公教育が終わった日
教員の数が足りない。
教員の成り手も減ってきている。
厳しい教育業界にまた逆風が吹いた。
2024年5月30日、一つの裁判の判決が出た。
那須雪崩事故。
那須雪崩事故
公教育が終わった日
部活動によって尊い命が失われた。
これは絶対にあってはならない。
そして、部活動によって「禁固刑を受ける(=失職)」ということが示された。
もちろん犯した罪は償わなければならない。
しかし、
部活動は教員の担うべき仕事ではない。
そのため、ボランティア活動(自主的活動)扱いである。善意で引き受けた活動によって、大切な命が失われ、その責任を問われ、職を失う。
そんなボランティアを誰が引き受けるというのか。
まさしく「部活顧問を引き受ける=人生が終わる可能性を引き受ける」のだ。
「働き方改革」が叫ばれて久しいが、教員の世界では遅々として進んでいない。仕事を減らす気がない、待遇改善する気もない文科省。教員採用試験倍率の低下による成り手不足。これらに加えて、今回の判決である。
業界の「ブラックさ」に拍車が掛かった形だ。
このような業界に新たな人材、質の高い人材が入ってくるだろうか?
公教育は終わった。
そもそも部活動とは何か?
部活動とは
このように、部活動は「生徒の自主的、自発的な参加により行われる」ものである。つまり、「興味・関心がある者同士が集まってやるんやで〜。学校は教育課程(学業)と関連するように活動するんやで〜」という教育課程外の活動なのだ。しかし「学校教育の一環として」や「教育的意義が大きい」と書かれ、その位置付けは曖昧だ。
いずれにせよ「学業(授業)の方が優先されるべきであり、授業だけでは学べないことを学ぶための場である」ということは忘れてはならない。
では、現実はどうか。
私の経験でしか語れないが、必ずしも生徒の自主的、自発的な参加により行われているとは言い難い。
部活動は「自主的、自発的」な活動か?
生徒から「今日部活行きたくね〜」「部活辞めたい」という発言はよく聞かれる。
「休んだらいい」「辞めたらいい」というと「顧問が怖いから」「親に怒られるから」「進路に響くから」という答えが返ってくる。
これが「自主的、自発的」と言えようか。
もちろん生徒の幼さからくる発言である可能性も否定できない。
しかし、この発言をしてしまう状況が現実にあるのだ。
行きたいと思える部活ではない。
休みたくても休めない。
辞めたいが、辞められない・辞めたら不利益になってしまうと思っている(もちろん不利益など無い)
もちろん「活動内容を生徒自身が決めている」なんてことは皆無である。顧問にお伺いを立て、言われたことを疑いもなくこなしていく。
これが「自主的、自発的」な活動と言えようか。
実質的に活動不可能な部活動
部活動は早朝(7:00〜)や放課後(16:00〜)に行われる。
対して教員の勤務時間は8:00〜17:00の間で設定されることが多い。この中には休憩時間が含まれており、放課後(16:00〜)に設定するという学校がほとんどだ。(休憩できる、できないは別として)
また教員の給与等に関する法律である「給特法」には「原則として時間外勤務は命じないこと」となっており、時間外勤務を命じることができるのは「①児童生徒の実習や校外学習の業務、②修学旅行などの学校行事に関する業務、③職員会議などに関する業務、④非常災害などのやむを得ない業務」(超勤4項目)のみだ。部活動は含まれない。
ここまで読んできてお気づきだろうが、教員が勤務時間に部活動をやる時間は無い。
そして時間外勤務に当たらないため、自主的活動扱いになる。
言うまでもなく教員の本分は「授業」である。つまり「部活動」よりも「授業(授業準備)」が優先されるべきなのだ。
しかし現実はそうではない。
部活動の終了時刻は18:30〜19:00頃に設定され、その時間以降に授業準備や雑務の処理を行うことがほとんどである。
自分の時間を犠牲にしてまで引き受けたボランティア活動で、何か問題があれば責任を一人で引き受けなければならず、最悪の場合は失職する。
しかし文科省は部活動を学校から切り離すこと(地域以降)に後ろ向きだ。
人間だもの
「失職リスクのあるボランティア活動がセットのブラックな仕事」
こんな職業に誰が就こうと思うのか。いくらやりがいがあっても無理だよ、人間だもの。