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個人ブログを12年続けて思うことなど

先日2024年10月17日に、ブログを開設して12年を迎えた。ただ、実を言うと本当にこのブログを開設した日付がいつなのかはわからない。というのも、このブログはLivedoorブログのサービスを利用するところから始まったのだが、その日付がいつだったか覚えていないためだ。その後自分でVPSでサーバを借りてやるようになったため、今となってはわからない(今はさらにレンタルサーバのホスティングサービスを利用しており、また最近はVPSに出戻りを検討中)。

ブログの開設日とはなにか

しかしそもそも考えて見ると、何をもってブログを開設したと言えるかは定義があるわけでもない。ブログサービスでアカウントを作成した日は一つのわかりやすい基準だが、人によっては初投稿を公開した日がそうかもしれない。あるいはそれらは準備段階で、一通り諸々定まった日こそが開設日だという人もいるかもしれない。

つまるところ、開設日の決まり方に法的な決まりがあるわけでもないので、結局はその人が「今、自分はブログを開設したぞ」となんらかのことをきっかけに思った日が開設日である。であるならば、どこかの時点で自分は10月17日を開設日と決めたので、まぁそれでよいのだろう。

サイトの記録をつけておけばよかったと思う

このように自サイトの開設日すら定かではないといった具合だから、このサイトがいつ何をしてきたのかはもはやわからない。まぁ過去記事を漁れば、当時のサイトをスクショした画像なども時々あるので、なんとなく想像することは可能だけれど、当然ながらそんなことをするモチベーションはない。

したがってこのサイトの動向についてはなんとなくの記憶だけが頼りなのだけれど、12年も続くともはや何がなんだかわからない。思うのは、少しでも記録をとっておけばよかったなぁ、ということであった。サイトのトップページのスクショ程度でも構わない。実際、12年分のサイトトップページの記録程があれば、非常に面白かったのにと思う。それは他人にとってもけっこう興味深いコンテンツではないだろうか。特に当サイトはLivedoobブログからWordPressにうつったり、またWordPressのテーマを何度か変えているため、サイトの概観が劇的に変わる瞬間が何度もあったから、それなりに見応えもあったかもしれない。

まぁ過ぎてしまったことは仕方ないので、今さらながらサイトの記録もつけていこうかなと思う。ちょうど、ダイエット日記なんていう自分の記録めいたことも始めたことだし。

12年で変わったこと

この12年の変遷について、いくつかの切り口で想いを馳せたい。

自分: 仕事が変わった

この12年で変わったことはたくさんあるが、一番大きいのは、仕事が変わった。まぁこれは変わったというより変えられるように動いたというべきだろう。大学院を中退し、キャリアの最初で躓いた僕は、新卒一括採用が普通の日本社会において、かなり厳しいスタートを切ったことになる。それは自覚していた。不安定な身分にいた。

このブログを立ち上げたのは、そういう不安定な身分だったことと無関係ではない。なんでもいいから世の中に何かを発信しなくてはという切迫した感じがあった。

その後非常に特殊なキャリアを歩んだものの、どんな仕事をしていても、気持ちだけは常に技術者のつもりでいた。紆余曲折経て、上京し大手と言えるIT系の企業にも雇ってもらえたことで、社会的にも明確にエンジニアと言える立場になったのではなかろうか。また、生活も安定した。とはいえ安定するのに10年かかったのは、やはり人生設計においては非常に厳しいものがあったことも確かだ。未だ独身でいることをそのせいにする気は無いけれど、影響はあったと思う。そろそろ生涯独身も見えてきたなぁ。

しかしその分身軽で自由だ。今年、個人事業主として開業届を出た。また、それとは別に友人と法人設立の予定もしており、この週末にも登記の申請書類を整える予定だ。これは独り身でないとできなかったなと思う。一度手にした社会的立場とそれなりの安定収入をまた捨てることになったが、独身の自分には大きすぎるものだったし、せめて己だけは自由でありたいと強く願った結果だった。この先どうなるかはわからない。

ブロガーとしての心理的変化

自分の人生が変わるに連れて、ブログに書かれる記事の内容も、また根幹となる思想も変わっていった。振り返って、転機となった記事はこれかな。

ですます調からであるだ調に変更したという記事で、今となってはこんなことを真剣に考えていたのかと過去の自分に驚く。まぁ自分で言うのも何だけれど、僕は真面目なんだと思う。

記事内では、「人のために書く」から「自分のために書く」というスタンスのシフトだと主張している。そういわれると確かに、ですます調のほうが、人に見せる、解説する、という気分はあるように思われる。実際昔の記事を読むと、若輩者ですが、書かせていただきます!という態度がなんとなく見て取れて、我ながら面はゆい。

それに引き換え、今は「好きで勝手にやってます。よければどうぞ」くらいのものだ。コレは確かに、心理的な変化があったかもしれないな。少しばかり不貞不貞しさを感じる。笑。

しかし、今も読者の存在を意識していないわけではない。Web上に公開している以上、それは当然のことだ。人の目は常に意識している。ただ昔は「私があなたに伝えたい」だったのが、今は「何を感じるかはあなたが決めること」そういう気分が強くなっているように思う。実際のところ、前者のほうが読者を意識した態度だとは、必ずしも言えないのではないか。後者のほうが、読者の自意識をより強く認めているとも考えられる。その観点では、前者の態度は無自覚ながらやや傲慢とさえ言えるかもしれない。

もちろん僕は良いものを書きたいと思っている。こんな徒然とした文でも、時間の制約の中で、少しでも良くしたいと願っている。だがそれは、専ら自分のためだ。自分がいいと思うものを、自分のために書きたい。でもそこに他者の目が入ることは意識しているし、それは嬉しく思っている。まぁこれくらいが今の私の精一杯ですが、貴方はどう思われますか。ああ、言わなくていいですよ、それにしても、もう10月も終わるというのに、なかなか涼しくならないですね。え、涼しいですか?そうですかー。

個人ブログ全体の危機とインターネット

ただまぁ、最近はその人の目につきづらくなってしまったようだ。これは個人ブログ全体の問題で、数年前からだいぶ言われていたと思うが、特にここ1,2年が決定的だった。このブログなど、良いときに比べて一時はユーザが98%ほど減った。今は多少マシになったが、それでも以前より90-95%ほど減っている状態だ。

やはり検索流入の激減が大きい。しかもそれはほとんど検索エンジン側の問題だ。今となっては、彼らにコンテンツのクオリティを測る能力などまるでなかったことが白日の下にさらされているため、かつては「品質を向上させることだ」とGoogleの言うことを真に受けて念仏のように唱えていた者たちもほとんど見られなくなった

まぁ、今となっては検索エンジンにそこまで依存していたこと自体が誤っていたんだろうと思う。かつての個人サイトは相互リンクやジャンル別サーチエンジンへの登録、一般掲示板への宣伝などちゃんとしていた。そういうあれこれを全部ぶっ飛ばしたのが、管理人目線からのGoogle検索の衝撃だった。人間誰しも楽に流れる。しかもそのほうがうまく機能するとなればなおさらだ。

そうして従来のやり方が失われたところで、突然梯子を外されたというのが個人的な感覚である。

問題がどうであれ、多くの個人ブログ(サイト)が危機的状況に陥っていることは変わりない。このSNSの時代に、わざわざ自サイトを開設するという多大な労を厭わない者たちのコンテンツが、ネットの海の藻屑と消え、企業が文字単価0.1円で令和の奴隷たちから買い上げた文字列や生成AIの出力ばかりが蔓延るようになった。これは今後も続くだろう。

こんな状態だから、検索自体が既に信用を落としているし、これはWeb自体にとっての危機でもある。しかし、みんな次がわからない。僕もわからない。まさか相互リンクよ再び、ではないだろう。個人ブログはWebの実際的な運用の中で育まれた。Web自体が大きく変わり続けている以上、この広告に塗れた濁流の中で、活路を見出さないといけない。

大切な場所

最後に少し暗い話をしてしまったが、別に未来を憂えているわけではない。期待しているわけでもないが。ただ種々の事情があったにせよ、なんだかんだ12年続けたこのブログは、僕にとっては大切な場所の一つだ。続けてきたので、これからも続けていきたいと思う。とてもささやかだけれど、それが僕にできることだし、できたことだからだ。

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