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浜田省吾/青空の扉〜THE DOOR FOR THE BLUE SKY〜
今更戻ってくるのも恥ずかしいくらい更新をサボっておりました。
Twitterで「私を構成する100枚レビュー」というものをやっている人がいて、なんか面白そうだし文章を書く練習になるかと思ったので、どこまで出来るかはわからないけど、ひとまずやってみる事にしました。
記念すべき1発目は音楽の原体験のひとつから始めましょうか。
1.青空の扉〜THE DOOR FOR THE BLUE SKY〜/浜田省吾
人の音楽観を決めるいくつかの要因のうち、両親の存在は無視出来ない。
もちろん音楽を好まない両親の下で、音楽好きの子が育つ事もあるとは思うが、ぼくの周囲の音楽好きは、往々にして親も音楽好きである。
ぼくの両親は特別音楽に詳しいわけでも、レコードコレクターでも無い普通の夫婦であったが、そんな2人が共通して好きだったのが、日本が産んだ真のポップシンガー、浜田省吾だ。
1952年生まれ、御歳70歳の大大大ベテランである。
特徴的な声とサングラスをトレードマークに、ロック、フォーク、R&Bを基本とした幅広い音楽性と、シニカルで繊細な歌詞世界を武器に長きに渡って活躍し続ける日本ロック界の古老の一人と言える彼だが、彼自身は自分を「ポップシンガー」であると認識しているようである。
そんな彼のポップセンスが最高の形で花開いたのがこの96年作「青空の扉〜THE DOOR FOR THE BLUE SKY〜」である。
元々浜田省吾はメジャーアーティストの中でも最もポリティカルな姿勢を崩さないアーティストであった。
例えば原爆について歌われた「愛の世代の前に」や原子力による環境破壊を描いた大作「僕と彼女と週末に」などなど、この作品以前のアルバムには反戦反核社会風刺的な楽曲が一曲は入っているようなアーティストだった。
しかし今作は「ラブソングだけのアルバムを作ろう」というコンセプトからスタートしたアルバムゆえに、ポリティカルソングは一曲も収録されていない。
彼が影響を受けたロックやR&Bを軸に、時に無邪気に、時に切なく、ポップスの最も普遍的なテーマ「愛」について歌った曲がズラリと並ぶのがこのアルバムの特徴である。
彼自身もこのアルバムには手応えを感じていたようで、「音楽の神様が与えてくれたご褒美のようなアルバム」と語っていたようだ。
まず一聴して驚くのが1曲目からオールディーズのカバー、ザ・ロネッツの「BE MY BABY」である。
伝説のプロデューサー、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドの代表曲としても有名な楽曲だが、シングルカットされた訳でも無いカバー曲を1番初めに持ってくるというその発想と胆力に驚かされる。
2.3曲目は浜田省吾らしいサックスが活躍するハイテンションなロックナンバー「さよならゲーム」と「二人の絆」。
4曲目は少しギアを落として、失恋に沈む片恋相手に寄り添いながら揺れ動く男を描いた「彼女はブルー」と続いていく。
この1〜4曲目の流れは本当に美しく、本来飽き性のぼくでさえ、このアルバムを聴く時にここをスキップするような事は殆どない。
だが今回改めて通して聴いた時に驚いたのは、次の5曲目「紫陽花のうた」である。
ベスト盤にも収録されているような曲ではあるのだが、正直あまり好きな曲では無く、ベスト盤を聴いている時はしばしばスキップしてしまうような曲である。
しかし、1曲目から通して聴いているとこの曲の涼やかで穏やかなセンチメンタリズムが、前半のアップナンバーで上がったテンションに心地良く染み渡る。
このアルバムは基本的にアップテンポの曲とダウンテンポの曲が2〜3曲毎に交互に現れる構成になっているが、それらが過不足無く、心地良く配置されている事が、このアルバムを至高なものへと押し上げているように思える。
このアルバムを発表した時点で既に20年以上のキャリアを持っていた彼らしい、正に"分かっている"配置なのだと感じ入った次第である。
梅雨の歌のお次は切ない夏の歌「君去りし夏」、別れた恋人と過ごした夏を懐かしむ寂しい歌詞とビーチボーイズ的なコーラスが心地良い。
続いてはアップナンバーパート、前年に起きた阪神淡路大震災のチャリティソングとして作られた「恋は魔法さ」とド派手なホーンセクションが楽しい「君のいるところがMy sweet home」。
どちらも若々しく無邪気な恋の喜びを感じさせる楽曲で、(恐らく当時基準でも)古臭い歌詞が何だか愛おしいというか一種の可愛いらしささえ漂わせている。
続く「あれから二人」は、学生時代の片思い相手と再会し"慈しみ"に溢れた愛を交わし合うバラードで、『傷つくことも失うことも覚悟の上で恋に落ちる』というフレーズの重みが分かるくらい大人になれた事を嬉しく思ってしまう、そんな楽曲。
盟友・町支寛二の泣きのギターソロも白眉。
「Because I Love You」は浜田省吾の世界にしばしば登場する、高嶺の花への片想いソング。
改めて聴いて気づいたのだが、この曲のビートはもしかして当時のR&Bを意識しているのか?
昔の国産ヒップホップやR&B(ないしそれに影響を受けたポップス)の質感によく似ている気がするんだけど……
これが気のせいで無ければ、流行を臆せず取り入れる浜田省吾の面目躍如といったところだろう。
最終曲は「青空のゆくえ」
そもそもアルバムタイトルの「青空の扉」というのは『新しい恋に落ちた瞬間』を指すのだと言う。
であるならば、アルバムの最後を飾るこの曲が、大人に"なってしまった"男が傷つく事も傷つける事にも怯えながら、それでも"君"を求めるという、その歌詞の重さと誠実さに胸を打たれる。
しかも曲の方も決して切ないだけでは無く、イントロのギターフレーズからはむしろ開放感すら感じさせる、希望に満ちた楽曲である。
総じてこのアルバムは、浜田省吾のサウンドの幅広さや構成の妙、旧来の男らしさと裏腹な繊細さを抱えた歌詞世界。
浜田省吾の美味しいところがちょうど良い塩梅でギュッと11曲に凝縮された傑作である。
もしもこれから浜田省吾を聴いてみようという人がいるのであれば、自信をもって薦められる。そんなアルバムだ。
(たぶんぼくは1枚目にこれを薦めたら、次はポリティカル系楽曲を集めたベスト盤The Best of Shogo Hamada Vol.3 The Last Weekendを薦めるだろう)
最後に、このアルバムが1番親に聴かされたアルバムなのかと言うと、実際のところ微妙である。
確かに聴いた記憶もあるが、何せ幼い頃車で聴かされた記憶が殆どで、ぼくの中で浜田省吾は「親父のカローラでよく聴いた人」という印象が非常に強い。
恐らく1番聴かされたアルバムは81年作の「愛の世代の前に」では無いかと思うが、確証も無いため今回は今の自分が最も好きなアルバムを選出した。
今の自分が持つ理想の女性像や切ないラブソングが好きな性質、あるいは(部分的、限定的な点は否めないが)リベラルへのシンパシーだとか、音楽と政治の関係への考え方その他諸々。
ありとあらゆる部分に浜田省吾のエッセンスが入り込んでいて、もはやどこまでが彼の影響かも判らない。
それほどまでに親の影響とは深いのであると、唸ったところでレビューを締めさせて頂く。