MIU404 3話感想。

2話の感想で、「3話については、多分また書くだろう、3話の感想で詳しく。」と書いたのだけれど、
いや本当に、「もう一度観たくなる、ぐっと来る台詞が沢山あった」のは事実なのだけれど、ぐっと来る台詞とエピソードが多すぎて、さらにはびっくりさせる演出が多すぎて、自分が何を言いたいと、書きたいと思っているのか、軸がぶれてしまう話だった。
2回観た今でもそれは同じで。

なので序盤のエピソードから、少しずつ解体して行こう。一度できたことだから二度目もできるはず。

◆西武蔵野署の刑事のゲスト出演
誰も興味がないだろうけど、私がアンナチュラルで1番好きなキャラクターは木林さんである。
その次が毛利さんだったりする。誰も興味ないだろうけど。
その次はちょっと選べない。箱推しである。誰も興味(以下省略)
という事で、私はアンナチュラルのみんなが大好きなのだけれど、突出して木林さんと毛利さんが好きなのだ。以下省略。
だから、今回のスペシャルゲストはかなり嬉しかったし、楽しみだった。
ちょい役かと思ったら沢山出てきたし。
細かい話は追々していく。

◆「九重さんってさ、自己評価高いよね」
1話で「マウントの取り合いは悲劇しか生まない」と言っていた志摩は、正直、かなりマウント取りが上手だと思う。
上手だからこそ、マウントを取ることの「不毛」さと、その先にある「悲劇」を知っているという事か。

志摩がかっている伊吹の「俺たちに無い物」とは、(劇中でまだ具象化されていないタイミングに言語化してしまうのは少し不安でもあるけれど、)1話でも2話でもあった、加害者(を含めた誰でも)に寄り添える精神だと思う。

「良かったな、人を殺してしまう前に捕まって」
「機捜っていいな。誰かが最悪の事態になる前に止められるんだろ?最高じゃん」
「相手がどんなにクズでも、どんなにムカついても、殺した方が負けだ」
「無実でいて欲しかったなぁ」

志摩が、この思想を持ち合わせていないとは私は思わない。きっと伊吹が容疑者に対してこの言葉を溢す時、志摩は心の中で伊吹に同調してると思う。しかし、自分の言葉で発信することができる伊吹と違って、心の中で同調するだけの志摩には、「それ」が伊吹ほど染み付いてないのだと思う。だから志摩は「俺たちに無い物」を持ってる伊吹をかっている。

◆「いたずらって言い方、やめませんか」
桔梗のこの発言に、おそらく多くの方が既視感を覚えただろう。
アンナチュラルの2話、そして、私は6話も思い出した。
1話の「もし今度、美人だなんだ言ってる奴がいたら言っといて」の時も同じ事を思ったが、人が悪意を持っていない、さりげない発言に切り込んだ台詞は、胸の内がスッキリするものがある。
ミコトや桔梗のように、何も悪いと思っていない相手に苦言を呈することは、思いの外難しい。相手が納得する、説得力のある言葉選びと、毅然とした態度での切り返しを瞬時にこなす為には、常日頃その問題についての自分の解を明確に持っていないとできない。(持っていてできないこともあるだろう。)
だからこそ、私たちの気持ちを代弁してくれるような、もやもやと明確化できなかった問いへの解をしてしてくれるような、ミコトと桔梗の台詞にスッキリするのだと思う。

そう思うと、ミコトと桔梗は似てるし、ミコトと六郎の関係と、桔梗と志摩関係は似てる気がする。桔梗と志摩の方が、もっと互いに出世して、かけがえのない信頼関係を積んだ上司と部下のような。
そう思うと、なんとなくグッときてしまうものがある。がんばれ六郎、がんばれ志摩。

◆ルーブ・ ゴールドバーグ・マシン
◆「自己責任」と少年法

何を書こうか迷ってしまうのは、この2つががんじがらめになっているからだと思う。
本当は2つの話を分けて書きたかったのだけれど、なかなかどうにも上手くいかなかった。
ここでの志摩の台詞、
少年法について語る時の桔梗の台詞、
そして双方に対する九重の台詞は、あとあと全てが事件の結末に結びついていく。
「ここで私が話したいことは何だろう?」とぐるぐるしていくうちに、ようやくなんとか、一つの結論にたどり着いた。
ので、上のふたつを交えながら、そのことについて話そうと思う。
なるべく時系列が行ったり来たりにならないように、混乱しないように。

◆九重というキャラクター
彼はどういうキャラクターなんだろう?
自他共に「野生のバカ」と認める伊吹。
伊吹より理性的であるが、自身の琴線に触れると同じように理性を失う志摩。
九重は、志摩を「優秀だった刑事」と言い、伊吹を「周りに迷惑をかける存在」と評する。
1話から見たイメージを表面的になぞると、彼は刑事局長の息子で、そしてそう評される事にうんざりしていて、どことなく周囲を見下げている。
自分が圧倒的に正しいと思っていて、かつ、自分は間違いを犯すような人間では無いと思っている。
犯罪者と一緒にされたく無い。
犯罪は、自己責任。

「自己責任」にこだわる人間には、2種類いると私は思っている。
1つは、これまで失敗を恐れるような選択を迫られたり、人生が変わるような大きな分岐点に立ったことのない人。
もう1つは、このような選択や分岐点を目の当たりにして、「自分は正しい選択をしてきた」という自負のある人。
いわゆる生存者バイアスである。

九重刑事はこの生存者バイアスの強い人なのではないかと私は思っている。それは、彼の未成年に対する言葉から推測する。

「大人が馬鹿なんですよ。若い人が何も考えてないと思っている。そういう意味では、相手が未成年でも厳しく対処するべきだと思います。減刑も必要ない。等しく罪の責任を取らせるべきです」
「その少年自体が、未成年を重ね切って好き放題しててもですか?」

九重は、未成年が起こす犯罪、および少年法について否定的である。
先程も言ったように、説得力のある言葉選びと、毅然とした態度での切り返しを瞬時にこなす為には、常日頃その問題についての自分の解を明確に持っていないとできない。
子供は大人が思っているよりずっと賢くて、賢く無いフリをして、大人の甘さに漬け込んでいる。
この思想は、九重の過去の経験に基づいた発言なのではないか。

私は、どちらかというと九重に近い思想の人間だ。
「近い思想を持っていた」という方が正確かもしれない。(そうありたい)
どんな事情があっても、自分の道は自分が決めてきたもので、他人や周りの環境のせいにすることはできない。
少年法についても、懐疑的だった。
その考え方が、志摩のように「人によって障害物の数は違う」と思えるようになるには色々あったのだけれど、ハッさせられたのは桔梗の少年法についての言及だった。

「もちろん相手が未成年だとしても、取り返しのつかない犯罪はあって、それ相応の罰は受けてもらう。だけど、救うべきところは救おうというのが少年法」
「(未成年が少年法の元犯罪を繰り返すことについて)私はそれを、彼らが教育を受ける機会を損失した結果だと考えている。社会全体でそういう子供達をどれだけ救い切れるか5年後10年後の治安は、そこに掛かってる」

ここで言う「教育」が、単純に勉強のみを指していない事は明らかだ。

ここで少し、成川の話をしたい。
陸上大会で全国2位、次年度は優勝を狙うほどの成川にとって、自分はやっていない、先輩達の不法行為による廃部の連帯責任は、他の部員達よりもダメージの強い出来事だった。
唯一の居場所を奪われた少年は、途方に暮れその喪失感を埋める為、虚偽通報という犯罪に手を染める。
虚偽通報の仲間が警察に捕まった後も、家に帰る事なく、誰に頼ることもせず1人でいる事を選んだ。
これは推測だけれど、陸上部とそのメンバーは彼にとって文字通り生活の全てで、家族にも、学校にも、それ以外の大人や同世代にも、心を許せる人がいなかったんじゃ無いだろうか。
階段での待ち合わせも、相手を確認もせず、突然胸ぐらを掴み掛かった様子から、助けを求めたのではなく全ての元凶である(と成川が思っている)陸上部の先輩を糾弾するつもりだったように見える。

成川は、やばそうな警察(伊吹)を前にして怯む仲間達に「やばそうだからいいんだろ」と言ってのける一方で、自分たちがコンビニで屯していたせいで泣かせてしまった子供に、ジュースを買ってあげられる優しさを持ち合わせていた。
何もかもネットに晒してしまえば、関係のない生徒達の推薦や就職先が無くなってしまうと言う、人の心の痛みも理解していた。
しかし、そんな、彼の心の痛みを理解してやれる人間は、同級生の勝俣以外にいなかった。
勝俣が捕まった後、彼の味方をしてくれる人は、誰もいない。
少なくとも彼にとっては、
突然現れた謎の男以外は。

成川が、この謎の男と今後虚偽通報よりも悪質な犯罪に関わっていくことは、火を見るより明らかだ。
それは「相手が未成年だとしても、取り返しのつかない犯罪」かもしれない。

しかし、保身のために陸上部を連帯責任で廃部にし、虚偽通報の捜査があっても他言無用を徹底し、賞状さえもシュレッダーにかけてしまう。
そんな教育現場の大人を見て、彼に「教育を受ける機会」が充分に与えられていたと言えるのだろうか。

ドラマの中盤で、スパイクシューズを履いて、目を滲ませる彼が印象的である。

「誰と出会うか、出会わないか、この人の行く末を変えるスイッチは何か、その時が来るまで、誰にもわからない」
志摩の台詞は、1話から出てくる色々な人物が脳裏をよぎる。
人を殺す前に捕まった煽り運転の常習犯。
虐待に苦しみパワハラ上司を殺してしまったけれど、田辺夫妻に出会った加々見。
今回虚偽通報をする高校生達もそうだし、
志摩と伊吹も、きっと出会った事でお互いに深く影響を与え合う、不可欠な存在にこれからなっていくのだと思う。
そして今回焦点になるのは、間違いなく成川と九重だろう。

九重に話を戻す。

成川と九重が顔を合わせるのは、最後の虚偽通報の逃走劇の、あの一瞬だけである。
志摩、伊吹は、自分が追いかけている生徒に真木の事情を話し、諭された勝俣達は彼らについて行く。
九重は、成川の名前を呼ぶだけで、成川は、真木の事情を知らないまま、九重から逃走する。

もし、九重が成川に真木の事を伝えてきたら、
成川を追っているのが九重じゃなかったら、
伊吹か、志摩だったら、
成川は1人家に帰らずに彷徨う事なく、あの男と会うこともなかったかもしれない
それはたらればに過ぎない。

客観的に見れば間違いなくこの瞬間が「分岐点」なのだけれど、あの時こうしていれば、と思ってもそれこそ「時は戻らない」し、彼の行く末を変えるスイッチが何だったのかは「その時が来るまで、誰にもわからない」。

その分岐の責任を全て九重に押し付けるのは酷と言える。

それでも、九重は自分が声をかけなかったことの責任を意識する日は、来るだろう。

その時、彼は何を思うのだろう?

「あの時成川を捕まえていれば」「何か声をかけていれば」「別の生徒を追いかけていれば」

「成川に声をかけなかった」自分を、九重は、悔やむのだろうか?

2話の感想で私はMIU404を「やってしまった人の話」ではと書いた。
「やってしまった」というのはひどく曖昧なので、もう少し具体的にしたいと思っているのだが、それはもう少し温めておくとして。

九重にとって「やってしまった」と思う事出来事は、九重が変わるきっかけとなるのは、間違いなくこの分岐点のエピソードだと思うのだけれど、彼がどんなふうにそれを意識して、悔いるのか、正直イメージが湧いていない。

九重は、新米という立場からしても、本編の中で成長する事が前提のキャラクターだ。
アンナチュラルで言えば六郎である。

しかし、彼は六郎ほど柔軟でなく、自分の中に確固たる主張があるように見える。

九重にとって「やってしまった」と思う事出来事は、九重が変わるきっかけとなるのは、間違いなくこの分岐点のエピソードだと思うのだけれど、彼がどんなふうにそれを意識して、悔いるのか、正直イメージが湧いていない。

私は、実はそこが1番気になっている。

今回は曖昧な事が多くて申し訳ないのですが、

ゆくゆく本編で明らかになる事を期待して、長くなってしまったこの辺りで話を終わりにしたい。

◆「まあこっちは警察なんで、通報がありゃあ、調べもするし、助けもしますよ」
良い感じに(?)まとめた最後に、再びこの話である。
この台詞を、機捜のメンバーではなく毛利さんに言わせるあたり、嬉しい。わかっている。ずるい。
みんなが毛利さんを好きになってしまう。
今回毛利刑事と向島刑事はゲスト出演として登場したのだけれど、成川くんの事件がまだ続くのであれば、西武蔵野署と再度協力して捜査を行う可能性が十分あるのではないかと思っている。
事件としてはあってほしくないのだが、ファンとしてはあって欲しい、もう一度観たいなんて思ってしまう。
全く人間は欲張りな生き物である。

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