なんかよくわからないけれど楽しそうな人たちに救われた、あの夜のように
私の実家にはTVがなかった。
小さい頃に弟とジャンプ台にして遊んでいたら壊れてしまい、真面目な父は中学生になるまでTVを買ってくれなかった。
その代わり、本とCDとは仲良くなれたのだけれど、もう一つ大切な友達だったのが、ラヂオだった。
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ラヂオは、魔法だ。
知らない世界を楽しそうに語る人と出会わせてくれる。
世界にはまだまだ不思議な場所がたくさんあることを知らせてくれる。
喋っている人が楽しそうなラヂオほど、聴いている側も安心して委ねられた。
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そんなこんなで、受験生になった頃には、音楽を聴くよりもラヂオを聴きながら勉強した方が捗るようになっていた。
母のキッチンの音を聴きながら勉強する安心感に似たものを、ラヂオからは感じていた。
「干渉し過ぎず側にいてくれること」
こんな優しさもあるんだなぁ、と気づけるようになったのはごく最近のことだ。
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ひょんなことから、ラヂオを「する」側になった。
忘れずにいたい。
大きな声で、
何かを教えることも、諭すことも、語ることもできないけれど、
小さな声で、
なんでもないようなことを微笑み合いながら、楽しみながら、歌っていきたいな。
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聴きたい時に、聴いてください。
誰かの声を聴きたいけれど、誰かに電話するのもなんか違うなぁ、みたいな夜に思い出してくれるような存在になれたらなぁ、なんて思っています。
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