【雑記】変化が怖かった
子供のころから引越しの多い人生で、それでも私は環境が変わるのが苦手だった。
小学生のときに関東→関西という距離感の引越しをした時には、街並みから言葉までなにもかもが違っていて、自分の力ではコミュニティを作ることも移動することもできないこどもの私にはそれが本当に恐怖でしかなかった。
何それ変な言葉!
と関西のイントネーションでボロカスに笑われ続けた転校数日間は毎日泣いていた。笑
(ちなみに私が話しているのは標準語であった。このときの私は、関西弁の方がへんなのに。とキレていた。)
おかげで私は関西が大嫌いになった。
でも言葉やイントネーションを笑ってくるクソガキどもは放置していれば離れていったし、そのうち友達もできた。
そうして中学と高校と関西の中で引越しを繰り返すうちに気付いたのは、小学校の地域の民度が極めて低かったのだなと。
イジメや教師を暴行して病院送りにさせたり、非常口階段でシンナーや喫煙するほど荒れている子供がいてもさほど問題にならなかった地域。
大人になってもその県を出たことがない人が圧倒的に多い土地である。差別発言のつもりはない。
ただ、「多様性がなく排他的」だな、とは今でも感じている。
関西をひとくくりにしてはいけないな、と気付いたのは高校生の時だった。
その時住んでいた場所は将来の夢を持てるほどにいい人が多かった。
いまでは関西は嫌いじゃない。
好きな仲間がたくさんいる。
前置きが長くなったけれど、そんなことがきっかけで私は変化が怖かった。
引越しも、進学も、就職も、転職も、恋人も、結婚も、そのとき一緒にいる友人も。
何かが変わるのはこわい。
変化がおこると、今までの自分が強制的に違う自分にならざるを得ない。
慣れるまで少なくとも全ての季節をクリアしなければならないし、慣れた頃には新たに好きになるとこも嫌いになるところも出てくる。
とにかく目まぐるしくて落ち着かない。
と数年前まで思っていた。
けれどあくまでそれは「人の手によってもたらされた変化」に限るのだとここ数年で気付いた。
高校や大学も自分が行きたいところを受験したし、結婚もこの人としたい!という人としたし、やりたい仕事をやっている。
そういえば環境が変わることはこの数年は怖くない。
自分の手で変えたものは、いい風にしかならないし、自分自身は揺らぎなく変わるのは周りだけ。
そう感じるようになった。
だから自分の手で選ぶことはすごく大切だし、こっちの方がきっといい、と考えをもてる頭や経験も必要。
大人になってそれがわかるなんて切ない😂
子どものときに知りたかったな。
まとまってないけどおわる。