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不登校支援事業は蜘蛛の糸か?

※この記事は一部の学校関係者に向けて書いています。僕は怒っています。

蜘蛛の糸

芥川龍之介『蜘蛛の糸」
(ご存知ない方はこちらへどうぞ。)

不登校の理由は様々。

不登校にならざるを得なかった子。
不登校にさせられた子。
不登校を自ら選んだ子。

それぞれにそれぞれの対応が必要で、
万能薬も特効薬も存在しない。

不登校を選んだ子、我が子が不登校になった(を選んだ)という保護者は
不安や焦り、自責の念、様々なマイナスの感情に襲われる。

誰一人として「不登校」という事実から、プラスの感情を抱く人はいない。(狭い見識、出会ったことがない。)

「我が子を救いたい」一心で「子どもの居場所」を探し求め、
親心につけ込んだ、「不登校ビジネス」が闊歩する。

血の池で溺れた犍陀多の前に、一筋の糸が垂れてきたように。

しかし、蜘蛛の糸のたどり着く先が天国とは、限らない。

ホントウの「悪」

不登校は「悪」か。
否。

不登校は進路に不利になる。
不登校は人生終了。

そんなふうに本人に、その家族に思わせる「学校」「社会」が「悪」なのだ。

学校の怠慢が
付け入る隙となって
子どもを
家族を
苦しめる

つけ込まれているのだよ、
我々は。

すすんで灯りをつけましょう

社会は簡単には変わらない…
大学が変わってくれれば…
高校が変わってくれれば…

他責思考はやめてくれ。

「学校」は
所属する子どもたちのためのもの
登校していなくても。

どの子も学べる、
どの子も学ぼうと思える、
そんな場所でなければならない。

教員は環境をつくるだけ。
畑を耕すだけ。
水を撒くだけ。
どう育つかは「タネ」が決める。

余計なことはするな

咲かせるチカラは
実らせるチカラは
初めから備わっている。

その土に合わないからといって
タネを放置する
畑から放りだす

そんな馬鹿げた話があるか。

言い訳ばかり

「その子が選んだことだから」
「その家庭の教育方針だから」
自分に都合のいい「自己責任論」は言語道断。

「無関心」は「排除」と同義だ。

「教え」「育む」職責を放棄するな
「教え」「育む」対象を選り好みするな

仕事が増える?
馬鹿野郎

これまでは

子どもが
合わせてくれていただけだ。

どこを見ている

余計な仕事に
心を奪われ

目の前にいない子のことは
見ようともしない

お前のその目が見ているのは

子どもか

それとも
称賛を浴びる自分の姿か

ばかたれ。




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