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東海道(熱田→興津)歩き旅    第4回後編

どーも。
まさかの前中後編になってしまった4日目。

掛川→藤枝は30km位だから、昼前に出ても楽勝♪
とか余裕かましてたら、小夜の中山(峠)の坂と濡れた石畳に思わぬ苦戦を強いられた玉さんです。

前回までのあらすじ↓

この日のゴールは藤枝、あと13kmくらいです。
ではでは〜

金谷宿→大井川

時刻は14:30過ぎ。石畳の金谷側入口からスタートです。

石畳、金谷側入口

峠越えからすぐに一里塚発見。

金谷の一里塚氏
良い感じの古地図

一里塚からすぐに金谷宿に入って行きます。

まずは問屋跡
柏屋本陣跡(1番本陣)
佐塚屋本陣跡(2番本陣?)
山田屋本陣(3番本陣)

のっけから本陣が3連続(^^)

ココ金谷宿は、西は峠(小夜の中山)、東は大井川という地形から、ココで宿泊する人が多かったのは容易に想像できます。

上の古地図の立派な宿場感、3連本陣もそのためでしょう。

こんなのありました。

金谷といえば大井川鐵道のSLやトーマスが有名です。
学生時代に友人とSLには乗りに来ましたが、トーマスは見た事ないのでそのうち見に来たいなぁ。

金谷の渡し場跡
仲田 源蔵氏

職を失った渡し人足のために政府に直訴とかした、なんか偉大な人(説明雑🥹)

いざ大井川へ

タイトル画像にもある「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」。

昔は水量が凄かったようです。

今は歩いても渡れそうですが(^^)

コレにはダム開発とか複雑な事情があるようです。

大井川→島田宿

大井川を渡ると、島田側の渡場跡があります。

15:10、島田側の渡場跡
頼朝公の渡河

実際は14代家茂公だとのこと(^^)

渡場の人足

江戸時代に、技術的に大井川に橋かけ出来たかは分かりませんが、橋かけ禁止にする事で、人足の雇用や、前後の宿場の宿泊者増加など、莫大な利権が絡んでる。
みたいな話をなんかで読みました(^^)

街並み

島田宿側の渡場は、良い街並みが残ってます。

やってたら寄りたかったお店
人足の詰めてた宿とか
札場の跡とか

ココは渡場の跡なので、島田宿自体はもう少し先のようです。

渡場から歩く事20分ほど、島田宿手前の大井神社。

ココも良い雰囲気でした

ゴールが見えてきたので、ココは参拝しました🙏

道標とか

島田宿→藤枝宿

16:00前、島田宿に到着。

銀行の芭蕉句碑
本陣跡
コチラも本陣跡

島田宿も本陣が3つあったそうです。代わりに脇本陣は無かったとか。

問屋跡
昔から刀鍛冶が有名だったそう
宿場の中程に島田の一里塚っち

島田さんも比較的町中なので、古い街並みとかは少なかったイメージ。

しかし石碑や木造りの案内板で、最低限の雰囲気作りはしてるように感じます(^^)

あと島田宿の東口付近で、珍しいもの見つけました。

昭和天皇御巡察の〜(最後の字が読めん🤣)

明治天皇は一宿お一人位いらっしゃいますし、大正天皇も時々居られます。

しかし昭和天皇は東海道半分以上見てきた中で初めての出会いでした

そんなこんなで16:20、島田宿を後にします。

上青島の一里塚アナ

一里塚通過。藤枝まで4.5km。

茶屋の跡とか
並木とか
古東海道の跡とか

まあ色々見ながら、なんとか日没前、藤枝市内に入ります。

今日はこの交差点まで

藤枝の宿場はもう少し先ですが、藤枝駅前に宿をとってたので、この日はココで終了。翌日この交差点から再開します。

峠で苦戦しましたが、なんとか予定の藤枝まで歩き切れました。

歩き旅も残すところ後1日、最終日は旅のゴール興津までです。

ココまでのお付き合い、ありがとうございました🙇‍♀️

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