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恋()多き女につける音楽

わたしの恋愛に対する憧れは、小学生時代に読み込んだ「りぼん」で培われたといっても過言ではない。
なかでも、バイブルは種村有菜先生の「神風怪盗ジャンヌ」。
正直怪盗がどうこうはおいといて、高校生なのに一人暮らししちゃったり、休日にまろんとちーさまがマカロニグラタン一緒に作っちゃったり、学校でも図書館でいちゃいちゃしちゃったり・・・と、わたしのなかで青春≒ジャンヌの世界、として形成されていった。

ああ、はやく高校生になりたい・・・だれかわたしにチェックメイトして・・・

という計画は、中学受験で女子校を受験したことであっけなく破綻する。
共学に行くのは、目的遂行のための第一ステップだった。
しかし学校見学で共学にばかり行きたがるわたしの真意を見抜いたのか、母の顔をしたエスパーから「女子校にいっても男子校の彼氏つくればいいでしょ」と論破され、しぶしぶ女子校ばかりを受験、そして入学することになった。

そこからだ。わたしの恋()多き人生が始まったのは。
この「()」というのは、つまるところほとんどが妄想によって成り立っていたことの証左である。
どれくらい妄想だったかというと、友人たちと休み時間にベランダから校庭を見下ろしては、好きな男の子が体育の授業中だという設定で延々としゃべりたおしきゃーきゃー騒いだり、
ちょっと背の高いソフトボール部の顧問の顔を隠しながら遠目で眺めてはあれやこれや想像したり、
とまあそれはそれではちゃめちゃに楽しかった。我が人生に悔いなし。

でも、何もなかったわけではないんだ。
わたしにだって、震える手で恋という盤面で駆け引きを繰り広げてきた日々があった。

以下は、そんな妄想専門だったわたしの数少ない恋愛実体験を、供養も兼ねて音楽にのせてナビゲートしたいと思う。

16歳 わたしのFirst Love

高校の頃、1年間カナダへ留学していた。
英語を勉強しなくてはならないという焦燥感があった、というまじめな理由もありつつ、じつは単純に、ずっとつづく女子校生活に飽き飽きしてしまったというのもあった。
友達は好きだし、学校も好きだけど、このままじゃ恋愛もろくにできない。
彼氏欲しいんで転校したいなんて、口が裂けても親には言えない。
そこで、たまったま縁があってカナダへ留学することになった。

憧れの、共学である。

とんだど田舎で留学生活を送っていたので、アジア人はほとんどいなかったこともあり、それなりに苦労はした。
けど、年末に開かれたスクールダンスでなんかよくわからないけど同級生の男の子といい感じになり、なんかよく分からんけどごりごり押されて付き合うことになった。
深緑の目が素敵な、チャーミングなハンサムだった。
それまでの留学生活の辛さが吹っ飛ぶくらいに毎日が輝き始めた。
当時流行っていたのはTaylor Swift の Love Story。スクールバスのなかでiPodが擦り切れるくらい聴いた。
べつにロミオとジュリエット的な周囲からの反対とかなんもなかったけれど。

しかし、留学というのには帰国がつきもの。
当初は6月には帰国予定だったのだけれど、7月1日にCanada Dayという国民の日的なお祭りがあり、お別れの前に、この日を彼と一緒に過ごそうと約束をしていた。
ので、親に頼み込んで帰国を7月上旬まで延長してもらったのである。

帰国前には、たくさんといわずともそれなりに友だちが増えてきていた。
なので、6月の間は色々な友人とさよならも兼ねて遊んだりお泊まり会をすることもしばしば。
なかでも、1学年上の日系カナダ人の男の子にはすごくよくしてもらったこともあり、ひんぱんに遊んでいた。
これが、事件の呼水となってしまったのである。
わたしが元来、コミュニティをきっちり分けたいタイプの人間のため、彼氏は彼氏、友だちは友だちと分けて遊んでいたところ、彼氏の嫉妬を引き起こしてしまったらしい。
その日系カナダ人の男の子とつるむことにお小言をちょうだいするようになっていった。

そして事件は起きる。
とあるお天気の日、わたしはビーチで遊ぼうという彼氏のお誘いを断って、おうちでごろごろしていた。
そこで、よりによってわたし不在のビーチで、彼は、ちょうどアメリカから夏休みで遊びにきていた美人さんと出会ってしまったのだ。

そこからは話が早かった。
「別に好きな人ができたから別れて欲しい」と告げられたのが、Canada Dayの数日前。

え、
あと数日で帰国すんのに?ここで新恋人作る必要ある??
ていうかせっかく帰国日伸ばしたんだが????延長費用どうしてくれるの???

なんて、今なら言えるけれど、当時はなんたって16歳。
ハートがブロークンで食事も取れず、泣いて泣いて涙枯れても泣いてもがき苦しんだ。

そしてわたしの失恋は、友人たちを二分する大騒動にまで発展した。
わたしに同情してくれる友人もいれば、わたしが彼を放って別の男の子と遊んでいたことを咎める友人もいた。
振り返れば、高校生の恋愛すったもんだのよくある事例なのだろうけど、当時のわたしにはこの恋愛が全てだったのである。
彼への怒りと、恋しさと、自分の行動への後悔でぐちゃぐちゃになって、わたしはどんどん目に見えて憔悴していってしまったようだ。

Canada Day当日、見かねた友人たちが最後の思い出作りにわたしを連れ出してくれた。
しかし、そこで彼と例のアメリカ美女がいちゃいちゃ遊んでいるところに遭遇しメンタルが崩壊。
友人たちも手に負えなくなり、1人木陰で爆泣きしていたら知らないお兄さんお姉さんが心配して声をかけてくれる始末(カナダ人は優しい人がたくさん)。

そんな散々な終焉だったのに、あふれるのは彼への思いばかり。
そこでわたしは手紙をしたためたのである。
引用したのは、宇多田ヒカルのFirst Love

You are always gonna be my love, and you will always be inside my heart.
I hope that I have a place in your heart too.

ほかにも1年間で得た英語力をありったけにぶつけて彼への思いのたけを手紙に書き殴り、それを友人に託してわたしはカナダを後にした。

21歳 君の口癖が移ったまま抜けてくれなくて

カナダから帰国後は、ホームである女子校に舞い戻り、
バレンタインに「義理じゃないよ」とチョコを渡した男の子と翌日から連絡が取れなくなったりしながらも、すこやかに楽しい女子校生活を謳歌していた。

そして、18歳。
満を辞して大学に入学した。
ふたたび憧れの共学。しかも、一人暮らし。
これは勝った。人生勝ってる。いや、勝たなければならない。
ということで入学初っ端からトップギアぎゅいーーんで飛ばしまくっていたところ、
「男との距離近すぎ」
と共学出身の女子に批判され、あわや大学生活が開始直後にご破たんしそうになったりとなかなかにスリリングな日々を過ごしていた。

そんな時に出会ってしまったのである。
18歳からの貴重な3年間を捧げるa.k.a振り回されることになる彼氏に。
新歓で仲良くなって話していたら、誕生日が1日違いということが判明し、運命を感じて恋に落ちてしまったのである。
うぶかよ。うぶだな。

出席番号が1つ違いという利点を生かして猛烈にアタックし、最終的には体調を崩した彼の部屋に押し掛けてカレーを振る舞ったうえに告白するというパワープレーをかましてなんとかお付き合いできた。
ちなみに体調不良者になぜカレーを作ってしまったのかはわからない。きっと恋のなせる技だったのだろう。

まあそこからは惚れた者の弱みということで、ジェットコースターのような日々を過ごし。
前の彼女ほど君を好きじゃないだの、夢を叶えたいので君にはそこまで構えないだの、君のおっぱい小さいからおっぱぶ行っちゃっただの言われながらも3年以上お付き合いをした。

さすがにわたしのおっぱいが小さいからっておっぱぶ行くの正当化すんじゃねえよ・・・
と、しばらくしてから冷静になり、3年の年月に別れを告げた。
・・・ものの、そのあともずるずると一緒に過ごしていた、とある日。
彼に呼び出され、正式に、もう一度付き合って欲しいと告げられた。
正直、それまで彼を追いかけてばかりだったわたしとしては、はじめて彼から追いかけられている状況にココロオドった。
これはゴーイングゴールインより飛びこし音に乗り泳ぎ続けるやつか?!
とおもっていた直後、当時流通し始めたスマホをがさごそいじりはじめる彼。
どうしたの?と聞くと、もじもじと

「株価が急に動いたみたいで・・・アラートが・・・ちょっとごめん」

ズッコーーーーーーーーーーーーーン!!
株て。
3年お付き合いして別れた彼女により戻そうって深夜に家までやってきといて株て!!!
となり、千年の恋も1秒で冷めて、あっけなく終わりを迎えたのでした。

でもね、そこからなんですよ、辛かったの。
大学入ってからすぐ付き合い始めたもんだから、大学生活は彼との時間ですべて彩られているわけです。
挙げ句の果てに住居・学校ほぼ一体型の大学にいたもんだから、生活圏すべてに彼の気配が残っていて。
さすがに、スーパーからの帰り道、彼とよく2ケツしてとおった道を1人で自転車漕ぎながら、彼のアパートがある交差点に差し掛かった時に、

君の家までの道を決して通らないように
君とよく行った店を見ないように

って耳に突っ込んだイヤホンからback numberの「あとのうた」が流れてきたときはうぉんうぉん泣きながら自宅まで自転車がちゃ漕ぎしながら帰りましたよ。

その後もひきずってもひきずってもなかなか削れてなくなってくれない思い出たちに苦しめられていたのだけれど、
彼の出身地である東海地方独特の訛りがなかなか抜けていない、と友人から指摘されたときは、曲を地で行きすぎて清水さんはわたしの未来を予見してこの歌を作ったんじゃないかと錯覚するほどだった。

番外編 擬似失恋のススメ

ここで小休止。
上記の東海彼氏にゾッコンだった3年間、一応付き合ってはいたもののほぼ片思いといっても過言ではない状態だったため、不定期に恋愛錯乱状態に陥っていた。
そういう時は、「別にあなた以外にもいい感じの男の人いるし」、という見栄はり自己防衛本能が自然と働くのか、やたらと他の人とわちゃつきたくなるもの。(わたしだけ?)
プロビッチであれば、きっと本当に身近な別の男の子とわいわいきゃっきゃして本命彼氏を惑わすのでしょうけど、
そこは恋()多き女、妄想で済ませるのが筋というもの。
妄想とはいえ、普通に恋愛し続けてるとその人のことが好きになってしまうので、それはあくまで失恋でなくてはならない。
いわば、擬似的に失恋しなくてはならないのだ。
ということで、以下は手軽に失恋した感を味わうためにわたしがオーバードースしていた曲たちをご紹介。

まずはこれ抜きでは語れないaikoパイセンの曲たち。
もう、パイセンにはどれだけお世話になったことか・・・。
そんなパイセンの曲を選別するなんてほんと分不相応過ぎるのだけれど、僭越ながら2曲だけご紹介。
「二時頃」・・・深夜の風呂上り、可愛いふわふわのパジャマ着て電話する片思いの相手がいるないしそういう設定の場合にぜひ。1番からの2番の流れに胸掻き毟ること間違いなし。
「ふたり」・・・よく遊ぶ男女グループの中に、意中の人がいるないしそういう設定の場合にぜひ。

つぎに、これも忘れちゃいけないback number。
「幸せ」・・・好きな人から恋愛相談を受けている辛い時ないしそういうs(ry

海外からのゲスト出演、Adele先生
「Someone Like You」・・・元彼が結婚しちゃった時に。ちなみにわたしは、カナダ彼氏の結婚をFacebookで知った際にカラオケで絶唱しました。
あとついでに、Adele先生にくらべると有名ではないけれど、おなじくイギリスからKate Nashの「Foundation」も、くそみたいな彼氏と別れられずにぐずぐずしている人の心境をうまく歌ってくれているのでオススメ。

25歳 探してたものはこんなシンプルなものだったんだ

おっぱぶ失恋から約1年後、就活も終わり、お気楽な学生生活を謳歌していたある日。
よく遊ぶ同級生グループの中に、彼女が全然できない奴がいた。
顔もまあわたしのタイプではないけれどハンサムな方には分類されるし、お酒飲むと絡みがうざいとはいえ性格もいいし、なんで彼女できないのかなあ・・・なんて考えていたところ。

その人のことを考えすぎて、気づいたら好きになってしまっていた。

そこからはイノシシも引くほどの猛アタックをかまし、相手にもわたしを好きだと錯覚させることに成功したのでみごとお付き合いする運びとなった。

そこから、
わたしの仕事がうまくいっていない時にべろべろに酔っ払って歌舞伎町のキリンビールで泣きながら「結婚して」と懇願したりしながらも(ちなみに記憶はない)、
とくに山も谷もなく順調に日々はすぎ。

なんと付き合って2年目の記念日にプロポーズされた。
多くの女子が夢見るであろうパカッからのダイヤキラッだった。
なぜかわからないけど、脳内でLA LA LA Love Songが再生された。
メリーゴーラウンドよろしく、あまりの動揺と溢れる喜びで目の前がぐるんぐるん回っていた。
今考えると、ロンバケで葉山南は婚約者に逃げられてるのだから、縁起でもない選曲だ。
尚、プロポーズの決め手となったのは、キリンビール号泣事件のおかげらしい。
こんだけ泣いて懇願するんだから、プロポーズしても断れないだろう、ということで安心して指輪も買えたんだそうな。

そしてその1年後、婚約者に逃げられることなく結婚式は執り行われた。
全てを終えて、拍手の中、会場を後にする時は心底ほっとした。
退場曲に選んだのは、Mr. ChildrenのSimple。
ジェットコースターみたいなスリルはないけれど、そんな日常が、本当はいちばん愛おしいと気づいたのだ。
こんな日常が、10年も20年も、その先もずっと続けばいい、と。

エピローグ Happy Birthday to You

穏やかな日常がつづき、恋愛ソングなんてほとんど聴かなくなって久しいなか、
先日、子どもがうまれた。

ほわほわでふにゃふにゃな君にも、きっと恋に焦がれる日々がいつか訪れるのだろうか。
そんなことを思った時に、思い浮かべたのがaikoの「瞳」

健やかに育ったあなたの真っ白なうなじに
いつぞや誰かがキスをする
そしていつかは必ず訪れる
胸を体を頭をもがれるような別れの日もくる
そんな時にもきっと
愛する人がそばにいるでしょう

わたしに、あなたのお父さんがいるように。
あなたにも、愛する人が見つかりますように。
願わくば現実世界で。

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