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11/7〜11/14 その言葉が在る場所


散歩道の土手一面に,すすきが靡いている。5月ごろには,黄色くて背の高い花がたくさん咲いていた。あの時,すすき達はどこにいたんだろう。あの黄色い花達は,どこへいってしまったんだろう。

そういえば,黄色い花達がいっせいに刈られてしまった日があって,自分でも不思議なくらい悲しかった。でも,一週間くらいしたら,また土手が黄色く咲いていて,その時に,なにか大きなものが笑っているような感じがした。



いつもと違う八百屋さんに入ったら,お上品なお婆さんから「ねぇ,あなた,ちょっとちょっと」と手招きをされた。それから,「見て,これ!」と指差した先には,足を組んだ大根が。「あらぁ!」と一緒に笑って,そのお婆さんは帰っていった。

きっと,誰かに言いたくてウズウズしていたんだろう。大根もかわいかったけれど,何よりそのお婆さんが,かわいかった。


街には,こういう小さな幸せが転がっている。そしてそれは,とても有難いことだなぁと思う。



論文の中間発表が終わった。

ほっと一息,というよりも,出発,という感じ。「わかったつもり」になろうとしているところは,文章にしようとしても言葉が散らばってしまうし,声の音の感じも違う。

「わかりたい」ことと,「わからない」ことと,どちらにも素直に在りたい。そんなことを,自分と約束した。



保育の現場の方々と大学の先生方との読書会に,著者の川田先生が来てくれた。

”あえて”その言葉を使っていること,その背景には言葉の成り立ちへの問い直しがあること,「発達心理学」そのものへの異議,…

紙に言葉を刻む前の〈目〉の話と,刻むことに対する信念の話をしてくれた。

なんて貴重な時間だったんだろう。もう本を通してしか会えない人の文献研究をしているからこそ,この機会の貴重さが,胸にくる。


同じく参加していた友達が,とてもいい質問をしていた(主体性の段階に対して,自閉症の子どもはどうなのか,という問いかけ)。この質問を通しての先生とのやりとりに,これまで丁寧に積み重ねてきた知が垣間見えた。まっすぐな問いを大切に,自分を揺らしながら考え続けている姿勢を,尊敬している。彼はきっと,素敵な研究者になると思う。

私も,そんな風に深めていけるようになりたい。



「僕が使う”関係”という言葉の半分以上は,ヒト以外との関係を指しています。モノ,自然,カミ,想像上のものなどとの関係です。」


この川田先生の言葉,ずっと忘れたくないな。





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