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No.239|真剣に学んでいるか?
2023年9月1日 たまちゃんの「いつか何ものかになる道」 No.239
当ブログは、30代後半の元ポンコツのサラリーマンが何ものかに変化変容を果たす過程をリアルに発信します。
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■学び地蔵
最近、焦りを覚えています。
自分という存在の小ささに驚いています。
最近、他者に対してどのような価値が提供できるのか、を自問自答しています。
そして、リアリティを持って今後の人生を少しずつ考えるようになり、時間が圧倒的に足りない感覚に陥っています。
というのも、少し新しい活動をしようと思い、直近1週間で新しいインプットを増やしてみたのですが、まったく回らない。
やりたいことや、やらないといけないことをやる時間が足りなさ過ぎる。
そして、他者よりはインプットをしてきた自負はありますが、知識になってはいても身にはついていない。
そのため、改めて学びの定義や学び方を見直す必要があります。
今まで、学びに対して真剣ではなかったなぁと感じています。
インプットもいかに自分の行動に活かすことができるかの観点でようやく取り組み始めました。
身についていない学びは何の役にも立たない。
ビジネスマンとしてはどんどん学んでも、自分の行動の変化に繋がらないと意味はありません。
では、なぜ自分の行動に繋がらないのか。
行動が変わらなくても問題ないからなんですよ。
いつか変わればよいだろうと考えていたから。
しかも、性質が悪いのが、学んでいるということの満足感。
他者よりも学んでいるだけ自分はマシだと考える。
ただ、身についていないわけで、行動には反映されておらず、実は何も変わっていないんですよね。
■行動につなげる学び
ただ、追い込まれるとやはり取捨選択をしないと間に合わない。
知っておいた方が良い、やっておいた方が良い、ということを削ることができます。
時間があると、これらのbetterなことに対しても時間を使うことになります。
しかし、betterのような内容を単に学ぶんでもあまり意味がないんですよね。
ということを考えると、身につけるためには以下の流れが考えられます。
①自分を追い込む
②インプットの際にbetterを削る
③絞り込んだ内容を繰り返し使う(見直す)
自分の身にならない学びには意味はない。
学び地蔵になり、インプット過多にならないようにする。
焦りつつも、プラスに解釈できてきているのでいい感じです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
明日も「即断・即決・即実行」「わからないからすべてやる」「二度手間万歳!三度手間最高!」「習うより慣れよ」「批評家ではなく実践家であれ!」でいきます!
●本日のまとめ
・身体知化されていない学びはただの自己満足である。
・形だけの学びになっていないか、その学びが自己満足になっていないか、を問うことは重要である。
・無駄な部分は削りつつ、繰り返し身体知化することを学びと解釈する。