とうきび畑でつかまえて~2、わたしをキャンプにつれてって②
参加者全員と話し、休憩時間を兼ねたフリータイムに移行する。煙草を吸いに行く人もいれば、尽きない話を続ける人もいた。ほとんどの参加者がキャンプ場内にあるラベンダー畑に向かい、息吹もそれに続いた。
ラベンダーは花ではなく木に属する。ボールのように丸まった株から新芽が出て、蕾がつくと見慣れたラベンダーの姿になる。六月上旬は開花には程遠く、こんもりとした株が並んでいるだけ。写真で見るような一面のラベンダーが見られるのは七月中頃であり、早咲きの品種でもあとひと月はかかる。
富良野に来たばかりのころは枯れ木のように色あせていた株も、少しずつ緑を取り戻していた。キャンプ場のラベンダー畑も、見ごろになると美しい景色が広がるのだろう。
その光景を思い浮かべ、息吹はそばにいた男性に声をかける。
「ラベンダー、咲くの楽しみですね」
「……別に、毎年見てるんで今さら」
そう言ったきり、男性はほかのグループに行ってしまう。ひとり取り残され、息吹はため息をこぼした。
長くこの地に住んでいれば、ラベンダーなど見慣れて興味の対象にもならない。その価値観が、この婚活を占める空気を代弁しているようだった。
遠くに住む人間よりも、地元の人間のほうがいい。息吹が避けられるのはそういう理由だろう。自己紹介で居住地を教えてから一様にとられるようになった態度だった。
「――雨、降りそうですね。終わるまで持ちこたえてほしいけど」
男性陣に代わり、息吹に声をかけたのは菜摘だった。
「どう? いい人いた?」
「……あまり」
「わかる。私、投票は白紙にしようかな。あとで怒られるかもしれないけど」
彼女もまた、年齢が原因で男子から遠ざけられているのだろうか。聞くに聞けず様子をうかがっていると、菜摘はラベンダーを見ながら自嘲気味に笑った。
「前に一泊二日の婚活をした時もね、本州からの参加者は仲間外れにされていたの。主催者は外の人間が来るのを歓迎してるけど、結局男たちにその気がなければどうにもならないんだよね。ここにいるみんな、遠距離をする度胸がないから地元の子ばっかり狙ってて」
「菜摘さん、前にも参加したことがあるんですか?」
まあね、と彼女は言葉を濁す。おもむろにポケットをまさぐり、取り出したのはスマートフォンだった。男性と交わすべき連絡先を、彼女は息吹に教える。
「またこっち来ることがあったら連絡して」
「ありがとうございます」
まさかここで女性の友達に恵まれると思わなかった。中富良野町には十月まで住むため、仕事とは関係のない知り合いができるのはいいことだ。
これからミニゲームがあるはずだが、すでに婚活が終わった気持ちでいる。息吹はずっと思っていたことを口にした。
「もしかしてこの会、外部の女性参加者があったから無理矢理開催したんですか?」
息吹の問いに、菜摘が返事をするまでに少しの間が空いた。
婚活を申し込んだ際、書類には受付番号が明記されていた。募集がはじまってから時間が経っているにもかかわらず、息吹の番号は一番だった。ここにいる女性たちは息吹よりも後に申し込んだことになる。
参加女性の多くが互いのことを知っているようだ。スタッフとも面識があるように思えてならない。菜摘の「あとで怒られるかもしれない」という発言も、いち参加者に苦言を呈すような人がいるということ。
「……私たちみんな、役場関係なんだよね」
言葉を慎重に選びながら、彼女は言った。
保育士や管理栄養士と職種が異なっているように見えるが、小さな町では保育所や給食センターはすべて役所に所属する機関らしい。雇用の少ない田舎で、若者がそれなりの職に就ける企業には限りがある。
「別にサクラってわけじゃないの。男性たちはみんな自主的な参加希望者だから。ただ、男女同数にするために女性を揃えないといけなくて、そういうのってどうしてもツテになるでしょう? 役場関係の女の子に伝達がまわるんだよね」
きっかけはともあれ、それが出会いにつながることはあるだろう。このあとの集計でも、カップルが誕生する可能性は高い。
「田舎の嫌なところばっかり見せちゃってごめんね」
菜摘の言葉とともに、空からひとつ、雨粒が落ちた。
○
バケツをひっくり返したような雨が降り、ミニゲームは中止になった。進行が押していたため急きょ投票が始まり、今回は三組のカップルが誕生した。
息吹がその三組に入ることはなかった。連絡先を交換したのも菜摘のみ。帰りに中富良野町のタクシー会社に電話をかけたが、この雨で三十分はかかると言われてしまった。
公共交通機関が少ないこの地域では、観光客のタクシー利用率が高い。今日は日曜の稼ぎ時であり、息吹はバーベキューハウスで待つ他なかった。
雨の撤収作業は時間との闘いであり、スタッフは服を濡らして奔走している。主催者もカップリングが成立しなかった息吹にかける言葉が見つからないらしく、その気まずさが疲労に追い打ちをかける。
待ち時間がとても長く感じられ、息吹は運ばれてくるキャンプ道具に手を伸ばした。
ただ椅子に座って待つより、片付けの手伝いをしたほうが気がまぎれるだろう。空になった段ボールを畳んでいると、隅に置かれた一つに気がついた。近寄ると、隙間から焦げ臭いにおいが漏れている。
「――触っちゃだめだ」
段ボールに触る寸前、手をつかんだのは穂高だった。
「火から離したばかりだから、まだ熱いよ」
彼は外に出ずっぱりだったのか、雨でTシャツの色が変わっていた。首に巻いたタオルに、髪を濡らす雨水が滴っている。
「いま、冷ましてる途中なんだ」
「何が入ってるの?」
息吹の問いに、穂高がいたずらっ子のような笑みを見せた。段ボールはガムテープで封をしてあり、軍手をはめた手でそれを乱暴に開ける。
中に入っていたのは、飴色に色づいたチーズだった。
「……燻製?」
「成功だ。いい色になってる」
段ボールの中はバーベキュー用の網で区切られていた。一番上の段にあるチーズはアルミホイルの上に並べられ、熱で溶けて角が丸くなっている。
「燻製って専用の窯がないとだめなんだと思ってた」
「保存を目的にするなら準備も必要だけど、すぐに食べるなら段ボールで十分だよ」
二段目にあったのはゆで卵。こちらも煙の色に染まっているが、網に面していた部分は色がつかず、そのまだらな白さが手作り感を際立たせている。
「材料は自分で用意したものだよ。キャンプスタッフなんで面倒くさい仕事引き受けたんだから、こっちはこっちで楽しませてもらってもいいじゃん?」
べりべりと音を立ててはがした段ボールの一番下にあったのは、タコ糸で縛られた豚肉のかたまりだった。燻煙の熱で余計な脂が落ち、色づいた表面はすこし乾燥している。
「ベーコンはすこし手間がかかるけど、段ボール燻製は後片付けも簡単だよ。今日のやつらにアウトドア好きはいなかった? そいつら誘ってキャンプでやってみたら?」
「わたし、カップリングしなかったから」
結果発表の時、彼は席を外していたらしい。まずいことを聞いたと思ったのか、穂高は言葉を探しながら立ち上がる。
「……ま、こういうのはご縁っていうからな。ところで、なんでまだ残ってるの?」
「タクシーを呼んだら、三十分待ちって言われたから」
「この天気だと、もっとかかるかもな」
雨の勢いが少しだけ弱まっているが、彼はそう呟く。外の撤収作業はあらかた終わったのか、バーベキューハウスの中にスタッフが集まり始めていた。
「稲瀬君、あとは僕らでやるからもういいよ」
そう声をかけたのは主催者の男性だ。彼は息吹に気づき、白髪交じりの眉根を下げた。
「僕らも進行でいっぱいいっぱいだったから、料理のサポートをしてもらえて助かったよ。食材の仕入れまで担当してくれてありがとう」
「こちらこそ、うちの野菜を使ってもらってありがとうございました。じゃあ、後はお願いしますね」
穂高は燻製作りを隠していたらしい。運営に見えないよう、ビニール袋に入れた燻製を息吹に預けた。
「僕はこの人を送っていきますね。またなにかイベントがあったら手伝いますんで、いつでも呼んでください」
息吹の引き取り先が決まったことに、主催は露骨に安堵の表情を浮かべた。
「なにからなにまですまないね。安達さんも、これに懲りずまた参加してください」
「貴重な経験をありがとうございました」
行儀よく頭を下げ、息吹は穂高の後を追う。彼は車のキーを指に引っかけくるくるとまわしながら、駐車場の水たまりを踏んで歩く。
その先にあるのは白い軽トラックだった。
「乗って」
彼は真摯にも助手席のドアを開けた。ステップ台に足をかけ乗り込むと、車内は思いのほか広さがあった。軽トラはマニュアル車であり、彼は慣れた様子でシフトレバーを操作した。
「燻製、預けてごめん。ばれたらおすそ分けしないといけないからさ」
バーベキューハウスの前を通ると、ほかの職員たちが手を振って見送った。穂高はドアについたハンドルを回して窓を開け、「おつかれさまでした」と挨拶する。絵に描いたような好青年だな、と息吹は思った。
「なんで穂高が婚活のお手伝いをすることになったの?」
「おれは家の仕事のほかにも、農協の青年部とか地元の消防団とかいろいろ入ってるんだよ。最近は便利屋みたいになってるけど、うちの野菜を売り込むいい機会になるからさ」
キャンプ場は山のふもとにあり、軽トラは砂利道を走る。車体が激しく揺れ、息吹は手すりにつかまった。
「寮まで送ればいい?」
「うん、ありがとう」
時計を見ると十五時を過ぎていた。貴重な休日だが、これから出かけるには中途半端な時間だ。やがて道は林の中へと続き、うっそうと生い茂る木々に車内が暗くなった。
「こっちの生活には慣れた? 休みはなにしてるの?」
「寮と職場の往復だけで、あまり出かけてない。バスもJRも本数が少ないし……」
地元の人間が聞いたら気を悪くするかもしれない。息吹は「ごめん」と謝ったが、穂高は「都会の人はそんなもんだよ」と同調した。
やがて林を抜けると、舗装された町道に合流した。軽トラは水田のそばを走る。中富良野は米どころのひとつであり、ミル・フルールでも地酒を販売していた。
水田にはたっぷりの水が引かれ、水面が鏡のように空を映している。車内からそれを眺め、息吹は声をあげた。
「車、止めて!」
穂高がブレーキを踏む。タイヤが道路をこする音が響いたが、後続車はいない。息吹はシートベルトを外して車外に飛び出した。
「虹が出てる! しかも二重!」
息吹が指差す先、空に大きな虹がかかっていた。先ほどの土砂降りが効いたのか、ふもとまではっきりと見える見事な虹だった。
等間隔に区切られた水田が縁取る景色は、まるで絵画のようだった。
「綺麗……」
感嘆が口からこぼれる。穂高も車を降り、息吹の隣で虹を見つめた。
「今日はまた大きくかかったな。中富良野は虹の町だからな」
「虹の町?」
「このあたりは山に囲まれた地形だから、天気が変わりやすくてにわか雨が多いんだよ。雨上がりはしょっちゅう虹が出るんだ」
息吹にとっては珍しい景色だが、彼には日常のようだ。ラベンダーと同じで、さほど興味もないかもしれない。息吹は懸念したが、穂高は感心した様子で虹を眺めていた。
「いつもなら車の中で眺めて終わりだったけど、こうやって見たら本当に綺麗だな」
水鏡が写す逆さ虹を穂高も気に入ったらしい。雨のおかげで蒸した空気も和らぎ、息吹は爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「今日はさんざんだったけど、この虹が見れたらもうそれでいいや」
吐き出した息とともに、そんな言葉が口を出る。疲れは精神的なものが大きかったが、綺麗な景色が心を洗ってくれた。
「明日から仕事だし、今日は寮で休もうかな。でも、なんかもったいないな」
やがて空に雲がかかり、束の間の虹は消えてしまった。名残惜しく空を見つめる息吹に、穂高がひとつ提案をする。
「まだ時間あるなら、おれの寄り道につきあってもらってもいい?」
穂高の軽トラが向かったのは、中富良野町にある一軒のログハウスだった。
丸太を組んで作られた家はあたたかな雰囲気があり、看板は味のある手彫りだ。達筆な文字に、息吹はその店名を読みあげた。
「カフェ・マーレ」
「ここ、おれの叔母さんの店なんだ」
山に囲まれた地域だが、店名のマーレは海を意味する。そのアンバランスさに首をかしげると、穂高が先に扉をくぐった。
軽やかなベルの音とともに、木の香りが鼻腔をくすぐる。丸太で作られた外観同様、店内も隅々まで本物の木で作られていた。
「あら穂高、いらっしゃい」
明るい笑みを浮かべて出迎えたのは店主の女性だった。店内は決して広くはないが、一枚板で作られたカウンター席に貫禄がある。
「女の子を連れてくるなんて珍しい。彼女?」
「違います」
即答する息吹に、彼女は大きな口を開けて笑う。齢は五十路を過ぎているだろうが、瞳の輝きは少女のようなみずみずしさを残している。きつめにパーマをかけた髪を一つにむすび、バンダナを巻く姿がその快活さをあらわしているようだった。
店内に客の姿はない。穂高は慣れた様子でカウンター席に座り、息吹も隣に並んだ。
「今日のキャンプ婚活、どうだった?」
「おれは裏方スタッフだったからよくわかんないけど、息吹は参加者だよ」
「あら、そうだったの?」
まじまじと見つめられ、息吹は居心地悪く身じろぎをする。穂高は軽トラからおろしたビニール袋を店主に渡す。
「海(うみ)ちゃん、これ、今日の戦利品」
ありがとう、と受け取る彼女――海は、ビニール袋の中身を見て声をあげた。
「チーズの燻製! いい色にできたわね」
ほどよく冷めたチーズをかじり、言葉にならない「おいしい」を言う。
「やっぱり手作りだと違うわね。香りが濃い」
「いまはまだ燻したばかりだから、もう少し時間を置いたほうが馴染むと思うけど」
海が息吹たちに試食を促すが、ふたりとも丁重に断った。胃の中にジンギスカンが残っている。穂高はかわりにふたり分のコーヒーを注文した。
「裏方スタッフでも、しっかり食べる時間があったのね」
「参加者に知り合いが多くて、みんな、口止めの肉ばっかり持ってきたんだよ。おれに言ったところで、そのうちほかのところからバレると思うけど……」
ぼやく穂高に苦笑しつつ、海が注ぎ口の細いケトルでコーヒーを淹れる。カフェ・マーレはネルドリップ式であり、カウンターに芳ばしい香りがただよってくる。陶器のカップがそれぞれの前に置かれると、息吹は行儀よく「いただきます」と言った。
砂糖やミルクを入れず、ブラックで淹れたての味をたしかめる。カップに唇を寄せるとコーヒーの香りが華やかに立ちのぼり、舌の上に広がる苦味はすっきりとキレがあった。
「苦味が強いけど、飲みやすいです」
「そこにこれを入れると、また違う味わいになるのよ」
彼女が差し出したのは紙パックの牛乳だった。コーヒーフレッシュが出てくると思っていただけに、その豪快さに驚いてしまう。すすめられるまま、息吹はコーヒーに加えた。
口に含むと舌の上でまろやかな甘みを感じた。先ほどの苦味が消え、牛乳の濃さを感じる。やさしい味に頬が緩む息吹を見て、海と穂高が小さく笑った。
「近所の酪農家さんに分けてもらってる牛乳なの。しぼりたての新鮮なものをつかってるから、味が濃厚でしょ?」
「こんなの札幌のカフェじゃ味わえないですよ。おいしいです」
コーヒーを味わっている間に、穂高は海に今日の出来事を簡単に話した。婚活の流れを面白おかしく話すが、参加者の名前は決して明かさない。海はそれを聞きながら息吹に視線をやった。
「婚活、いい人いなくて残念だったわね」
「もともと勢いで参加したようなものだったので」
手の中でコーヒーカップを弄び、息吹は苦笑した。
「札幌に住むわたしより、地元の子がいいっていう気持ちはよくわかります。年齢的にも、二十代の若い子のほうがいいだろうし」
「特にこのあたりは結婚も早いからね。私も昔はまわりにさんざん言われたな」
そう言う彼女の左手に、指輪はない。
「結婚するならどんな人がいいの?」
「……え?」
「やっぱり、収入の安定してる会社員? 人気の公務員も職種はいろいろあるわよね? 役場職員でずっと同じ地域にいる人もいれば、自衛隊みたいに転勤の多い人もいるし。このあたりだとサラリーマンより農家のほうが多いけど、専業か兼業かで規模も違うし」
「農家にも専業と兼業があるんですか?」
「小さい農家ならサラリーマンと兼業してることもあるよ。平日は会社で働いて、休日は畑に出るから大変そうだけど……息吹は専業主婦希望? それとも結婚してからも仕事したいと思ってる?」
ミル・フルールの仕事が終われば札幌に帰る。無職が続くと家族の視線が痛いため、なにかしらの仕事に就こうとは思ってはいるが。
「……あまり、具体的に考えてなかったかも」
婚活パーティーには積極的に参加したが、相手に求める条件は漠然としていた。婚活をする人の中には、四大卒、年収一千万以上、身長百八十センチメートル以上など、細かに決めている人もいる。
「相手に望むものは? 年齢は年上? 年下? 煙草やお酒の習慣は? 結婚したらふたりで暮らす? 向こうの親と同居はできる?」
たたみかけるように言われ、息吹は言葉が出ない。婚活パーティーのプロフィールシートに記入する項目だが、改めて考えると相手に何を求めているのかわからなかった。
「相手のスペックを求めるだけじゃなく、自分の強みも把握しておかないとね。綺麗好きだとか、料理が得意だとか、お菓子作りが趣味だとか」
「う……」
実家暮らしをいいことに、身の回りのことは母親に甘えっぱなしだった。寮に入ってから自炊や掃除をするようになったが、海に指摘されると、家事スキルの低い自分を嫌でも客観視させられる。
「結婚が目的で活動するなら、そういうのはしっかり決めておいた方がいいよ。恋愛の延長でする結婚と、はじめから結婚を考えて動くのとでは全然違うから」
「……おれは、子供は三人ほしいかな」
考え込む息吹の隣で、穂高が言った。
「親父たちが三人きょうだいで、うちも三人だからさ。みんなで実家に住んで賑やかに暮らしたい。できれば奥さんにも畑仕事を手伝ってほしい」
「穂高の理想は具体的だけど、時代がね」
海が苦笑しながら息吹に目くばせをした。
「穂高はじいちゃんっ子だったからその気持ちが強いんだろうね。でも、ただでさえ嫁不足の農家で、苦労するのが目に見えている家に嫁いでくれる人がいるものかしら?」
鋭さは息吹に限ったものではないらしい。痛いところを突かれ、穂高はそっぽを向いた。
「おれはまだ結婚に焦ってないから」
「裏方スタッフ頼まれなかったら、キャンプ婚活参加しようとしてたのに?」
突然の暴露に、穂高の頬が赤くなる。
「どうせ参加しても結果は見えてたよ。今回の女子たちは農家じゃなくて役場の同僚とくっつくのがオチだって。おれは農業に理解のある人と一緒になるって決めてるから」
「そんなこと言って、農協の女の子にはフラれてばっかりじゃない」
「農協の女子は農家の男が群がるから競争率高いんだよ……!」
なかば叫ぶように、彼はカウンターに突っ伏した。
「知ってるよ農家の嫁不足くらい。四十過ぎても独身の長男坊とか見てると、若いうちに頑張らないといけないと思うし。でも、結婚とかおれもまだピンと来ないし……」
いつも折り目正しい好青年なだけに、叔母の前で素の姿に戻る彼は年相応に見えた。
「息吹から見て穂高はどう? 身内のひいき目なしに男前に育ったと思うけど」
「わたしは……無しかな」
躊躇なく本音を述べる息吹に、穂高はあんぐりと口を開けた。
「こういう時はお世辞でもうまいこと言うもんじゃないの?」
「だって年下だし。わたしは早く結婚したいけど、そっちは急いでないんでしょ? 意識の差は後で揉める原因になると思う」
「自分だって結婚相手の条件とか漠然としてるくせに」
「穂高の結婚観だってだいぶ古いからね?」
今日はお酒も飲んでいないのに、やけに口が滑らかに回る。負けじと言い合うふたりを、海は黙って見守っていた。
「農家の仕事はたしかに大変なイメージが強いけどさ、自分が作った野菜がみんなの食卓に届くんだよ。顔も名前も知らない誰かの口に入って、その身体をつくっていくんだ。やりがいのある仕事だろ?」
彼の瞳は少年のように生き生きと輝いている。勢いに圧され、息吹は言葉が出ない。
「だからおれは、この仕事を一緒に楽しんでくれる人がいいんだ」
はたして自分は、彼のような気持ちで仕事をしたことがあるだろうか。何気なく食べている野菜も、作っている人の気持ちなど考えたこともなかった。
「……若いっていいわねえ」
やりとりを見守っていた海が、しみじみと呟く。
「せっかくひと夏ここにいるって決めたんだから、いろんなこと経験して、悩んで、考えたらいいんだわ。この時期にここに来る人たちはみんなそんな感じよ」
「ありがとうございます」
「穂高がこんなに女の子とやりあってるの見たの久しぶりだから、面白かったよ」
海の言葉に、穂高は頬杖をついて表情を隠す。彼にとってこの店は、自分の素直な部分を出せる憩いの場所なのかもしれない。
息吹もまた、男性と本音でぶつかったのは久しぶりのことだった。
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