すべての枝から葉を失うように
老いはわたしたちに迫ってくる。父や母を見ていてもそれを実感することが増えた。そして、老いは見ている側だけではなく、本人も当然感じることなのだ。という当たり前のことを、これまであまり意識していなかったように思う。
こんなことを考えているのは、京都アップリンクで「ファーザー」という映画を観たからなのだけど。
すこしずつ認知症が進んでいく父親アンソニーの視点で老いを描くという、混乱極まる映画。
今日、昨日、明日がごちゃ混ぜになる、さっきまでいたはずの場所にいない自分、娘が知らない人に見える、死んだはずの人がそこにいる、時間も空間も混じり合う映像体験。そしてこれは、認知症になった人には現実に起きているであろうことなのだ。
世界がすこしずつ、でも確実にいびつになっていく。周りがおかしいのに、自分がおかしいと悲しまれ、苛立たれる。
親と子の関係は人の数だけあり、同じものはない。それでも、娘の側の心の葛藤にどこかで共感してしまう。
ポスターに書かれているような、感動映画などではなくて、とにかくショッキングで、観終わったあとしばらく落ち込んだ。
でも、観てよかったことは確かで、ラストシーンなんかは本当に美しい。
アンソニーの「すべての枝から葉を失っていくようだ…」
この言葉が頭から離れない。
そしてルドヴィコ・エイナウディの手がけた映画音楽は、いつもだけど、忘れがたい印象を残すな。