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【小説】ミスリード

「ちょっと時間もらってもいい?」

 それは、私が編集を担当しているミステリー作家の柳森総司との次回作の打ち合わせを柳森の自宅で行っていた時だった。

 和室の客間でテーブル越しに向かい合い、柳森の考えた密室トリックに穴がないか話し合っていると、柳森の妻である和美の声が聞こえた。

 和美は、30代後半という年齢を感じさせないハリのある美しい顔を、柳森に向けていた。

「ごめん、今編集の山崎さんと打ち合わせしてるんだ」

 困った表情を浮かべる柳森に、和美は勝気な表情を浮かべた。

 私はこの時点で既に、嫌な予感がしていた。

「ちょっとだけだめ?すぐ終わるから」

「うーん。……まあそれならいいよ。ちょっとごめんね」

 柳森は私に向け手刀を切る仕草をして立ち上がろうとしたが、和美がそれを制した。

「ここで話しましょ」

 柳森の隣に和美が座ったので、私は席を外そうと立ち上がる。

「では、私は席を外しますね」

「いや、あなたもいて欲しいの」

 真剣な表情を向けた和美に、私は苦笑いをしながらなんとか「わかりました」と声を絞り出した。

 私と同様、これからどういった話が始まるのか勘づいているであろう柳森も、眉間に皺を寄せていた。

 柳森は、『イケメンミステリー作家』という肩書きでワイドショーに出演するときも、よくこの表情を見せる。

「話っていうのはね、前月のクレジットカードの明細をみて、びっくりしちゃったの」

「何勝手にみてるんだよ」

「だってリビングに置きっぱなしにしてたでしょ?」

「そうだったっけ」

 バツが悪そうな表情を見せた柳森は、チラチラと私の表情を伺った。

「先月の15日、ホテルの明細があってね」

「ホテル?」

「そう、ホテル。で、そのホテルのホームページを調べて、その明細の値段と同じ金額の部屋を見つけたのよ。そしたらなんと、最上階のスイートルーム!そんなところ私とも泊まったことないのに!」

 和美が、明らかに私の事を凝視しており、それを見つめ返すこともできずに、スカートに目線を落とした。

「それは、あれだよ。締め切りが近かったからホテルで執筆したんだ。缶詰ってやつだよ。和美に言ってなかったっけ?」

「執筆のためなら、スイートにする必要ある?」

「いや……」

 柳森の声が籠っていた。きっと、私と同じように俯いた姿勢になっているのだろう。

「それに、こんなのを見つけてね」

 恐る恐る視線を上げると、和美がスマートフォンの画面を柳森に見せていた。

 柳森の張り詰めた表情に和美は満足そうな笑みを浮かべてから、その画面を次は私に向けた。

 それは、柳森と私が並んで歩いている写真だった。

「Twitterで見つけたの。ちょうど、先月の15日。『品川でヤナソー見つけた』だって」

 コメンテーターとして『ヤナソー』の愛称で親しまれる柳森が、街中で写真を撮られる事は珍しくない。

「2人でスイートルーム入ったんでしょ?そういう関係なんでしょ?」

 和美がスマートフォンを机に叩きつけた。

 バンッという大袈裟な音に、私の心臓が忙しなく動く。

「いやそれは、ホテルで打ち合わせをしてもらったんだ。チェックイン前にホテルのカフェで打ち合わせをして、山崎さんはそのまま帰ったよね?」

 柳森と和美の視線が私の元に集まる。

 本当の事を全てぶちまけてしまえばすっきりするかもなという考えが浮かんだけれど、その邪心はそう長くは続かなかった。

「はい。柳森先生のおっしゃる通りです」

「証拠は?」

 和美は、まっすぐと私の目を見つめ続けている。

 その視線に耐えきれず、目を逸らした先にスマートフォンを見つけた。

「ロケーション履歴はどうだろう」

 柳森が、笑みを私に向けた。

「スマホでロケーション履歴って機能があるだろ?位置情報の履歴がわかる機能。それで、その日の位置情報を見てみたらホテルからすぐに帰った事がわかるんじゃないか?」

「あっ、確かにそうですね」

 私はすぐにスマートフォンを取り出し、ロケーション履歴を表示させた。

 そこには私の行動が全て記録されており、どの場所にどれだけ滞在したかを事細かに記されている。

 先月の15日の履歴を確認すると、品川のホテル付近に20分ほど滞在した後は、出版社のある有楽町に移動していると記録されている。

 その画面を和美に見せると、目を見開き明らかに狼狽していた。

「えっ……うそ」

「本当だよ。今思い出したけど、その日はスイート以外の部屋がどこも埋まっちゃってたんだ。だから仕方なく、スイートにしたんだよ」

「そっか……。ごめんね疑って」

 項垂れた和美に、柳森は笑顔を向けた。

「いいんだよ。疑われるような事をした俺が悪いんだから」

 柳森の胸元に飛び込んだ和美に、優しい視線を送る柳森を見てわたしはゾッとした。

 その日、柳森は私より7歳若い21歳の女性とホテルの部屋で待ち合わせ、逢瀬を楽しんでいたはずだからだ。


 ロケーション履歴をオンにするようにと私に指示をしたのは柳森だった。

 「何でですか?」と問いた私に、柳森が放った言葉を思い出す。その時は何を言っているかさっぱりわからなかったが、今ではよくわかる。

「ミスリードだよ。ミステリーでも、一度容疑の晴れた者が再び疑われる事は滅多にないからね」

 クレジットカードの明細を和美が見えるように置いたのも、Twitter上に私と歩く写真があがっていたのも、柳森が意図してやった事だろう。

 そして、柳森は気づいているはずだ。

 そんな柳森に私が向けている感情も。だからこそ、私が柳森のミスリードに協力する事も。