見出し画像

不確かなこと①

小学校の全校生徒は当時45人くらいで、わたしの学年は減ったり増えたりしたが卒業するときには11人のクラスだった。互いに歩いて行けるほどのエリアの中に家があったので、年賀状を出すのに住所を詳しく書くのは不要だった。番地と名前だけ書けばほぼ確実に届くと知っていたので、その年もクラスの数人に当てて年賀状を書いた。

けれどその年は、年末に関東の祖父の家を訪れることになっていた。飛行機が発つ日の直前までせっせと年賀状の作業は続いた。そして出発の当日、出来上がった年賀状をまとめて持っていって空港にある郵便ポストから出した。

空港は車で2時間分ほども家から離れていたので、番地と名前だけを書いた年賀状がクラスメイトに届くはずがなかった!自分の住所もろくに書いてはいなかったので、当時の自分からすると「作品」と呼べるほどのクオリティを追求した年賀状たちは家にも戻って来ず、それ以来目にすることはなかった。自分が書いたはずのものは消失してしまった。そのことに気づいたのは飛行機に搭乗してからだったと思う。わたしは誰に宛ててどんな年賀状を書いたのだろう。

いいなと思ったら応援しよう!