MIU404 6話感想 〜志摩の過去はなぜ明かされなければなかったのか〜

「6年も昔のこと今更ほじくったってしょうがねえだろ」
「昔の話じゃねえよ。志摩にとっては今も何も終わってない」

この一言に尽きるのだけれど。

私はMIU404の事を「やってしまった人」の物語と書いた。
そして表現にイマイチ納得していない事も。
今回、これを改めて、「自分の過去に苦しむ人」としたいと思う。(ででーん)

・・・では改めて、
なぜそう整理したかを以下6話「リフレイン」の感想を交えて。

◆ピタゴラ装置〜スイッチ〜

前回Wikiで調べてコピペした「ルーブ・ ゴールドバーグ・マシン」と同じものだが、今回はこっちを使ったほうがいいと思った。
番組名じゃ無いよ。

これまで何度も、3話の志摩の言葉を引用してきた。

「辿る道はまっすぐじゃない。障害物があったり、それをうまく避けたと思ったら横から押されて違う道に入ったり、そうこうするうちに罪を犯してしまう。何かのスイッチで道を間違える。」
「でもそれは自己責任です」
「出た自己責任! その通り。自分の道は自分で決めるべきだ。俺もそう思う。だけど、人によって障害物の数は違う。正しい道に戻れる人もいれば、取り返しのつかなくなる人もいる。誰と出会うか、出会わないか、この人の行く末を変えるスイッチは何か、その時が来るまで、誰にもわからない」

私はこれまで、この言葉はドラマに出てきた犯人に向けられた言葉だと思っていた。
しかし、厳密には、誰が犯人になるかなんて誰にもわからない、犯人、被害者を含む不特定多数に向けた言葉なのだと、6話で改めて感じることとなる。

そして今回、スイッチとして大活躍したのは、紛れもなく伊吹である。
いや、彼はこれまでもその才能を至るところで発揮していた。
今回、「自分の相棒を調べる」という行動に出たことで、それが内部により大きく作用したのだ。

◆スイッチ⑴:伊吹と桔梗

この前に、伊吹と捜査一課の刑事について書こうと思ったけど、話が5話に遡るので割愛。
書くまでもないが、マイちゃんと別れたあと、志摩が「相棒殺し」と呼ばれるのを耳にするシーンだ。

物語は少し進んで、伊吹、九重が桔梗に香坂の手紙について聞くシーンに移る。

ここで桔梗は、伊吹たちが面白半分で事件を探っていると判断し、彼らを閉め出そうとする。
面白半分でなくても、彼らが一時的な同僚にすぎず、過去を知る必要がないと。

そんな桔梗に、伊吹はこう返す。

「俺が4機捜に来たのが、スイッチだとして!・・・俺が4機捜に呼ばれたのって、急遽誰かが4機捜に入ったから、志摩と組む奴が足りなくなってこう、俺が呼ばれたんでしょう?玉突きされて入った俺が、404で志摩と組む事になって2人で犯人追っかけてその一個一個一個全部がスイッチで!なんだか、人生じゃん?」

伊吹は、3話で志摩が話していたピタゴラ装置の話を聞いていない。
九重から「誰と出会うか、出会わないか、この人の行く末を変えるスイッチは何か、その時が来るまで、誰にもわからない」という言葉を聞いただけである。

それを、ここまで落とし込むことができるのは、志摩も買ってる「能力」ありきとしか思えない。
見事なものである。

この言葉に納得したのかしなかったのか、桔梗は香坂の手紙を見せてくれて、
伊吹たちは比較的容易に志摩の過去を知ることができた。

◆スイッチ⑵:伊吹と九重

ここで話したいことはふたつあって、
ひとつは伊吹が一人で調査をするのではなく、同じく噂程度にしか事情を知らない九重を相棒に志摩の事件を調べ始めたこと。
もうひとつは「伊吹と桔梗」で引用した伊吹の台詞を聞いている時の九重について。

彼はそれまで、伊吹の口車に乗せられ「自分には関係のない事」として伊吹に付き合っていた。

4機捜の同僚だけれど、相棒でもない、相棒だとしても、それだけの他人。

それが表情を変えたのは、伊吹の「俺が4機捜に呼ばれたのって、急遽誰かが4機捜に入ったからでしょう?」の言葉を聞いた時である。

この台詞を聞いた時、伊吹と桔梗を見ていた九重は考え事をするように目線を動かす。
紛れもなく、この「急遽4機捜に入った誰か」は九重なのだ。
そして九重もその事に気付いた。

自分とは関係がないと思っていた伊吹の物語に、自分が登場人物として現れた。

それは彼が当事者意識を持つのに充分な材料だった。

九重についてはもう少し話したい事があって。
それは取り敢えず次の項目で。

(ちなみにこの岡田健史さんの演技、何度見ても上手だなぁと思う)

◆スイッチ⑶:九重と陣馬さん

九重は、1話の登場以降、4機捜のメンバーから最も影響を受けている存在だと思う。

それは彼が新米だからでもあるのだけれど、
1話の登場時陣馬さんに「そういうの(無駄な雑談とか)要りませんから」と言っていた九重が、回を重ねるごとに周りと打ち解けてのびのびとしているように見える。

それはドラマの中で、そして私達の見えていないところで、
4機捜のメンバーが九重を「刑事局長の息子」ではなく同僚として、しっかり受け入れているからではないだろうか。

見えているところを書けば、
伊吹について語る九重と志摩
「未成年も重い罰を受けるべきた」の発言に「少年法」の話をする桔梗
「好きな所で走れば良いのに」に対する「止めてやらないとな」と言う陣馬さん
つぶったーのトリックに気付いた時のみんなの反応

誰もが彼を「刑事局長の息子」としてその態度を許すわけでもなく、
分別の浅い人間として厳しく接するわけでもなく、
一人の新人として、九重世人として接しているからこその効果なのではないかと思う。

私は3話を観たまでの九重は、新米ながらも志摩のように何かを秘めた存在なのだと思っていた。
しかし4話以降の彼はどちらかと言うと(親の七光りで苦労はあっただろうが)比較的順風満帆で、苦労の少なかった人間に見える。
本当の事はまだわからないけれど、この彼の姿を引き出したのは、4機捜のメンバーがあったからこそなのかもしれない。

それは、以下の台詞からも感じ取れる。

「俺が香坂刑事だったら、志摩さんに言えたかな。自分が使えない奴だって、認めるのは怖いですよ」

もし彼が1話の頃のままだったら、4機捜のメンバーに、陣馬さんに「自分の弱い所を見られるのは怖い」と素直に言えただろうか。
それに対する陣馬さんの言葉も胸に響くもので、私はこのシーンが1番好きである。

「間違いも失敗も言える様になれ!ばーって開けっ広げによ。最初っから裸だったらなんだってできるよ」

そして「喉乾いたから飲みに行くか」と冗談を言う陣馬さんに、九重は「飯なら良いですよ。メシ!」と答える。

それは、全力で志摩の過去と向き合おうとしている伊吹に影響され、
ありのままの姿を見せてくれている陣馬さんに答えようとした彼の変化に思える。

(関係ないが、陣馬さんは呼び捨てではなく陣馬さんと言いたくなる何かがある。
 酔っ払った陣馬さんは大変、可愛らしかった。)

◆スイッチ⑷:香坂と志摩

この前に香坂と中山詩織のスイッチがあるが、それは割愛して。
そして香坂の話も、本編で丁寧に語られている為、細かい説明は割愛して。

「やらずに後悔よりやって後悔」とはよく言うもので、
「やってしまった事」と同じ、もしくはそれ以上に、
「やらなかった事」に対する後悔は人の心に残るものであって。

志摩が抱えていた、後悔している事は香坂に「何もしなかった事」だった。

そして志摩は、1話の時から気付いていたのだと思う。
伊吹が彼のような「やらずに後悔する」タイプではなく「やって後悔する」タイプだと言う事を。

それについて、最後に残った大きなスイッチについて話す前に、
もうひとつ、別のことについて話したい。

◆志摩の過去はなぜ明かされなければならなかったか

主人公が抱えている過去の体験が、物語が進むにつれて明らかになり、
主人公がその過去を成長と共に乗り越える、というのは、例外はありつつも、
多くの物語における典型的なパターンだと思う。

しかし、私達はその例外をひとつ、身近なもので知っている。
アンナチュラルの三澄ミトコである。

ミコトは、過去に家族を練炭自殺(とそれに伴う殺人)で失っており、三澄家の養子に入っている。

しかしそれは作中で密かに話題にされつつも、本人の口から本人の話としてUDIのメンバーに語られる事はなく、
そして物語の鍵として展開されることもなかった。

私はその物語の進み方が、非常に好きだった。
登場人物の誰がどんな過去を、どんな秘密を抱えていようと、
物語の進行のために暴露される必要は無い。

そしてそれは、三澄ミトコというキャラクターが
主人公としてある程度成熟した状態で物語が成り立つ事、
成り立つが故に、展開できる物語がある事も示していた。

一方で、アンナチュラルの物語のキーとなり、過去が周囲に明らかになったキャラクターもいる。
中堂系だ。

志摩と中堂は、ミコトとは異なる共通点を持っている。
それが「自分の過去に苦しんでいる」という点だ。

ミトコが「自分の過去に苦しんでいない」と言うのは語弊がありすぎるので少し弁解したいが、少なくとも現在進行形で苦しめられていない事は、5話の「納得はしてないけど、整理はついた」と言う言葉から判断できる。

だからこそ、ミコトの過去は物語に効果を与えることがなく、UDIの面々に明かされることなく物語が進行していった。

一方、中堂と志摩はどうなのか。

中堂は、恋人を殺した犯人探しに執着し、境遇が同じ依頼人の報復に手を貸した。
志摩は、ウイスキーを見ただけで動揺するほどだった。

彼らは、彼らが苦しんでいる過去に周囲を巻き込んでしまうほど、そこから立ち直れていなかったのだ。

「6年も昔のこと今更ほじくったってしょうがねえだろ」
「昔の話じゃねえよ。志摩にとっては今も何も終わってない」

冒頭の言葉を繰り返すが、この言葉に尽きるだろう。

◆スイッチ⑸:伊吹と志摩

犯人が捕まっていない中堂の事件と違って、志摩の、
香坂の事件は死因も、事故であることも明らかになっていた。

それでも尚、志摩は香坂の死んだ要因は自分にあると思い続けていた。
6年間ずっと。

そのその重荷を少しでも軽くしたのは、
紛れもなく伊吹が、このタイミングで、志摩の過去を調べようとしたからだ。

2013年8月8日に通報してくれた人を探す貼り紙。

「すっとあの貼り紙を(掛けてたんですか)?」と言う志摩の問いに、香坂の通報で助けられた女性は「先月からダメ元で」と答える。

香坂が死んだ6年後に、
香坂の事情を知る誰かが、
その調査を行い、
現場まで行かなければ、
香坂が亡くなる直前まで、失意の底ではなく、
刑事であろうとした事を、志摩は知り得なかったのである。

「お前の相棒が伊吹みたいな奴だったら、生きて、刑事じゃなくても、生きて、やり直せたのにな」

香坂の相棒が志摩じゃなくて伊吹だったら、その未来がどうなっていたかは誰にもわからない。

でも、志摩の相棒が伊吹だったおかげで、
志摩は6年間苦しみ続けた過去の新しい真相を知り、向き合う事ができたのだ。

◆スイッチ(?):志摩と九重

本編6話におけるスイッチはここまで。
これからは少し私の考える未来の話をする。

「何もしなかった事」に後悔する。

この言葉に既視感はないだろうか?

3話、九重と成川の「分岐点」である。

ここに来て、志摩と九重の、思いがけない共通点が発生するのだ。

客観的に見れば間違いなくこの瞬間が「分岐点」なのだけれど、あの時こうしていれば、と思ってもそれこそ「時は戻らない」し、彼の行く末を変えるスイッチが何だったのかは「その時が来るまで、誰にもわからない」。

その分岐の責任を全て九重に押し付けるのは酷と言える。

それでも、九重は自分が声をかけなかったことの責任を意識する日は、来るだろう。

読み返せば(まぁ現在進行形で)拙い文章を引用するのは恥ずかしいのだけれど、
3話で多くの視聴者が関心を寄せたここに、いつか焦点が当たる可能性は高まったと言える。

「何もしなかった事」を後悔し続けている志摩
「何もしなかった事」が分岐点になりうる九重

九重がこの分岐点を後悔するようになった時、
一番の理解者となり得るのは志摩だ。

そしてその時志摩は、
香坂に何も出来なくて後悔していた自分を、
もう一度救う事ができるのかもしれない。

本当は、その瞬間が来ないことが一番望ましいけれど、

もしその瞬間が来てしまった時、そうなれば良いのにと、思う。

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