下手の横好き
今週は長く麻雀をやる機会に恵まれた。麻雀に出会ったのは高校2年生の時で、彼是15年以上続けている立派な趣味になるだろう。一方、ここまで上手くならないのも珍しいというくらい「大きく勝った」経験が一度もない。友人と比較すると少々落ち込むもので、先輩はもちろん、後輩にもガンガン負ける。ただ、麻雀というのは面白いもので、自分と打って下手なことに気付くと、世話好きな人は
「○○だからダメなんだよ」
「あの時の××みたいなのをなくせばもっと良くなる」
「△△をしなくなったから成長を感じる」
色々なフィードバックをいつも与えてくれる。その度に、学んで強くなる・・・はずが、確かに昔よりは思考量や数も増えて「大きく負ける」ことはなくなったが、やはり「大きく勝った」経験がない。どう思い出しても、ない。どうせやっているなら、いつか大きく勝つ日を夢見て、また誘われたら雀卓を囲むのだろう。
そうえいば、数年前に始めた「株式投資」にも同じことが言えるかもしれない。好きで応援したい会社の株を買おうと始めて、一通り初心者がやりそうなミス(つい値動きが怖くて手放してしまう、流行りものに手を出す、配当金の有無や株式優待、表面利回りなど、あまり会社の内容も知らずに投資決定をする、等)を行いながら、現状の収支はプラスだが、やはり大きくは勝てない。パフォーマンスも投資信託にもちろん負けている。これも、積み立て投資は続けつつも、どうせやっているなら、いつかの値上がりを夢見て株式選定を続ける。
思い返せば、過去に向き合っていたピアノや、絵を書くこと、歌を歌うこと、各種ゲームもそうだ。「下手の横好き」ですべて進めてきていて、何か自分で満足のいく結果が得られた経験がない。
それでも、続けてこれているのは好きだからだろう。好きでいることの力が昨今見直されている節があるが、確かにAIは感情がないため、物事を本当の意味で「好き」になることはない。でも、人間は感情があり、好きを原動力にずっと続けていける。それに、もしかしたら進化はないのかもしれないけど、好きなら好きなりに続けることが出来る。
細々とずっと好きなBase Ball Bearのライブを見た。ふるいにかけられ続けたがファンの一人かもしれないが、青春がよみがえった。いつもこういうライブに行くと思うけど、好きでいられたから、この場所にこれた。その感情こそが人生に一番大事なんじゃないかと思わされる。
仕事と違って、下手の横好きでも許されるのが趣味の世界。好きでいつづけられるように、自分のペースで今後も楽しんでいきたい。