日常ブログ #25お囃子・前編





先月、短い期間だが実家に帰った。
目的は、お祭りのお囃子を叩くためである。

私は親戚の縁で小学生の頃からお囃子を始めて、かれこれ十年近くお祭りで太鼓を叩いてきた。
お祭りはとても好きだが、お祭り野郎という言葉があるように、運営に回る生粋のお祭り野郎たちは常にお酒とタバコの匂いのするヤンチャめいた人たちで、遺伝子レベルで友人との交流が希薄な我が一家と馬が合うわけもない。
私たちは父、母、私と、家族ぐるみで十年近くもお祭り運営に関わってきたにも関わらず、準備期間から本番日に至るまでずっと場慣れしてません感を醸し続ける猛者として、お祭り野郎たちから一目置かれる一家なのである。
そのくせ集まりにはしっかり顔を出すのだから掴めない奴らだと思われているのではないだろうか。
ただ家族一同ノリが悪くて図太くて真面目なだけである。

そのお祭りは、毎年お神輿が複数とお囃子の山車が出る、活気溢れる年に一度のイベントだ。
しかし、ここ数年コロナ禍と自然災害によって連続して中止を余儀なくされていた。
だから存在自体忘れてしまっていたのだ。

大学の長い夏休みをまだまだ満喫していた先月、もうすぐお祭りだけどまだ太鼓叩けるの?と母から尋ねられた時、一瞬ではなく十瞬くらい思考が停止した。
お祭り?太鼓?はて?
現実逃避のため口先だけで大丈夫、大丈夫と答えたが、本当は叩き始めの一発目のリズムすらはっきり覚えていなかった。
まあ、でも十年もやってるんだから。
身体に染み付いているはずだ。
そのうち思い出すでしょう。
何より、実家には譜面があるのだ。
五線譜に音符の連なったかっこいい楽譜ではなく、テンとかツクとかひゃいひゃいとか謎の語句が並ぶ独特の譜面が。
素人が見れば何かを召喚するための怪しい呪文のように見えるかもしれないが、あれを見ればすぐに記憶の彼方から太鼓のリズムを呼び起こすことができる。
私の勝ちだ。何年かのブランクなんぞにこの私は負けないのだ。

しかし、数日後。
母から電話で、譜面がどこを探してもないという連絡を受けた。
譜面がない。つまり絶望である。
最後の頼みの綱が。そんなまさか。
もう私は叩き初めの一発目のリズムも思い出せないし、思い出すべき曲目がいくつあったのかすら思い出せないのだ。
譜面が無いなら詰みである。
数日間寝る前に思い出そうとしてみたが、無駄だった。
これっぽっちも思い出せなかった。
そもそも、これから眠ろうとしている時に身体に染み込んだリズムを目覚めさせようとしているのだから、思い出す時と場を完全に間違えていたのだが、その時はそんなことに気付きもしなかった。
ただ、数日間粘ってみたものの、ここまで忘れてるならもうダメだという諦めはものすごく早かった。秒で諦めた。
だから譜面が無いことを知った時の焦り様も尋常じゃなかった。
これっぽっちも焦らなかったのである。
凪いだ湖の水面のように恐ろしく静かな心持ちだった。
無いならしょうがない。当日大変なことになるだけだ。
責任放棄の早さも尋常じゃなかった。 
私は今ではかなりの古参になってしまったので、初心者の多いお囃子会の中でも要のポジションに立たされていたのだ。
おそらくお祭り当日には、より難しく覚えにくい曲目を任されるのだろう。 辛い。
でも大丈夫。もう諦めたから。
思い出すのは諦めて、当日譜面を持っている誰かに頭を下げて縋ることにしよう。
もうそれしか太鼓を叩く方法はない。
簡単なことのように思うかもしれないが、私があのお祭り会場で、あのお囃子会の人たちの輪の中に入って、あの譜面見せて頂けませんか、と自分から話しかけるだなんて、これはもう本当に大変なことなのである。
腹を一個、二個括ったくらいじゃ済まない。
私の半生における最大級の勇気を外面を装うことでやっと成し遂げられる巨大なミッションなのだ。
ただでさえあの場に行くとコミュ力弱者ムーブが加速してしまう。
神社という聖域の中では人間の本性が現れるということなのだろうか。
とはいえ、たとえ恥をかこうとも人様に迷惑をかけるわけにはいかない。
本番当日に譜面を持ち歩いてるような日和った輩があの現場にいるかどうか、半ば賭けではあるが、もはや賭ける他に選択肢はない。
あるいは全力で体調を崩すことを祈るばかりである。

そんなこんなしているうちに、お祭りの日が近づいてきた。
日曜のお祭りのため、金曜に実家に戻った。
すると母から開口一番、お祭りが中止になります、と言われた。
今度は十瞬ではなく、十五瞬くらい時が止まった。
お祭りが?中止?はて?
実は今年の夏は地元で水害があり、神社周辺も少なからず被害を受けたようなのである。
詳しく聞くと、前々からお偉いさんたちの間で中止にするかどうかの議論がなされていたのだが、当日二日前の今になってようやくその議論が着地しそうだということらしい。
下っ端である私たちのところにはそんな細かい事情までは回って来なかったので、直前の連絡になってしまったようだ。
すごい!ドタキャンって本当にあったんだ!嘘じゃなかったんだ!
これが大人の世界か。なかなかに渋い。
これでたった今、私が東京から実家に帰ってきた理由がなくなったわけだが、まあそうは言っても、私は全然いいんですけどね。
全然構わないのですが。
太鼓叩かなくていいなら何だって全く構いませんよ。
もしかしたらお神輿やお囃子やお祭りの活気を楽しみにしていた人たちもいたのかもしれないし、そういう人達のためにも直前までやるかやらないかの結論が出せなかったのだろうが、そんな葛藤も口惜しさも大丈夫だ。全然オッケー。
来年はもっと盛り上がるお祭りになるだろうし、自然災害なのだから背に腹は変えられない。
お祭りもお囃子も太鼓も譜面貸してもらう計画も全部中止。
仕方がない。こればっかりはしょうがない。
週末実家でやることもなくめっちゃ暇だけどしょうがない。
明日と明後日は朝から晩まで漫画でも読もうかなと思ってるけど、これもしょうがない。
だって中止なんだもん。全くしょうがないな。
この事態を受け入れるしかあるまい。
本当にしょうがないな。やれやれだぜ。
そうして、ニコニコしながら帰宅し、その夜は心から安心してよく眠れた。

しかし、次の日の朝、早速その平穏は崩された。
母より、お神輿は中止だけどお囃子は出ることになりました、と伝えられたのだ。
もう二十でも三十でもない。百瞬くらい行ったんじゃないだろうか。
ショックのあまり開いた漫画を閉じられなかった。
普段だったら人間不信のおかげで何事も疑い深く慎重に物事を考えるのだが、今回ばかりはお神輿の中止に伴うお囃子の中止という情報が嬉しすぎてまるっきり鵜呑みにしてしまったのだ。
せめてお囃子だけはと無駄な足掻きが行われる可能性を頭に入れておくべきだった。
不覚だ。当日まで油断するべきじゃなかったんだ。
絶望したり喜んだり絶望したり、ちょっとこの短期間で私の情緒活発すぎやしませんか?
ジェットコースター並の高低差で具合が悪くなりそうだ。
本物のジェットコースターだって決して得意なわけじゃ無いのに!翻弄してくれちゃって!あんまりだぜ!
しかし運命に悪態をついたところで何も変わらない。
話は振り出しに戻ったのだ。
もう括る腹も決める覚悟も余っていないが、ここ数日かけてなんとか振り絞り準備し、そして一度は景気よく捨ててしまった勇気を一日で取り戻さなければならない。
何だか泣きそうである。
以前もこんなだったか。一番最近のお祭りがもう4年も前だからよく思い出せない。
別に特に嫌な思い出があるわけでもないが、一旦ログアウトした問題にまた一から取り組まなきゃいけないことに心が折れそうなのだ。
明日明後日は漫画パラダイスだと昨晩勝手に決めてしまったし。
何が漫画パラダイスだ。
今日も明日も不安と焦りパラダイスだ。

そして無情にも前日の一日はあっという間に過ぎた。
一片のリズムも思い出せないまま夜が明けた。

ついにお祭り(お神輿無し)当日である。


次回に続く


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タマ
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