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5.RHYMESTER/グレイゾーン
5.グレイゾーン/RHYMESTER
ヒップホップとは何ぞや?
今以上に情報が少なかった2000年代初頭において、ましてや東北・山形の端っこに生きていた中学生にとってそれは、一端を知る事さえ難しい難問だった。
RIP SLYMEの「FUNKASTIC」からラップ/ヒップホップに興味を持ち、同じ頃流行っていたKICK THE CAN CREWを聴いていたぼくは、キングギドラというアーティストに出会う。
彼らについては次回にでも語るが、当時の彼らはオーバーグラウンドを席巻しつつあったポップな日本語ラップアーティストに対して非常に攻撃的な・批判的なスタンスの楽曲を発表していた。
ヒップホップのそんな側面を知らなかった当時のぼくにとってはまさに青天の霹靂、暗闇でドッキリ、闇からの一撃、そんな有様であった。
キングギドラについて調べれば調べるほど、ヒップホップとは本来貧困と差別に喘ぐ黒人達が用いた武器としての側面が強く、世界第2位の経済大国の片隅でのうのうと生きるぼくが、能天気に聴いていて良いものか分からなくなってしまったのだ。
そんな時、出会ったのがRHYMESTERだった。
2MC+1DJのシンプルな構成で、RIPやKICKよりは硬派に見えたがキングギドラほどギラついていない、まさに中庸という表現がしっくりくる彼らにぼくは興味を持つ。
ちょうど名盤セルフカバーアルバム「ウワサの伴奏」を出した後という事で、SUPER BUTTER DOGとのコラボ曲「This Y'all That Y'all session」がスペースシャワーTVにてヘビーローテーションされていた。
当然ぼくはTSUTAYAに走り「ウワサの伴奏」や国産ヒップホップの大名盤「リスペクト」をレンタルしてきたが、当時はまだ数多くいるラップグループの一組としてしか好んでいなかった。
その認識を改めたのが、「グレイゾーン」である。
個人的には名盤「リスペクト」にも匹敵する内容と感じており、自らのキャリア・存在への誇りを歌う「Rhymester、曰く」や「ザ・グレート・アマチュアリズム」の他、ユーモアを滲ませながらも拝金主義へ警鐘を鳴らす「現金に体を張れ」、911後のアメリカによるアフガン戦争を非難する「911エブリデイ」など、ヒップホップグループらしい楽曲が並ぶ。
しかしながら、批判や非難ばかりが前に出る事は無く、その豊富なボキャブラリーと押韻からくる面白さや『なるほど』と思わせる鋭い意見など、まさにマスターピースたりえる要素が随所に光っている。
かと思えば、飲酒による失敗を歌った「お ぼ え て な い」や一人暮らしの家の雑然とした部屋を歌った「WELCOME 2 MY ROOM」など、ともすればスチャダラパー的なコミカルな楽曲も含まれているなど、決してハーコーだけでは無い彼らのユーモアが楽しめる。
総じてキャッチーさや大衆性に気を払いつつも、自分たちの主義主張やスタイルは変えないという彼らの意気込みが伝わってくる作品である。
そうそう、随分後になってから驚いた曲もあった。
RHYMESTERのマイクロフォンNo.1宇多丸の大好きな仮面ライダーアギトの最終回のセリフをサンプリングした「4'13"」である。
仮面ライダーアギト、と言えばぼくの大好きな仮面ライダークウガの次回作でリアルタイムで観ていた作品なのだが、実は中盤で観るのをやめてしまった作品だったのだ。
実はあまりにもクウガ、というか主人公の五代雄介が好きすぎて、当時はクウガロスが酷かった。
人を守るために大嫌いな暴力を振るわねばならない事に苦しんでいた雄介と違い、アギトの主人公・津上翔一は単に能天気な人物にしか思えず、中学に上がって部活が始まった事もあって見る意欲が湧かなかったのである。
(後に見直してその認識が浅はかだった事を思い知るのだが)
社会人になってから宇多丸がアギトを大好きだと知って見直したが、いざ観てみると想定外にどハマりし、思わずあの台詞が流れた時は最終回という事もあってだいぶ興奮してしまった。
閑話休題。
ぼくにとって「グレイゾーン」とは、ポップなラップと本格派ヒップホップとの架け橋になったアルバムである。
それまで通りポップなラップを聴く事も、社会風刺を交えた本物のヒップホップを聴く事も、どちらも並行して行う事ができた。
それはまさに、どちらでもありどちらでもない、まさにグレイゾーンな今作に出会ったからである。
人はとかく、白か黒かを決めたがる。
しかし世の中には、第3の、至高の選択肢もあるのだと思ったりした次第である。