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進化のその先へ

なんでも
見たい!知りたい!

その欲求が人間をここまで
進化させてきました。



見えなくなると不便だから
いつでも全てが見えるようにと、

眼鏡やコンタクトレンズ
レーシックまでもが
発明されました。



知らないと不安だから
なんでも知っていれば安心だからと、

テレビやインターネット
情報が溢れる世界になりました。





見えなければいけない

知っていなければいけない



本当にそうなのでしょうか?



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私は視力が0.1程ですが、
裸眼で生活をしています。


ネイリストという
細かい所を見ることが必要な
職業ですが、

至近距離である爪先だけは
しっかりと見えています。

近視というやつです。


テーブルを挟んで
向かいに座っている人の表情は
ぼやけています。




私の家にはテレビがありません。


YouTubeやblogを配信する時に
パソコンやスマホを使用しますが、

ニュースや情報サイトなどを
開くことがありません。

明日の天気予報すら知りません。




よく、

目が悪いと、

「見えなくて不便じゃないですか?」


情報入手経路がないと、

「知らなくて困りませんか?」


と聞かれます。




私の答えは、

「とても快適です」



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私にとって、
見なくていいものがあったから
目は見ないようになったのです。

見る必要があるものは、
不思議と
ちゃんと目にとまります。



私にとって、
知る必要のない情報だったから
取り入れないことにしました。

知る必要があるものは、
不思議と
人や石や空気が教えてくれています。



何もかもが溢れているこの社会。

受動的に生きていると、
濁流にのみ込まれるかのごとく、

不要なものを受けとりすぎて、
コントロール感を失くします。


能動的に、
自分が欲しいと思うものに
手を伸ばし、

自分のアンテナの精度を高めて
生きていくことが、
必要だと思います。



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目が悪くて、
お客様の顔がハッキリ見えないからこそ、

コミュニケーション力を高め、
直感力を高め、

しっかりと
お客様の心と向き合うことが
身に付きました。


(色んなものが見えたり感じたりするようになったのも、視力低下のお陰で三次元に引っ張られずにいるのかも)




情報過多で
情報の消化不良になっていないから、

自身の情報
自身の欲求

を内観し、
拾い上げることが出来ています。





見えなければいけない

知っていなければいけない



もう、そろそろ
いいんじゃないかな??



by たまちゃん




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