優しい世界は意地悪と隣り合わせ

最近思うこととして、「優しさ」ってなんだろうと。
僕の周りには優しい人もいるし、優しくない人もいる、でもそれは僕が勝手に思ってるだけで、それぞれそう思って生活していないかもしれない。
誰もが思う「優しさ」ってなんだろうって考えているうちに、ある事に気がつきました。

優しさって何のためにあるのかって考えた時に、人に喜んでもらうためとか、自分の見栄のためとか、色々あると思います、人によって違って当たり前ですが。
僕が気づいたことを単刀直入に言うと、優しさは踏み躙(にじ)られるためにあるのかなと。
勿論共感出来ない人もいると思います、あくまで僕の考え方です。
人に優しさを与えたのちのゴールはないと思っていて、優しさを与えた瞬間がスタートでもあってゴールでもあって。それが始まりで終わりでもあると。

優しさを与える与えられることが当たり前ではない。
踏み躙られることが当たり前であるからこそ、
優しさの価値は上がると思うんです。
だからこそ、「優しさ」という言葉が存在するのではと。
かといって、その価値ある優しさを人に与えることで何か見返りがあるかといえばそうではない、というか求めるものではないんですよ。優しさは与えた瞬間に終わりを迎えます。
勿論、与えてくれた優しさに感銘を受けて、のちに優しさを与える人もいると思います。そういった方が周りにいたら大切にしてあげてください。

最後に、これは僕の勝手な価値観です。
でもひとつだけ言えるのは、優しさの在り方、与え方は人それぞれであって、一番大切なのは汲み取る誠意です。

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