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【小説】2分55秒

「はじめまして。平岡麗奈です」
「平岡ユリ……さん?」
 目の前にいる男性が、手元の紙に書かれた私の名前と、私の顔を交互に見る。
 婚活パーティも終盤に差し掛かり、この反応にも慣れてしまった私は、目の前の男性のプロフィールカードを確認した。
 『趣味:バイク、カメラ』『好きな映画:洋画全般』『性格を一言で:マイペース』……。どれを取っても話題になりそうな内容はなく、残り2分55秒をどう過ごすべきか必死に頭を回転させた。

 30を間近に控えた私は、最後に恋人と別れてから1年以上経っていることに気づき、“婚活”という言葉が脳裏に浮かぶことは少なくなかった。
 しかし、すり減りすぎて、鋭利になってしまった私のプライドが原因で、どうしても一歩踏み出すことはできなかった。
 だからこそ、会社の同僚の亜希子に「婚活パーティ一緒に行かない?」と誘われた時は、『友人に頼まれて』といういい口実を見つけたなと内心感じつつ、「仕方ないなあ」と渋々了承したかのように振る舞った。

 しかし実際婚活パーティに参加してみると、開始早々後悔が押し寄せてきた。
 亜希子と共に参加した婚活パーティは、着席して異性と1体1で3分間会話するというシステムで、女性はひとつの席に座り、男性が順番に席を移っていくというものだった。
 つまり、参加者が計30人で男女15人ずつのなので、15人の見ず知らずの男性と3分間会話をし続けなければいけない。これがどれだけ苦痛なことか、実際にトークタイムと呼ばれるそれが始まるまで、私は理解していなかった。

 最初のトークタイムの相手は、小太りで30代後半の男性だった。
 お互い名前を名乗り合うのは大体5秒ほどで終わり、事前に相手が記入したプロフィールカードに目を落とす。
 『趣味』や『好きな映画』など会話の糸口になりそうな項目が記載されているのだが、この男性の趣味は『PUBG』と書かれており、そもそも何の略なのかわからない。そして記載されている映画は、私が昔見て、退屈を感じ1時間でみるのをやめてしまった映画だった。
 そもそも初対面の人と会話をする事が苦手な私は、明らかに趣味の合わないこの男性との会話の糸口を見つけることができず、殆ど会話のないまま2分55秒を過ごした。

 会話が上手く3分という時間が短く感じるような男性もいたし、趣味が合い会話が弾んだ男性もいたのだが、やはり沈黙の続く2分55秒を共に過ごすことになる男性は一定数いた。

 現在対面している15人目のその男性は後者になりそうだなと、プロフィールカードから確信する。
 『趣味:バイク、カメラ』と自分の趣味と合わないというのはまだいいのだが、『好きな映画:洋画全般』という会話の種になりそうもないものを書くあたりに、サービス精神の希薄さを感じる。

「女優の平岡玲奈と同じ名前なんですね」
「そうなんです。漢字は違うんですけど、同じ名前なんですよね」
 私は、数年前からテレビドラマに頻繁に出演するようになった平野玲奈という女優と同じ名前のため、本日に限らずそのことを指摘されることが多かった。
 ただ、年齢が5歳も下で、類稀なる美貌とどんな役でも体当たりでこなす彼女の姿を脳裏に浮かべてから見る私は、きっと見窄らしく写るだろう。
 だからこそ自分の名前は歳を追うごとに嫌いになっていたし、結婚でもして名前を変えられたらなとも考えていた。

「僕も、ミュージシャンの岡野晴一と同じ名前で。しかも、漢字も一緒何ですよ」
「え、そうなんですか?」
 私は思わず体を仰け反ってしまう。岡野晴一といえば、デビュー曲がいきなりミリオンセラーとなり、それ以降20年以上音楽シーンの第一線で活躍しているアーティストだった。
 そして、自分が、プロフィールカードの1番上に書かれている『名前』の欄を全く見ていなかった事に気づく。会話の種になりそうなものを探したり、相手を見定めるためにしかプロフィールカードを確認していなかった。

「僕が生まれて、ほんの少ししてから売れちゃったんで、小学生の頃からずっとこの名前でイジられてて」
「あ、じゃあ、芸能人の名前と同じ名前ってことに関して、めっちゃ先輩ですね」
「確かにそうですね」
 岡野は、40を超えても尚端正な顔立ちを保ち続けるアーティストの岡野晴一とは違い、28とは思えない深いほうれい線を、一層深くして笑った。
 それから私たちは、『病院で名前を呼ばれる時一斉にこっちを向いてくる』や『「昨日ドラマ出てたね」等、同じ名前の芸能人の活躍を報告される』といった話題で会話が弾み、これまで最も2分55秒という時間を短く感じた。

 トークタイムの終了を告げるアナウンスがあり、男性たちはもともと座っていた席に戻っていった。
「ではこれから、カップリング希望の集計を取らせていただきます。最初にお配りしたピンク色の紙に、カップルになりたいと思った異性の名前を記入して、こちらに提出ください」
 司会を行っている男性が、大きな箱を指さしながらそう言うと、周りの男女が一斉に記入を始めた。

 私はそのピンク色の紙に、唯一記憶に残っている男性の名前を書き込んだ。