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【小説】最大音量の一つ下

ヘッドホン越しに鳴るギターの音圧に、肩がピクッと震えた。
手元のスマートフォンで音量を最大音量の一つ下に設定したのは私なのに、音が鳴り始めるといつも驚いてしまう。

歪んだギターのストロークに合わせて、ドラムがリズムを刻み始めた。ハイハットの音が割れて、バラバラになって耳に入ってくる。
16ビートのベースが鳴ると、押し出されるみたいにして、私の頭の中から色んな私が消えた。


教室で、『害のない地味な同級生』を演じる私。
クラスで目立つグループにいる小谷さんに、「こういうの好きだから」と言って日直の仕事を引き受ける私。
サッカー部の谷山君の「カッパメガネと目あっちゃったよー」と笑う声を、必死で聞こえないフリをする私。
クラスで誰からも話しかけられることの無くなった湯川さんに、見下したような視線を送る私。


抱えきれなくなった、色んな私が頭の中に居座って眠りにつけなくなる夜は、今日以外にも沢山あった。
そんな時はヘッドホンから最大音量の一つ下で音楽を鳴らす。すると、一つ一つの音の粒が私の頭を埋め尽くしてくれる。

それでも最大音量ではなく、最大音量の一つ下に設定するのは、忘れたくない私が一人だけいるからだ。

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中学生の頃の私は、今の『カッパメガネ』なんて名前ではなくみんなから『由美ちゃん』と呼ばれていた。
小学生の頃から仲の良かった紗希ちゃんが、バスケ部の部長で男女分け隔てなく誰とでも仲良くなれる紗希ちゃんが、私のことをそう呼んでいたからだ。

「由美ちゃんっ」
いつも早口な紗希ちゃんの言葉には、語尾にいつも『っ』がついていて、そう呼ばれる私の事を私は大好きだった。

修学旅行の夜、眠れなくて部屋を抜け出し、空を見ていた私に声をかけた時もそうだった。
「どうしたのっ?」
「なんか眠れなくて」
「わかるーっ。なんか、いつもと違う枕じゃ寝れないよねっ」
夕食後に口を開けて眠っていた紗希ちゃんの姿が脳裏に浮かんだが、私は「だよねー」と答えた。

紗希ちゃんは眠っていたので聞こえていないだろうが、クラスの女子が半分集まった部屋で、最初はそれぞれがたわいもない話をしていたのだが、いつからか悪口の披露会になってしまっていた。
「タケセンマジうざいよなー」「山崎って男に色目使ってばっかりだよね」「富田がいっつも気持ち悪い目で私を見てきてさ」と、これだけの悪意が教室中に行き交っていた事を知らなかった私は、いつかその悪意が自分に向けられるのではないかと不安になった。

「おまじない、教えてあげるよっ」
「おまじない?」
「寝れない時とか、このおまじないを唱えるとなんかすって寝れるんだよねっ」
「へー。教えて教えて」
紗希ちゃんは大きく息を吸い込んでから、いつもと違いゆっくりと呟いた。
「クリームパン、ハロハロ、観覧車」
おまじないを唱えてから、誇らしげに私を見つめる紗希ちゃんが何だかおかしくて、私は笑ってしまった。
「好きなもの言ってるだけじゃんそれ」
「バレたっ?」
2人で部屋に戻り、布団に入った私は、そのおまじないを何度も唱えた。すると、これまで悪意に満ちていたこの部屋から、この世界から、悪意が全てなくなったように思えた。

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『「クリームパン、ハロハロ、観覧車」そう唱えて目を閉じる』
ヘッドホンから聞こえたその声に、耳を疑った。
スマートフォンを見ると、ランダム再生にしていたせいで知らないバンドの知らない曲が流れていた。
『眠れない夜をたくさん知る君は 大丈夫っ きっと大丈夫っ』
鼻にかかったようなその歌声の中に見つけた『っ』に、涙が溢れた。