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日帰り歩き旅 第2回 東海道岡崎 最終回(知立〜岡崎)

今回で本当に岡崎歩き旅最終回。慣れないもので、全然ペース配分が分からず、前中後+今回の4話構成になっちゃいました。もう少しだけお付き合いくださいね。
ではでは〜

前回、池鯉鮒宿出てからの松並木に感動したところからです。松並木の間間にもいろんなオブジェや、昔語りが有りました。

カキツバタ、らしい
馬市句碑
馬市句碑。右の句、575の句が2つあるのか?
天下和?最後の字は順かな?
久々登場の一里塚さん(^^) 来迎寺の一里塚

ここは一里塚もさることながら、石碑の後ろの丘と、その上の一本松がいい感じでした。

また有った、天下和〜。道の向こうで撮れなかった(^^)
来迎寺公園の石碑。今一つ何か分からなかった😅
親近感感じる"玉"乃井。井戸の跡かな?

ちなみに愛知県の一宮に、玉ノ井って地名があったりします(^^)

清洲城の近くにもあった日吉神社
明治川神社
明治川神社はとても広くて立派だった。

14:20。この明治川神社の鳥居くぐる時に、子猫の声がした気がしたんだけど、気のせいかな?周り探したけど居なかったし幻聴かな?

永安寺
永安寺
永安寺の雲龍の松
永安寺の雲龍の松

とても見応えある松。時間が押してなければゆっくり見て説明読みたかった〜😅

後編に続きまたまた登場、明治天皇御駐蹕之所

この駐蹕も意味を調べたら、乗り物を止めた、ひと時滞在した、みたいな意味だそうで。そもそも"駐蹕'読めます?ちゅうひつ、と読むそう。漢字を見つけるのも一苦労でした(^^)

一里塚さん(^^)

14:40。コンビニで買ったおやつのブラックサンダーを食べながら、一里塚通過。後ろの松が鎌倉街道の"目印の松"とやらかな?

予科連之碑。第一岡崎海軍航空隊。

終戦間際に若い子たちが航空機乗りになる為猛特訓してた所だそうです。

岡崎市のゆるキャラ、オカザエモン。このキモさよ(^^)

15:10。ついに岡崎市突入。

和志王山薬王寺
なんかすごい説明。なかなか面白いから一読推奨(^^)
営業してたら入りたかった(^^)何が"こんぼ"なのか🤔
普通の民家に貼ってあった、アバウトな案内🤣
岡崎←→池鯉鮒でいいじゃん。江戸、京って。間違っては無いが(^^)
ついに4度目の登場(^^)明治天皇
蜂須賀小六つぁんと、木下藤吉郎出会いの像
この説明文量の差よ🤣

明治天皇より圧倒的に目立ってる小六つぁんの像(^^)
蜂須賀小六と秀吉がこの矢作橋で出会ったという話は後世の創作の様ですが、秀吉からの信頼の厚さは本物だったと、私は思ってます😀
15:40。矢作橋を渡り岡崎城下へ。

まるや八丁味噌
創業者の名前を冠する味噌。その名も弥次右衛門(^^)
これは購入しました。岡崎限定商品。

岡崎といえば八丁味噌。スコッチ やシャンパンと同様(同じか?🤔)岡崎の八帖町で作られた物しか八丁味噌を名乗れないんです。あと原材料とかもいろいろあるそう。数年前に朝ドラの舞台になってたなぁ(^^)
とか思ってたら、

宮崎あおいさんの手形発見(^^)

敵兵が城に到達しにくいよう、10年かけて街道をクネクネにしたそうです。それが27曲がり。ただ今回は時間の関係でパス。次回ゆっくり回ろうと思います。
16:10東海道はここまで、最後は街道から少し外れ岡崎城へ向かいます。

日が傾いてきた岡崎城
後光?がさしてる家康公

岡崎城公園、一日中居れそうなくらい色々あって、本当にもっとゆっくり見たかった😂家康好きにはたまらない場所。長くなっちゃうから写真とかも少な目にしときますが、東海道旅する方はお立ち寄りをオススメします。
確か武将隊とかも居たはず(^^)
最後は家康公の人生訓を。

人生は重い荷を背負って遠い道を行くが如し、急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なし。
おのれを責めて人を責めるな、などなど。
心に沁みるいい言葉🥺

というわけで、今回の歩き旅はここまで。この後は公園を抜け、名鉄東岡崎駅から帰路につきました。

まさかの4部構成になってしまった、岡崎歩き旅。写真を載せて文章書き始めると、アレも載せたい、これも書きたい、とどんどん長くなってしまいまして(^^)
本番の東海道(名古屋→大阪)もブログ投稿予定なので、もう少し構成や文字数等考え、読みやすくて少しでも楽しいと思ってもらえるようなブログを目指したいと思います。
それではここまでの長文・乱文お付き合い、ありがとうございました😊 ではでは

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