私的創作の心得
さて今日のお話は……見ようによっては私なりの哲学、と言えるかもしれません。
そろそろ不惑と呼ばれる年齢まで生きてきた人生において、ひもじさ以外の何かには、いつ何時でも試されてきたように思います。
これまでの暮らしの中で、一度もひもじい思いをせずに済んだ……。
これは、本当に有難いことです。
ですがそんな家庭環境で恩を受けてきたというのに、まるでドラ息子の如くに苦労や心配といった迷惑を、人間関係の基礎である家族の中で、ずっとかけ続けてきた私が、自分の言葉で伝えたいもの。
やはりこれも、私なりの愛というものなのです。
そしてそれをどのように語るべきか、私がいつも意識して、気を配っていること。
分かりやすく、算数で例えてみることにします。
愛という答えが仮に数字だと2であった場合、それを導き出すための式をどのように表すか。
式が1+1であるなら、導き出される答えが2となることは、とても分かりやすいことでしょう。
しかし私が2という答えを示すために書いてゆきたい式は、私の感ずる愛の数だけあるのです。
これは世の中にあるラブソングや詩も、同じく様々な形を取っているため、やはり人の数だけ愛はある、と言えるのでしょうね。
ならば私としては、詩や歌という芸術作品でありながらも、人生を歩むための道標となりえる実用性も、同時に備えておきたいのです。
と、なると、やはり時に綺麗事ばかりで済まされることのない愛を語るなら、そのために必要と感じられる皮肉や毒も、私なりの形を取って著されることになってくるのです。
これは受け取って下さる方や、世界に対して示したい愛が、時には人類愛にも繫がるものでなければ意味がない、と感ずるためです。
なぜなら、恋愛の楽しさや嬉しさ、辛さや悲しさを訴えるための名曲は、既に世に沢山あるからです。
そこへ何か新しいものを提供するなら、まだ世には出ていないけれど、誰かの心へ寄り添えるものを、と感じずにはいられないからです。
やはり愛とは、誰にとっても何にしても、一言や一口で語れるものではないため、ついつい熱くなってしまう……。
だって、私の目指す愛のスケールの大きさが、まず一人きりでは手に負えない規模の大きさのものですから。
しかし精神性の高いと感じられる日本語を、適切に形として示せるなら、これほど適役な言語もないかもしれない、と思うのですね。
そんな言語を前にして、創作に携わる者の一人として、やはり熱くならずにはいられません……。
こんな風に魂を躍らせてくれる何かこそに、愛というものを扱っていただきたいからです。
長くなりましたが、最後まで読んで下さって有難うございました。
メンタルを病んでいる身としては常々悩まされてはいますが、、、それでも私は、日本語を心から愛しております。
追記
非常に大事なことを言い忘れておりました。
私が自分の生み出す作品を通して分かち合いたい、寄り添いたいものとは、一体何か。
いつ何時路頭に迷うか分からない、人生の中における、自分や誰かとの気持ちや想い。
つまり、魂や心です。
そんな、とても繊細であり優しく、そして同時に残酷であるゆえに美しく、人生におけるあらゆる試しへ、誰もが等しく耐えなければならない、と呼べるもの。
この世に生きる者の一人として、いつ何時でも安心して、真に信じられる支えとなれるものを創っていたい。
なので、インターネットを通じて私の示すあらゆるものとは。
今日を迎えるまで、心底人生に試され続け、時には自ら心を折ったり、折られたりしてきた私の、魂や心の形の一つ、というだけなのです。
そんな戯言を、何故か読まずにはいられない……あなたの心も、今まさに独りぼっちで人生に迷っているからかもしれません。
ならば、どうか本当の意味で、ご自身や身の周りにいる誰かを労ってほしいのです。
嫉妬や劣等感、優越感に惑わされて誰かに意地悪をしながら現実から遠ざかるのではなく、まずそんな自分から、少しずつ遠ざかって行きませんか?
この世で生きるために、自分で自分の人生に責任を取るために、存在する手を使わずしてどうします?
なので、私は美容整形や性転換手術に踏み切られることを、決して否定しません。
身体に傷を負ったり、それに耐えたりするリスクを選ばざるを得ないほどに、あなたの心も傷ついているからです。
加えてその道を選ばねばならぬほどに、これまでの道のりや、今後歩まねばならぬ道の厳しさや辛さも、察することですら、ある意味可能だと思えるからです。
もちろん、あらゆる性的マイノリティの皆さまに対しても、同様に感じられるのですね。
この世を生きてゆくために、自分と同じように、時にはそれ以上に大切に思える誰かと、日々を共に分かち合い、歩んでゆく。
それもまた、人生を歩むための大きな心の支えとなることでしょう。
ただ、今日(こんにち、と読んで下さい)までにこの星に残された歴史や宗教、スピリチュアルな概念などを含めて考えるとするならば。
……そんな己ですら、自身の力で自分を受け入れ、乗り越えてゆくべきものの一つでもあるそうです。
でなければ、来世でも同じ課題を課せられる……という、未来が待っているのかもしれないというのです。
なので、その道を行くと決めるその前に、もう一度、考えてみて欲しいのです。
私も思春期には、自分の容姿に逃れられない劣等感を抱き、日々苦しんでもいました。
でも今は、この自分自身でこの道を歩んでこなければ、得られなかったものは本当に沢山あった、とあらゆる意味で思えてもいるのです。
その上で、私が伝えたい、肝心なこととは。
そうした自分自身を、誰かを心から求めるのであれば……真の信用を得たいのならば。
やはり日頃から、そうした心がけを、地道に積み重ねてゆくしかない。
ずっと進んで独りぼっちを極めてきた私が、これこそが揺るぎのない真実だと手放せない、宝物の一つがそれなのです。
病んだ身体で、一人では決して生きてゆけないというのに、お節介を沢山言い出す私で、本当にごめんなさい。
いつか本当に、世界にいる誰かと皆で、心の手を繋いで歩んで行ける日が来てほしいがための、綺麗事でした。