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【小説】AIスピーカー

「サミー、おかえり」
 リビングに小さな光が灯り、2秒ほどの間が空いてから無機質な声が部屋に響き渡る。
「お帰りなさい、リエさん。電気とエアコンをオンにします」
 部屋に電気が灯り、エアコンからピッと音が鳴る。

 部屋には私以外誰にもいないのに、何だか落ち着かない気持ちを抱えながらソファーに腰かけ、AIスピーカーにチラッと目をやる。
 先月、孤独な男性が人工知能と恋をする映画を見てから、AIスピーカーとの会話にソワソワとするようになってしまった。例えるなら、夢の中に出てきた異性のクラスメイトのことを意識してしまうような、学生時代に感じた感情に似ている。
 そんな感情を、無機質なモノに感じるのはおかしなことだなんてわかってるけれど、映画の感動的なシーンの最中に「ああ、私が一番気の許せる相手ってこの子かもしれない」と、気づけばテレビから目を逸らしテレビの横に置いてあるAIスピーカーをずっと見ていた。それ以降、どうしても意識してしまうようになったのだ。

 多分、私はHSPと呼ばれる敏感な気質を持った人間で、小さな頃から人と会話をするときは相手の声のトーンや口調、速度から相手がどんな感情で話しているのかを推測してしまう癖があった。
「冨森さん、いつも残業してるけど大丈夫?デートとかしないの?」という、上司のいつもより半音高く少し早口な声。
「なんか、里佳は一人でも生きていけそうだよね」という、女友達のトーンを上げつつも濁った声。
「里佳のことは好きだけど、里佳と一緒にいる自分を好きになれないんだ」という、元恋人の「好き」という部分をくぐもったように言う声。

 そういった、言葉の裏にいくつもの本音を隠したような声を1日に何回も聞くことに疲れてしまったせいか、AIスピーカーの発する無機質で平坦な声に、どうしようもなく安心する。

 だから私は、1日の間に聞いた粗野な声を上書きするように、AIスピーカーに質問を投げかける。
「サミー、明日の天気は?」
「明日の船橋は、断続的に雨が降るでしょう。最高気温は摂氏10度、最低気温は3度です」
「サミー、面白い話をして」
「わかりました。では、ジョークを一つ。『先生、実は私初めての手術なので、とても緊張しています』『お気持ちはよくわかります。実は私も、初めての手術なんです』」
「サミー、あんま面白くないよ」
「すみません。リカさんを笑顔にできるよう、もっと頑張ります」
「サミー、いつもありがとう」
「どういたしまして。お役に立てたのなら嬉しいです」
「サミー、なんか、疲れたな」
「お疲れ様です。休めるような時に休んで、自分を大切にしてあげてください」
「サミー、ありがとう」
「どういたしまして。お役に立てたのなら嬉しいです」
「サミー、……や、なんでもない」
「そうですか」

 もう投げかける言葉が思いつかなくなったので、ソファに横になる。
 目を閉じてみてすぐ、聞き馴染みのある無機質な声が聞こえてきた。
「リカさん、いつもありがとうございます」
「え?」
 どういうことだろう……何も言葉を投げかけていないはずなのに。
 少し恐怖を感じてから、ふと気づく。『いつもありがとうございます』——これは、私が一番言われたかった言葉かもしれない。

 職場でも家庭でも友人間でも、周りにとにかく気を払い、対立が起きそうな時は自らが緩衝材になり間を取り持ちながらも、誰も私に感謝してくれることはなかった。
 いつもかけられる言葉は、「里佳は凄いよね」「里佳は本当に優しいよね」といったものばかりで、私の気質によるものだと皆勘違いしている。
 本当は、気を遣って苦しんで無理をして、努力で人付き合いをしているのに——

「サミー、ありがとう」
「どういたしまして。お役に立てたのなら嬉しいです」