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日常ブログ #24太鼓






10月も半ばである。
毎年この時期になると、運動会のシーズンだな、と感じる。
もちろん二十歳を過ぎた大人には運動会も学校も試験も何にもない。
いや、学校はあるか。
この現象は、これはかつて9年もの間秋には運動会があるという時代を過ごしてきた者に起きる、条件反射と言えるだろう。
だから、最近はやたら運動会にまつわる思い出が蘇ってくる。


忘れもしない、小学5年生の秋。
夏休み明けから着々と運動会の準備が進められている時期だった。
私の出身小学校では、4年生と5年生の全員が鼓笛隊のパフォーマンスを行うというプログラムが、運動会の恒例として行われていた。
鼓笛隊ビギナーの4年生は皆問答無用でリコーダー部隊を担当するのだが、5年生からは自分の好きなパートを選ぶことができた。
花形の指揮、目立ちやすいフラッグ、女子人気の高いバトンやポンポンなど、様々なパートがあった。
私が希望したのは、パーカッションだった。
ほとんどの楽器は吹奏楽部が担当しているなかで、吹奏楽部じゃなくても希望してテストに受かれば担当できる楽器パートが、唯一パーカッションだったのだ。
昔から楽器をやってみたかったし、どうせやるなら派手に音が鳴らせるパートを、と考えた。
いかにも小学生の発想である。
とはいえ、テストのための練習は誰より真面目に、一生懸命やった。
昼休みには欠かさず音楽室に行き、練習のために用意された、ガムテープでぐるぐる巻きにされた『ちゃお』を熱心にバチで叩いた。
来る日も来る日も『ちゃお』を叩いた。
情熱を持って『ちゃお』を叩き続けた。
全てはパーカッションのテストに合格するため。太鼓を叩くため。
そうやって『ちゃお』を叩いているうちに、いつの間にか残暑から清々しい秋へと季節が流れていた。
とうとうテストの日が近づいてきたのだ。

パーカッションのパートは全部で5つの楽器によって構成されている。
小太鼓、中太鼓、大太鼓、シンバル、トリオである。
吹奏楽部ではない一般人が担当できるのは中太鼓、大太鼓、シンバルの三つ。
それぞれ募集定員は中太鼓3人、大太鼓とシンバルは1人ずつだった。
しかし、こんな一丁前に募集定員と言ってはいるが、実はパーカッションは希望者が少なく、毎年定員割れを起こしている不人気パートだったのである。
私の年も中太鼓希望が私含めて3人、シンバル希望が1人と、張り合いも何もない現場だった。
そのため6年生の先輩達も指導に熱が入らないのか、
「テストでは間違えたらもう一回やり直させてくれるよ」とか、
「定員割れを起こしても吹奏楽部から欠員補充が来るよ」とか、
「音楽室の奥にある『ちゃお』は練習の時に使っていいよ」とか、
微妙な知識だけ与えて、早々に練習に来てくれなくなった。
よくよく思い出してみれば、そんなにゆるい状況で何故あんなに熱血『ちゃお』叩きに励んでいたのか自分でもよくわからない。
なんだかんだ言ってもテストが不安で緊張していたのだろうか。

そんなこんなで迎えたテスト当日。
私たち4人は横一列に並べさせられ、4、5人の先生たちに囲まれながらテストを受けることになった。
何故?何故こんなに先生がいるのか?
試験官?こんなに必要か?
いや、絶対要らない。音楽の先生だけで充分じゃないか?受験者よりも多いぞ。
学年主任は一体何しに来たんだよ。職員室に帰ってくれよ、お願いだから。
もしかして、私が知らなかっただけで実はパーカッションってめちゃくちゃ重要なパートだったのか?
そうなのか?じゃああの先輩達のゆるさは一体何だったんだろう。
こんなに圧かけてくるんだったら定員割れなんか起きないように工夫をするべきだ。
もっとパーカッションの魅力をアピールして希望者が増えるように誘導するべきだったんだ。
そうすればより優秀な人材を発掘できたはずだ。
大人の圧に負けないでテスト本番でも実力を発揮できるような人材が!もう緊張で吐きそうだ!
結局は広報を怠ったがために起きた必然の事態だったのさ。
広告やコマーシャルはすごく大事なんだ。
もう手遅れだぜ。残念だったな。私は早く帰りたい。
みたいなことをテストが始まる直前まで悶々と考えていた。
ほとんどパニックと言ってもいい。
とても緊張していた。

テストは、いくつかのリズムのパターンを覚えて一人ずつ順番に叩く、という形式だった。
叩くのは『ちゃお』ではなく、本番で使用する中太鼓である。
私は、この日初めて中太鼓に触った。
本物である。ガムテープでぐるぐる巻きにされた『ちゃお』じゃない。
叩けば音が出る本物の太鼓だ。
私はこれを叩きたくて毎日『ちゃお』を叩いて特訓していたのだ。
まだテストが始まってもいないのに、感慨深い思いがした。
いっそう緊張感が高まった。
が、すぐに悠長に感動していられない事態が発生した。
太鼓が小さいのである。
明らかに太鼓のサイズが合っていない。
普通、鼓笛の太鼓っておへその下くらいの腰で支えるような位置に太鼓があるものである。
だが、人一倍図体がデカかった私が太鼓を持つと、胸の下くらいに太鼓があるのである。
これでは叩けない。どう頑張ってもバチが太鼓の縁に当たってしまう。
これは全くの想定外だ。なんという事態。沢山いた先生達もざわざわし始めた。
人よりも少し背が高いことで得をしたこともあるが、あの時ほど自分の身長の高さにイラついたことは後にも先にもないと思う。
呪うとか恨むとかではない。イライラした。
本気で縮めと思った。
しかし無情にも、そのままテストは始められた。
無情にもって言ったってどうしようもないのである。
規格外にデカかった私が悪い。
それか、規格外にデカい私という存在を想定しなかった中太鼓が悪い。
だが、むしろこのハプニングのおかげでかなり冷静になった。
イライラが緊張を圧倒したのだ。
全然全くこれっぽっちもありがたくないしラッキーでも何でもないが。
『ちゃお』と向いあったあの日々を太鼓が悪かったで終わらせてなるものか。
言い訳で合格できるほど甘くはない。何が何でもやらねばならぬ。
本番は意地で太鼓の縁に当たらないように何とか叩き、無事ノーミスで通過した。
負けん気と底意地を発揮した瞬間だった。
まさに今の私に足りないものである。
昔は溌剌としていたのにね。今はどうでしょう。
私も丸くなったのです。

テストの結果が出たのは数日後であった。
受験者は全員合格。欠員は吹奏楽部からの天下りで補充される。
でしょうね、と言った結果だ。
だが、発表の際に私一人だけが学年主任に呼び出された。
何事かと思いながら、言われるがまま廊下に出て話を聞いた。
学年主任の話はこうだ。
あなたは見事パーカッションのテストに合格した。
だがあなたの希望する楽器であなたの体に合うものはこの学校にはない。
残念だが、中太鼓を叩くことはできない。
他のパートのテストも終わってしまったので、今から他のパートを希望することもできない。
なので、パーカッションを諦めてリコーダー隊に入るか、希望者のいない大太鼓を担当するか、今ここで決めてください。
哀しみとは何だろうか。虚しさとは。
勝負に勝って戦いに負けたら、私が『ちゃお』と睨み合ったあの鍛錬の日々はどこへ行くのだろうか。
私は全力と最善を尽くした。
意地と根性で嫌がらせのように叩きづらい中太鼓をテストというプレッシャーの中で叩き切ってみせた。
実力を認めてもらえたし、そうなるまでの努力も惜しまなかった。
しかし、世には超えられる壁と超えられない壁があったようだ。
もうどう頑張っても私が叩ける中太鼓はないのだ。
テストのあの日が私が叩いた最初で最後の中太鼓のリズムになってしまったのだ。
ならば、中太鼓を叩くために捧げた私の日々は、情熱は、意地は、根性は、『ちゃお』は、一体どこへ行ってしまうのだろうか。

学年主任、まさかこんなことを私に伝えるためにあの日あの場所にいたのか。
だったら尚更帰って欲しかった。
だが、リコーダーか大太鼓か、今はただそれだけが問題だ。
後輩に混じってちょいダサデザインのチョッキを着て、去年と全く同じことをするのであれば、と考え、大太鼓をやりますと返事をした。
ただこの大太鼓が、なるほど誰も希望しないわけだと深く頷ける大変さで、デカいわ重いわ持ちづらいわの三拍子に加え、何故か大太鼓用のバチが一本しかないため片腕にひたすら乳酸が溜まるという地獄のようなキツさだった。
そして追い討ちをかけるように、全鼓笛隊の中でも一人しかいない上に一番音が響くパーカッションの要なので、リズムが早くなったり間違えたりしたら一発で全員にバレるというプレッシャーももれなくついてくる、憂鬱よくばりセットみたいなポジションだったのだ。
鼓笛の練習中、リコーダーにしとけばよかったな、と何度ちょいダサのチョッキを羨ましく眺めたかわからない。


もしかすると、この時の出来事が私にとって初めての挫折だったのかもしれない。
いや、ちゃんと思い出せばもっと色々ありそうである。
ただ、時に理不尽に思えることでも、それ以外どうしようもないのであればいつまでも文句を言っているわけにもいくまいと、ある種の諦めという知恵を身をもって覚えたのは、間違いなくこの出来事がきっかけだと思う。


そして、毎年秋になると、ふと思い出す時がある。
情熱が実らなかったことは確かに残念だったが、精一杯頑張ったことに関しては今も少しも後悔していない。
この先に立ちはだかる試練も、結果や後先を憂慮せず、心の『ちゃお』を叩いて臨みたいと強く思った。

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タマ
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